James Setouchi
2025.1.21
円地文子『女の冬』
1 円地文子 明治38年(1905年)~昭和61年(1986年)
明治38年、東京市浅草区向柳原町に生まれる。本名富美。父は上田万年(東京帝大文科大学国語学教授、のち文科大学長)で、家はまず裕福だった。父は尾張徳川の家臣の系列で江戸っ子。周囲には馬琴などがあった。家は松浦伯爵家の借家。麹町、下谷などに転居。東京高等師範学校(東京教育大学、筑波大学の前身)の付属小学校、日本女子大付属高等女学校に学ぶ。オスカー・ワイルド、ポー、泉鏡花、荷風、谷崎などを読む、4年で退学。英語、漢文、フランス語を個人教授で学ぶ。新劇に関心。演劇雑誌『歌舞伎』の顕彰脚本に応募し入選。プロレタリア文学の影響を受けたことも。昭和5年(1930年)東京日日新聞記者の円地与四松と結婚。鎌倉、小石川句、中野区に住む。戯曲をいくつか発表。同人雑誌『日暦』同人となり高見順、矢田津世子、田宮虎彦らと知る。武田泰淳らの『人民文庫』に合流。小説を多く書くようになる。昭和14年『女の冬』。昭和16年昭和16年海軍文芸慰問団の一員として華南、海南島へ。昭和20年(1945年)空襲で家財・蔵書のすべてを失う。軽井沢の別荘で終戦。昭和21年から谷中の母の家に住む。子宮癌で入院。戦後療養しながら小説を書く。昭和24年『紫陽花』(『女坂』の一部)。その後小説、戯曲脚本などを多く手がける。作品『女の冬』『女坂』(野間文芸賞)、『女面』『なまみこ物語』(女流文学賞)、三部作『朱を奪うもの』『傷ある翼』『虹と修羅』(谷崎潤一郎賞)、『遊魂』(新潮の日本文学大賞)など。『源氏物語』の現代語訳は昭和42年夏頃~昭和47年。昭和61年没。(集英社日本文学全集巻末の吉田精一の年譜ほかを参照した。)
2 『女の冬』
昭和14年『新潮』に発表。作者34才。作者は、昭和12年父を亡くし、13年乳腺炎で入院・手術をするなど、危機を経ての執筆と言える。
(あらすじ)(ネタバレ)
主人公は梨枝。藤間流の踊りの師匠。父は真宗大谷派の流れ。母が踊りを仕込んでくれた。経済的にはまず豊かだった。従妹の雪枝は踊りのライバルだが、貧しい中で新しい企画を打ち出す野心家で、満州にも行った。だが、病を得て帰国、梨枝が看病するが、亡くなってしまう。雪枝の母親が、梨枝たちに悪意があったと世間に言いふらす。梨枝は残念に思う。梨枝の家産も傾いている。母親の妹分のお国さんは年老い、パトロンの美座を梨枝に譲ろうとする。悪酔いしたお国さんが梨枝にからむ。梨枝は、「女の冬」を感じ、芸で独り立ちするか、パトロンの美座(画家)をあてにするか、古い殻を脱ぎ落とし新しく走り出すことへの思いに震える。
(コメント)
梨枝は今まで家庭に守られて芸に打ち込んでこられた。だが、自分を守ってきたものが一つ一つ失われ、これから自分で生きていかないといけない、という選択に迫られている。梨枝は、当面パトロンの美座をたよりつつも、自分の芸を磨いて新しい人生を生きていこうと決意している。
梨枝は恐らく円地文子自身が投影されている。良家の子女として育てられ学問を学び育ったが、経済的な経済力、また世渡りの世故は十分でない。当時、父親(東京帝大の教授で高名な国語学者)が亡くなり、自分も病で入院・手術。三十代半ばで人生の危機にあった円地文子が、与えられた環境の中で、何とか自分の人生を生きていこうとする、決意表明のようにも感じる。円地文子は立ち上がり、長生きもして、日本屈指の大作家の一人となった。その円地文子の立ち上がる思い(志、衝迫)を描いた作品と言えるかも知れない。
中に、雪枝の家族が梨枝の家族の悪口を言うところがある。梨枝の言い分を聞く読者から見れば雪枝やその家族の嫉妬だ。だが雪枝にも遺族にも残る思いはあっただろう。お国さんも同様だ。パトロンの美座を梨枝に譲るしかなく、しかし諦めきれない妄執が悪態をつかせる。意地やプライドや執念、確執をも円地は描いているなと思った。私には意地やプライドや執念、確執はもはやうんざりなのだが。円地はそれを菩薩の慈眼ではまだ見ていない。梨枝はまずは自分が立ち上がるのが精一杯だ。
ともかくも梨枝は(円地文子は)新しく立ち上がろうとする。その志を(衝迫を)持続させ、何とか幸福に生き延びてほしいものだ。私はこの若い女性を応援する立場で読んでしまった。(若い頃に読んでいたら全く違っていたかもしれない。)
それにしてもパトロンとか気に入った女性を囲うとか・・
昔の女性は家にいて働かなかった、というのは思い込みで、専業主婦の比率が大きかったのはたしか60年代(社会福祉の教科書による)。男性が猛烈サラリーマンで全国(世界)を転勤し、女性は「寿退社」で専業主婦になって夫の転勤についていくシステムだ。それ以前は、実は、農家や魚屋は当然共働き。本作のように踊りでお座敷に出るのも女性。一般の女性は実は働いている。働かないのは「良家」のご婦人だ。但し男女の不平等(女性差別)は今の比ではなかった。地位と財産のある男が複数の女性を囲う。裕福な家も父や夫の後ろだてを失えば直ちに零落する。貧しい女性は金持ちの妾になる、水商売に出る。昭和の初めもそういう階層格差+女性差別の時代だった。
そんなことではダメだ、という「常識」が当時はなかったのだ。