James Setouchi
2025.1.19再掲
『ヒロシマ・ノート』大江健三郎 岩波新書 青版F27 1965(昭和40)年
1 著者紹介 1935(昭和10)愛媛県に生まれる。松山東高校、東京大学文学部(仏文科)に学ぶ。作家。『奇妙な仕事』『死者の奢(おご)り』『飼育』『芽むしり 仔(こ)撃ち』『われらの時代』『遅れてきた青年』『叫び声』『性的人間』『政治少年死す』『日常生活の冒険』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『洪水はわが魂に及び』『ピンチランナー調書』『同時代ゲーム』『「雨の木」を聴く女たち』『新しい人よ眼ざめよ』『河馬(かば)に噛(か)まれる』『M/Tと森のフシギの物語』『懐かしい年への手紙』『キルプの軍団』『人生の親戚(しんせき)』『治療塔』『静かな生活』『新しい人よ眼ざめよ』『燃え上がる緑の木』『取り替え子』『憂(うれ)い顔の童子』『さようなら、私の本よ!』など、作品多数。岩波新書には『ヒロシマ・ノート』『沖縄ノート』『新しい文学のために』『あいまいな日本の私』『日本の「私」からの手紙』などがある。1994(平成8)年ノーベル文学賞受賞。
2 作品紹介(もとは1963=昭和38年~1965=昭和40年に月刊誌「世界」に掲載したもの)
広島の悲劇は過去のものではない。一九六三年夏、現地を訪れた著者の見たものは、十数年後のある日突如(とつじょ)として死の宣告を受ける被爆者たちの〝悲惨(ひさん)と威厳(いげん)〟に満ちた姿であり医師たちの献身(けんしん)であった。著者と広島のかかわりは深まり、その報告は人々の胸を打つ。平和の思想の人間的基盤(きばん)を明らかにし、現代という時代に対決する告発の書。(新書カバーから)
3 内容からいくつか抜き書き
*・・僕は、この答案で、おもに人間の威厳についてかたりたいと思う。それこそが、僕の広島で発見した、もっとも根本的な思想だし、いま僕が自分の支えにしたいものは、それにこそほかならないからである。・・(p.91)
*僕は、広島で、人間の最悪の屈辱(くつじょく)につらなるものを見たし、そこではじめて、僕がもっとも威厳のある日本人とみなす人びとにも出会ったのであった。・・(p.98)
*敵の威力(いりょく)の圧倒的な巨大さは、ますます明確になっていったが、重藤博士たちは屈服(くっぷく)しなかった。いわば、かれらは単に屈服することを拒否したのだ。屈服しないでいることをたすける有利な見とおしなどなにひとつありはしなかった。ただ、かれらは屈服することを拒否した。(p.129)
*二十年来、広島に固着している状況は、たとえ百人の正統的な人間群が、それに対抗するにしても十分とはいえない苛酷(かこく)な状況であった。しかし、それでもなお、まったく勝算のない、最悪の状況に立ち向かいうる存在とは、やはり、このように正統的な人間よりほかにはない。僕は、重藤文夫博士に、その正統的な人間の一典型(いちてんけい)を見るものである。(p.147)
*・・僕が広島で見た・・、人間的悲惨(ひさん)は、そのもっとも絶望的なものまで、すべてプラスの価値に逆転することができるという勇気はないが、すくなくとも、じつにたびたび僕に日本人の人間的威厳のあきらかな所在(しょざい)を確かめさせるものであった。 / 最悪の絶望、いやしがたい狂気の種子が胚胎(はいたい)するところに生きつづけている、決して屈服しない人々に僕は出会ったのだったし、決して救済できない苛酷な運命のレールを走っている青年に、みずからの運命を参加させた、そういう戦後育ちの優しい娘の噂(うわさ)を聞いたのだった。そして、とくに確実な希望があるというのではない場所で、つねに正気でありつづけ、地道な志をいだきつづける人々の声に接したのであった。僕は広島で、人間の正統性というものを具体的に考える、手がかりをえたと思う。・・・(p.183)
(注:重藤博士とは、広島の原爆病院長。あの8月6日みずからも被爆しながらも、被爆者たちの治療にあたった。)
4 コメント もと月刊雑誌に掲載されたエッセイなので、どこから読んでもよい。フランスのユマニスト・モラリストにも通ずる「人間の威厳」を広島の人々に見出だし、大江健三郎が自己の立脚点を再確認した記念碑的な著作。「大江は、広島で「不安定な生」の中に生きる決断を下し、どうなるかわからない長男を育てていく勇気を与えられた。これは、作家としてでなく、ひとりの人間としての覚醒(かくせい)にほかならない。」と岩佐陽一は言う(『大江健三郎がカバにもわかる本』p.150洋泉社)。小説『個人的な体験』もあわせ読むべし。なお岩波新書『あいまいな日本の私』などは講演集で読みやすい。日本人でノーベル文学賞を受賞したのは川端康成と大江健三郎の二人だけだ。また、短編『揚(あ)げソーセージの食べ方』も面白い。四国の谷間の村で山羊と暮らす兵衛おじさんが、山羊を連れて上京し、1969年頃の学生運動の学生たちと対話しようとする。そこで問われるのは、「魂のこと」だ。仏典マハーパリニリヴァーナ経も出てくる。
→厳密には紀行文ではないが、大江がヒロシマを訪れるところから始まるので、一種の紀行文と言ってもいいことにしよう。反核団体は当時分裂しもめにもめていた。大江は政治的路線対立を超えたところに普遍的な人間のあり方を探る。若く傷つきやすい大江は確かにヒロシマに行って何かを感じ、これを書いたのだ。
2024年秋のノーベル平和賞は被団協が受賞した。ロシアがウクライナに核を落とすと脅しを書けている、そのほか核の脅威が高まっているから、ノーベル賞委員会は、使ってほしくない、としたのだろう。あらためて「核」について皆が勉強した方がいいと私は思う。2025.1.19追記