James Setouchi

2024.12.28

 

髙村 薫 『土の記』(上・下)新潮社(2016)      

 

1        髙村 薫

 1953年大阪府生まれ。同志社高校、ICU卒。代表作『リヴィエラ』『黄金を抱いて翔べ』(日本推理サスペンス大賞)『神の火』『リヴィエラを撃て』『マークスの山』(直木賞)『レディ・ジョーカー』(毎日出版文化賞)『新リア王』(親鸞賞)『太陽を曳く馬』(読売文学賞)『土の記』(野間文芸賞、大佛次郎賞、毎日芸術賞)など。いくつかの作品は台湾や中国大陸での翻訳もある。映画化されたものもある。(wikiなどを参照した。)受賞歴で分かるように、サスペンス・ミステリーから出発しているが、近年は有名な文学賞を受賞するに至っている。

 

2        『土の記』 新潮社上下2巻(2016) 

(もとは『新潮』に2013年~2016年に連載したものを加筆修正して単行本に)(ネタバレします

 

 髙村薫を読むのは『レディー・ジョーカー』に続いて2作目。『レディー・ジョーカー』は力作長編だが私には閉塞感しか残らず、日数をかけて読むのではなかった、と先日ブログに書いたばかりだ。だが、それだけで高名な髙村薫を否定し去るのも忍びないので、一作だけと思ってこれを手に取ってみた。

 

 『土の記』は、髙村薫が(恐らくは大衆小説、サスペンス小説で有名だったが)いわゆる純文学に挑戦しようと思って書いたものの一つであるに違いない。上記の如く多くの賞を貰っている。

 

 この二作を比べてみよう。現代日本社会の注目課題に材を取り、そこから深く掘り下げようとしている点は、髙村において一貫している。『レディー・ジョーカー』はグリコ・森永事件に材を取り、株取引、総会屋、貧富の差、差別、会社人間、大企業や官僚の組織内における人間の抑圧、閉塞感、空虚感などなど。『土の記』は、東日本大震災と福島原発事故、豪雨災害、田舎の農村の過疎化、高齢者の独居、認知症、家の継承、親子の断絶、高学歴者が田舎を出て行く、夫婦の断絶、生と死、そこに生きて死んだ人々の声、場所の持つ記憶などなど。現代日本社会で起きた大きな事件・事象を取り上げつつ、社会と人間について掘り下げてようとしている。入念なリサーチをして(勉強をして)書いたであろう点も共通。

 

 違いもある。

 

 『レディー・ジョーカー』は、1990年代の東京が舞台。犯罪小説であり、犯人たち、刑事たち、マスコミ、大企業の四つ巴の戦いが繰り広げられる。文体はいわゆる客観描写。髙村は40代でいわゆる脂の乗っている時期か。だが、本作はいわゆる「純文学」ではなく、犯罪小説(大衆向け読み物)として書かれている(と思う)。

 

 『土の記』は、2010~11年頃の奈良の宇陀山系の山村が舞台。戸数は七戸らしい。犯罪小説ではない。主人公の目線を中心に、亡き妻への回想、近所の人やアメリカにいる娘と孫との交流が描かれる。語り方は、ほぼ主人公・伊佐夫が想起するままに語られる(一部主人公の知り得ないことも語り手は書いているが)ので、読者には出来事の時間の前後関係がわかりにくい。かつ主人公は妄想癖があり、認知症も発症するので、事実なのか回想なのか想像なのか、明確でないところもある。主人公は土(土壌)に興味があり、それを農業に活かしているが、山村を取り巻く自然そのもの(生き物、酸素、太陽光など)への言及も多い。なお、「記」とは、『池亭記』『方丈記』などと同様とすれば、その家に住むにあたっての記録であり、『土の記』とは、まさに土の上に(土の中に?)住む人間の記録、という含意であろうか。髙村は60代で、円熟期でややパワーが落ちているかもしれないが、いわゆる「純文学」を目指し、内容(人間観・世界観)を深めようとしているのではないか(と感じた)。

 

(登場人物)(ほぼネタバレ)

上谷伊佐夫:ここ奈良の宇陀山系の漆河原の斜面に建つ上谷家に婿養子でやってきた。72才。もとは東京の国立の出身で、大学を出てシャープ(当時日本を代表する大企業)に38年勤務し、生活は潤っている。定年後農業を始めた。土に関心があり、土壌の研究を通じて茶の栽培など新しい農業を試みてもいる。妻(昭代)が交通事故で寝たきりになり長年世話をしてきたが、ついに昭代が亡くなったところから小説は始まる。昭代を追憶しながらも、浮気していたのではないか? という疑惑に苦しむ。

上谷昭代:伊佐夫の妻。働き者で野良仕事をよくする。近所の人気者。上谷家の女性は代々美人で、男子が生まれず、家の継承のために婿養子を貰ってきた。が、同時に、女たちは、夫とは別の男を作って出奔してきたのではないか? という疑いがある。昭代は大宇陀での謎の交通事故で寝たきり(いわゆる植物人間)となり、死んでいく。あの交通事故は、本当は事故ではなく、昭代が男を作った上での自殺だったのではないか? と近所はひそひそと語っている。

上谷陽子:伊佐夫と昭代の娘。昭代とは対立。極めて優秀で東京に出て高学歴となり、アメリカに留学、海外在住。

仁史:陽子の夫、彩子の父。夫婦仲が悪く、離婚。

上谷彩子:陽子と仁史の娘。テニス少女。米国生まれ。

ケヴィン:陽子の新しい夫。ブルックリンの獣医師。もとは役者志望のお調子者。

上谷ヤエ:昭代の祖母。男を作って出奔し行方不明になったのではないかと噂されている。あるとき伊佐夫は崖に転落し穴を発見、そこにヤエの白骨を見いだした(ように思うのだが・・?)

 

由紀夫:伊佐夫の兄。東京の国立に住んだ。東大法学部卒の公務員。今は青梅在住。ある宗教にはまった。その妻が晴美。

 

倉木久代:昭代の妹。奈良女子大英文科を出て大宇陀宮奥の土地持ちの倉木吉男と結婚。花柳流やフラやシェイクスピア劇を楽しむ。夫亡き後、何かと伊佐夫の世話をする。

倉木吉男:久代の夫。社長で羽振りがいい。だが、脳梗塞と感染症であっけなく死亡する。

倉木初美:吉男と久代の娘。俊彦を婿養子に貰い、アリサを生む。トイプードルを飼う。

倉木俊彦:初美の夫。吉男の会社を継承。

 

上谷隆一:上谷の分家。額井岳の麓に住む。県庁勤め。

上谷和枝:隆一の妻。その子・卓也は少年野球選手で、かつ受験がある。

 

桑野:隣人。市役所勤務。

桑野真斗・真也:桑野の子。大学生。農作業の手伝いに来る。

堀井:区長。漆河原に棚田と山を持つ。宇陀で土木工事の設計事務所を営む。

木元夫妻:隣人。夫婦とも痴呆が進んでいる。結局、家を捨てて施設に入る。そこは空家に。

木元ミホ:木元夫妻の娘。出戻りで双子を出産。やがて、もと夫とよりを戻し町で暮らすことに。

 

松野:大宇陀半坂で自動車工場を営む。

栂野:榛原(はいばら)の土木会社。

山崎邦彦:栂野の会社のダンプカーの運転手。上谷昭代と交通事故を起こし、昭代が寝たきりになる。

山崎のおばあ:山崎の母。息子の無実を訴える。

平井俶子:伊佐夫のかつての同僚・平井利治の妻。ある新興宗教の信者で、勧誘を熱心にするので、周囲から嫌がられる。吉野町の出身で、平井利治の故郷である東北の気仙沼に在住。東日本大震災で被災。

 

宇陀という場所:奈良市の東南、天理市や橿原市の東にある。神武東征以来の伝承を持つ土地。

 

(コメント)(完全ネタバレ

 伊佐夫は、土を愛し(地学の教師になってもよかった)、土の中で生きている。その土地は、神武以来の伝承の折り重なる場所。山の斜面棚田を開き家を建てて濃密な近所づきあいをしながら住んでいる。(これは、東京の人には実感がないかもしれないが、日本の田舎ではよくある風景だ。)上谷の家では代々男子が生まれず、婿養子をとるが、妻は間男を作って出奔する傾向があるのか? 伊佐夫には、妻の昭代の先祖たちの姿が見え、死者たちの声が聞こえる。この土地では古来自然の中で生者と死者が幾重にも折り重なって生活を紡いできた

 

 伊佐夫は妻・昭代の浮気に傷つく。寝たきりの妻を介護したあと、あの思い出やこの思い出を想起しながら、しかしやはり妻は浮気していたと思い知る。近隣の人とは濃密な関係で、誰もが照代の浮気をひそやかに語るが夫の伊佐夫の耳には入れない。いかにも田舎の人間関係で、リアリティーがある。伊佐夫の娘・陽子は孫の彩子と共にアメリカに飛び出してしまった。上谷の本家はこれで絶える。伊佐夫は余生を土にしがみついて生活する。農業の描写は詳しい。伊佐夫は土壌に詳しく、自然科学の知見を用いて農業に挑んでいる。

 

 やがて東日本大震災が起きる。福島原発事故も。奈良に住む伊佐夫の日常は変わらないが、気仙沼の旧い知人はどうなったかと伊佐夫は思いを馳せる。東北からの避難の人がこの村にも現われる。それでも伊佐夫は今できることをするしかない。

 

 ラスト。2011年8月、奈良県を襲った豪雨のため深層崩壊と土石流が起こり、県内の死者・不明は26人。大宇陀漆河原では2名とあり、明記していないが、伊佐夫と久代がこれにあたるに違いない。伊佐夫は土を愛し、土の中で生活し、土に戻った。

 

 圧倒的な自然の中で、人間は営々と生活を営むが、それもまた大きな自然に呑み込まれていく。この圧倒的な自然の力の中で、人間は夫婦げんかや浮気や親子げんかをし、寝たきりの家人の世話をしあるいは大変な思いで出産をして、とにもかくにも生活している。その人間の生活は尊いが、宇宙―地球―大地の巨大さの前では、無力で小さくもある、伊佐夫の自然科学のこざかしい知見などすべて消し飛んでしまう、と感じさせる結末だ。ここに、作者髙村薫の、現代文明社会への批評(傲慢になるな、たやすく科学技術を信じるな)があるのかもしれない。

 

 人間は無力で小さい、それでもできる努力をしなければならない。それでも、また自然に呑み込まれる。そこに安心立命がある、とは私は言わない。人間は、それでも、立ち上がって努力する、と私は書くしかない。

 

 ある評者は、原発事故に対して冷たく無関心だった伊佐夫が、最後にしっぺ返しを喰らう、そこに髙村の文明批評がある、と書いていた。そうかもしれない。

 

 伊佐夫の家は深層崩壊したのでもう元には戻らないだろうが、生き残った人たちは、この土地にしがみついて生きるしかないかもしれない。すると、その土地で人々が生きていけるためには? どのような政策が必要か? 出て行くしかないとすれば何が必要か?

 

 陽子たちは、先祖伝来のこの土地を離れ、NYで別の人生を送っていく。「田舎を捨てて都会に出て行く」という選択肢も確かにある。だが、こうして皆が出て行くと、この土地は無人の土地となる。それでいいのか? 過疎の山村に税金を投入してでも人口を維持すべきだ、或いは逆に、そこから離れるべきだ、と髙村薫が問うているかどうか? は、今のところわからない。彼女には震災と原発事故に関する多くのエッセイがあるそうなので、それを読めばわかるかもしれない。

 

 「それでいいのか?」は私の問いではある。そもそももともと棚田など無かったところに、人が入ってむりやり村を作ったのはいつのころか? 知らない。「神武東征」以来という伝承があっても、それは恐らく史実ではない。少なくともこのような山の上の棚田は、古代には作れない。石垣を上手に積む技術が普及してからなら、戦国の城郭からか、あるいはそれ以前か? すると、少子化ニッポンなのだから、人はそこから出て行って、山に戻せばいいじゃないか、仕方ないよね、と言ってしまう人もいるかもしれない。「どうしてそんな所に住んでいるのですか? 税金の無駄づかいじゃないですか」と、ある都会のエリートサラリーマンは言った。電線や水道管を引くにもコスト高になる。(東京だって遠距離通勤で狭い住宅で苦しんでいるのに。)そうかもしれない。だが、ことはそう簡単ではない。田舎に暮らしてきた人が急に都会に移住しようと言っても、そう簡単ではない。また河川の上流の土地を保全できないと、中下流域にも累が及ぶかも知れない(洪水、山津波など)。山の斜面を資本の論理でゴルフ場やソーラーパネル(太陽光発電はいいと思うが)だらけにしてしまうのは危険森林、特に落葉樹(ブナなど)の自然林が斜面を守るC.W.ニコル『TREE』)。もし田舎の村の暮らしを従来通り維持しようとするなら、多くの人手が要る。AIでは代替できない。トマス・モアの『ユートピア』のように「徴農制」にする? だが、人民中国の「下放」はいい政策ではなかった。

 

 (1000年スパンの超巨大災害はともかくとしても、)数百年レベルのものには人為で相当程度対応できるのだから、そのレガシー(遺産)(江戸以来? 蓄積してきた)を放棄すべきではない、となれば、江戸以来の農山村を守ろうよ、となる。(本作でも道路補修や法面(のりめん)保護の話が出てくる。お蔭で土木業が儲かっている、とある。だが、それは実は江戸以来の、人力を投入した技術ではない。コンクリでの補強は当面有効ではあるが、ううむ・・)円安で輸出企業とインバウンドで稼いでも国土は傷むばかりだ。会社も外資に買われる。せめて数百年レベルの対応だけはしておきたい。食糧自給率も上げる。食糧もエネルギーも地産地消がベター。東京一極集中型ではなく分散型システムにして、東京でも超過疎地でもない、地方都市を拡充するというのはどうか? 

 

 さらに、そこにコストを投入する合意ができるか? 大都市住民(投票数が圧倒的に多い)がうんと言わない。本作では陽子が都会(ここでは外国)に出た人だ。世界から富を集めて富裕層を相手に株取引・投資や獣医(都市の富裕層の飼育する珍妙な生物が対象)をして生活する。なんか変だ。「ボクは経営学部に行ってファンドを作って金儲けします」!? 「ボクはスポーツ選手になりたい。」なるほど。オータニサンは東北の奥州市の出身だがNYに行ってしまった。剛球・伊良部は沖縄市(宮古島かと思い込んでいたが、そうではなかった。母親のルーツが宮古島の近くの伊良部島だそうだ)生まれでLAで死んだ。ううむ・・

 

 東京にはインフラ老朽化・高齢化がすでに来ている。東京にもっと集住してコスト投入を集中し理想の未来都市(SFで見たような)のようなものをつくる? いや、とりあえずこれ以上の集住は無理だ。これ以上集住すれば(しかも無策であれば)スラムが広がるばかりだ。かつ、大都会も巨大災害には弱いかもしれない。豪雨にはどうにか対応できた(これは感心した)が、もしそれ以上の災害だったら? 恐ろしい。

「東日本大震災級」の地震が来て「深層崩壊」が起きたら、多少の人為的手当では、どうしようもないかもしれない。そもそも日本列島は断層だらけなのだし・・

すると、『方丈記』となる。圧倒的な災害の起こる「不思議」を目の当たりにして、人間は立ち尽くすしかないのか。大都会から少し離れた所に住み、西方極楽浄土を仰ぎ見ながら、何とかできる努力をして、いや、余分な努力をせず、細々と生きる。ううむ・・

 

 鴨長明は楽ちんだ。自分だけ閑居しているのだから。石破さん(2024年10月から首相)は大変だ。「国民を守る」「国土を守る」責任ある立場にあるのだから。田舎では政治家(市会議員など)のなり手がいない。自分の利権のために首相や市議になる人は無責任(安易に外資を導入して国土を荒らせばいいと考えるなど)だが、本当に国民・住民の未来を考えている人ほど、責任の重さ・問題の重大さを痛感するはずだ。ううむ・・・

 

 曾子曰く、「士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして、道遠し。仁以て己が任と為す。亦重からずや。死して後已む。亦遠からずや。」(『論語』泰伯編)  

 

 ううむ・・

 

 読み応えもあり、読後に問題意識が発生する本だった。政策レベルから世界観・人生観・宗教観レベルまで、読書会で議論ができそうだ。

 

・短期的には、とりあえずコンクリ補強や川底さらえで対応できる。また森林の再生。

・数百年レベルの対応のためには、農山村に人が住む必要がある。地方都市のあり方とも連動。

・千年レベルの対応は・・?

・それにしてもどうしても宗教レベルの話は要る。                                                          2024.12.28