James Setouchi
(紀行エッセイ・旅行記) 2025.1.19
村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』:ラオス、北欧、トスカナ、北米など。ラオスでは、仏教が生活の中に息づいている村を訪れる。北米では、食べ物屋さんを訪れる。しゃれた話ではある。
村上春樹『雨天炎天』:アトスとトルコ。アトスは、ギリシア正教の聖地。各所に修道院が点在している。トルコ北海岸の紀行は珍しいそうだ。クルド人の村を行くときは兵士が多くいて緊張する。
村上春樹『遠い太鼓』:ギリシア、ローマ滞在記。1980年代。エーゲ海の島に滞在する。ほかに、ローマなど。
伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』:伊丹はオシャレだ。伊丹はどうしてヨーロッパに憧れるのか? それは、アメリカが日本に爆弾を落とし日本の大衆は戦後アメリカ文化に夢中になった、対して伊丹は、アメリカ文化のもう一つ奥にある本家・ヨーロッパ文化に注目したのではないか? と誰かが言っていた。そうかもしれない。
小田実『何でも見てやろう』:欧米、アジア。1950年代。1960年出版。フルブライト留学生なのでエリートなのだが、もっとも貧しいエリアや南部をも探訪。帰途はエジプトやインドも訪れる。小田実の行動力には敬服する。
北杜夫『どくとるマンボウ航海記』:インド洋~ヨーロッパ。マグロ漁船の船医になって・・私もいつの日か船医になってマグロ漁船に乗ってインド洋を旅してみたいと思ったものだが・・
中村安希『インパラの朝』:中央アジア、アフリカ。女一人旅。ほかの日本人があまり行かないところに女性一人でよく行けたなあと思う。
沢木耕太郎『深夜特急』:アジア~ヨーロッパ。1970年代。→猿岩石や大沢たかおで有名。澤木は横浜国大出身でエリートサラリーマンの一人と言えるが、あえてそこから脱出して、一人旅に出た。アジアを経てヨーロッパへ。
安岡章太郎『アメリカ感情旅行』:アメリカ南部。黒人差別がある。また、南北戦争の敗者。アメリカ南部は南北戦争の敗者という点で、日本の戊辰戦争の敗者である東北のような立ち位置にある、とは、なるほどと感じた。
藤原新也『黄泉(よみ)の犬』:インド~熊本~オウム。麻原彰晃への言及もある。麻原は有明海の出身だ。そこで水銀入りのシャコを食べたとすれば水俣病だった可能性がある、麻原は実際視野狭窄だったかも、そこで麻原は現代の文明そのものに怨嗟を抱いた、だから東京の中心部でサリンを撒いたのではないか、という指摘は、なるほど、と思った・・
椎名誠『インドでわしも考えた』:結構面白い。ざっくばらん。
池澤夏樹『セーヌの川辺』:エッセイ。
高野秀行『語学の天才まで1億光年』:世界の辺境。
辺見庸『もの食う人びと』:世界の問題の現場で現地の人と食事。チェルノブイリで放射能に汚染された食材を食す、アフリカでコーヒーを正式の儀式を経て振る舞われるなど、印象的だ。辺見庸は、現地に行ってみないとわからない、として出かけていった。ただし、数日でかけて食事をするだけで全部分かるわけでもない・・と私は感じた。
石井光太『物乞う仏陀』:アジアの貧困。強烈。
金田力『ハノイの寺』:ハノイの仏教寺院の写真集。
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『日本の面影』:明治初めの日本。横浜、松江。ハーンはギリシア人とアイルランド人(カトリック、ケルト文化の風土)の血を引くので多神教の日本の風土(近代化・西洋化以前の)に郷愁を持ったのかも。
松尾芭蕉『奥の細道』:虚構が沢山入っているが、日本でもっとも有名な紀行文?
紀貫之『土佐日記』:土佐から京都までの船旅。
宮本常一『忘れられた日本人』:民俗学。西洋化・近代化以前の山村や漁村をめぐる。
和辻哲郎『古寺巡礼』:奈良のお寺巡り。仏像の描写が素晴らしい。奈良に行きたくなる。薬師寺金堂の薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)と薬師寺東院堂の正観世音菩薩像は必見。ことに正観世音菩薩像は、和辻の記述と実物がピタリと一致する。さすがだ。和辻は、飛鳥・奈良の寺院や仏像に、ガンダーラだけではなくギリシア文明の面影を見てとる。こえを読んだ当時の読者は、狭い島国の中に住んでいればいいのではなく、日本はユーラシア大陸を通って西洋につながる、大きな視野で生きてみよう、と気持ちを大きく持ったに違いない。和辻の知見は今日の建築学からは否定されたりしていると聞くけれど、和辻の持っている大きな構想力(と言うのだろうか)はさすがだと思う。