James Setouchi

2025.1.19

紀行文

 

辺見庸『もの食う人びと』角川文庫

 

1        辺見庸(へんみよう)1944~ 宮城県石巻市生まれ。早大文学部卒。共同通信に入り北京特派員、ハノイ支局長、外信部次長など。96年12月退社。『自動起床装置』で芥川賞(91年)。そのほかの著書に『ナイト・トレイン異境考』『赤い橋の下のぬるい水』『反逆する風景』『屈せざる者たち』『ゆで卵』『不安の世紀から』など。(文庫の著者紹介から)

 

2        『もの食う人びと』

 94年共同通信社より刊行。同年講談社ノンフィクション賞・JTB紀行文学賞

 昔読んだもの。改めて、著者の挑戦に敬服し、内容は人びとにお勧めしたい。同時に、執筆当時(92~94年)と今(2025年)の日本の落差を実感する。世界も変わっている。だが人間が何かを食べなければ生きていけないことには、変わりがない

著者は共同通信の外信部デスクの仕事をしながら、大量の「記号的情報」をもとに、世界のありようを冷静に手短に分析するということをやっていた。が、そこには他者の歓び・苦しみ・怒り・呻き声が届かない。「透明な抗菌隔壁越し」の付き合いだった。これを突き破りたい、と著者は感じ、世界の現場に出向き、「見えない像を見」、「聞こえない像を聞」こうとした。著者は行く先々に「世界の中心を見た」。これがこの旅と紀行の動機である。(「文庫本のためのあとがき」による。)

 

 著者は、アジア、アフリカ、ロシア、韓国などへ出かけていき、現地の人と共に食事をする。そこで見たこと、感じたことを書いていく。状況は当時から変化しているとは言え、世界のどの場所にも、そこで切実な思いで生活して食事をしている人びとの現実がある、という意味では、今でも読む価値があると思う。いくつか紹介しよう。

 

(1)    バングラディシュのダッカ

 駅前の屋台で当時焼きめしが12円。だがそれは残飯だった。ためらう私。少年が奪ってそれを食べる。富裕層の結婚披露宴の残飯を商う。鮮度が落ちるに従い値段は安くなる。残飯すら食えず飢えてなくなる人もある。「ダルとパットをすべての人に(「ご飯と味噌汁を全国民に」というほどの意味)」がこの国の合い言葉。

→(JS)バングラデシュは、一人あたり名目GDP(米ドル)を見ると、1994年には412ドルだったが、2024年には2625ドルになった。ちなみに日本は1994年39953ドル、2024年32859ドル。(「世界経済のネタ帳」というサイトから。)バングラデシュと日本では大きな差がある、バングラデシュは数値が6倍増している、日本はややダウンしている。当時と今と状況は同じではないが、バングラデシュにもやはり貧困・格差があり、日本にも貧困・格差が拡大しつつあるのは誰でもニュースなどで知っているだろう。日本では食品廃棄が多いと言われる。世界の食は不足なのか、足りているけど分配に歪みがあるのか。改めてこの問いを突きつけられる。

 

(2)      エチオピアのカファ州

 アマンという、山すその寒村。巨大なコーヒーのプランテーションがある。食堂でコーヒーを注文する。出てくるまで1時間3分かかった。花を敷き詰め香りを満たし、正装し、豆をグラインドしてスパイスを加え味見を繰り返し、最後に「バターにします、塩にします?」と問う。

 

→(JS)これはTVなどでも紹介され、知っている人もいるだろう。現地ではコーヒーを入れる儀式があるようだ。日本で抹茶を立てる時の儀式と同様だ。バターを入れるのは、日本のウインナーコーヒー(生クリームを入れたコーヒー)に近いのだろうか。塩コーヒーについては、知らない。現地は海が遠く塩分摂取が大事なのだろうか。日本では塩分取り過ぎが多いので、真似をしない方がいいかも。

 

 著者はさらに、スーリ族の女性(あの、下唇に皿を入れる人びと)を探し、写真を撮らせて貰う。紀元前10世紀頃よりも以前から南西部に住み独自の牧畜文化を持つ、誇り高い民族(推定人口5千人)だ。彼らはしかし周囲から「スルマ」とぞんざいに呼ばれていた。旅行社が観光資源として宣伝し、写真を撮らせて代価をとる(当時で36円?)ようになってしまったようだ。国連難民高等弁務官事務所の女性は言った「つまるところ、スーリ族の女性の口にしか興味を持たなかったのよね」「文化の破壊だわ」

 

→(JS)スリ(スーリ)族は、「世界雑学ノート」というサイトでは、南スーダンも含めて推定3万2千人~3万4千人と書いてあった。「スルマ」と「スーリ」は違う概念だとも。エチオピアは、一人あたり名目GDP(米ドル)は1994年に161ドル、2024年に1350ドル(「世界経済のネタ帳」)だが、スリ族においてはこの数字はどのような意味があるか。人びとが「観光」(物珍しいもの見たさ)でやってきて金を落とす、しかしそれは「文化の破壊」でもある。見田宗介の「貨幣への疎外」(『北の貧困 南の貧困』)という言葉を思い出す。その出会いに真の心の交流、異文化理解、信頼関係の構築、人間尊重はあるのか? これはインバウンドでカネもうけをたくらむ今の日本でも念頭に置いておいた方がいい問いかもしれない。昔タイに行ったとき、西洋人の金持ちのおじさんが川にコインを投げ込み、現地の裸の少年たちが濁った川に飛び込んでそのコインを拾っていたのを思い出す。

 

(3)    チェルノブイリ

 1986年の事故で放射能汚染が起こり、立ち入り禁止区域が儲けられた。「森のキノコとこの辺の魚は食わない方がいい」。だが、立ち入り禁止区域に人は戻ってきて(疎開先の生活になじめないなど)、「喉が痛い」「頭痛がひどい」と言いながら生活し、森のキノコを食べている。高齢者が多い。辺見庸は彼らと食事を共にする。ホームレスや脱走兵もいると言う。

 

→(JS)当時は日本でまだ原発事故がなかった。2011年3月の福島原発事故で日本にも同じことが起きた。チェルノブイリの人びとも、避難先で手厚いケアがあれば、立ち入り禁止区域に戻ることもなかったかもしれない。「弱者」が致し方なくそこに戻り放射能でさらに健康を害していく。こういうことはやめないといけない。

                            (2025.1.19)

 

(紀行エッセイ・旅行記)村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?』(ラオス、北欧、トスカナ、北米など)、『雨天炎天』(アトスとトルコ)、伊丹十三『ヨーロッパ退屈日記』、小田実『何でも見てやろう』(欧米、アジア)、北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(インド洋~ヨーロッパ)、中村安希『インパラの朝』(中央アジア、アフリカ)、沢木耕太郎『深夜特急』(アジア~ヨーロッパ)、安岡章太郎『アメリカ感情旅行』(アメリカ南部)、藤原新也『黄泉(よみ)の犬』(インド~熊本~オウム)、椎名誠『インドでわしも考えた』、池澤夏樹『セーヌの川辺』、高野秀行『語学の天才まで1億光年』(世界の辺境)、辺見庸『もの食う人びと』(世界の問題の現場で現地の人と食事)、石井光太『物乞う仏陀』(アジアの貧困)、ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)『日本の面影』(明治初めの日本)、松尾芭蕉『奥の細道』、紀貫之『土佐日記』、宮本常一『忘れられた日本人』