James Setouchi
2024.12.24
髙村 薫 『レディ・ジョーカー』(上・下)毎日新聞社(1997)
1 髙村 薫
1953年大阪府生まれ。同志社高校、ICU卒。代表作『リヴィエラ』『黄金を抱いて翔べ』(日本推理サスペンス大賞)『神の火』『リヴィエラを撃て』『マークスの山』(直木賞)『レディ・ジョーカー』(毎日出版文化賞)『新リア王』(親鸞賞)『太陽を曳く馬』(読売文学賞)『土の記』(野間文芸賞、大佛次郎賞、毎日芸術賞)など。いくつかの作品は台湾や中国大陸での翻訳もある。映画化されたものもある。(wikiなどを参照した。)受賞歴で分かるように、サスペンス・ミステリーから出発しているが、近年は有名な文学賞を受賞するに至っている。
2 『レディ・ジョーカー』 毎日新聞社上下2巻(1997)
(もとは『サンデー毎日』に1995年6月~1997年連載)(ネタバレします)(映画は見ていない)
犯罪小説。グリコ・森永事件(1984~85)(注1)に材を取りつつ、舞台を1990年代の東京(注2)に移した。「レディ・ジョーカー」を名乗る犯人グループが、巨大なビール会社(注3)を相手に巨額のカネをせしめる、犯罪小説。
注1 グリコ・森永事件:1984年、江崎グリコ社長が誘拐され10億円と金塊を要求された。犯人は「かい人二十面相」を名乗り、毒を混入したお菓子には「どくいり きけん」と書いた警告文を添えた。マスコミを使って世間を嘲弄し、劇場型犯罪と言われる。森永製菓なども脅迫された。1985年突如終結宣言。犯人の一人は「キツネ目の男」と呼ばれる。舞台は関西。
注2 1990年代:初頭はバブル。すぐバブルが崩壊したが、まだ日本に金はあり、不安や閉塞感と共に、何とかなるのではないかという期待も混在していた時代。1995年に阪神大震災と地下鉄サリン事件があった。この二つは本作にもわずか言及があるが、多くは書いていない。想像だが、作者は本作を何年もかけて準備していたが、発表直前に震災とサリン事件が起き、これらを本作に取り込む準備が整わなかったのではないか。
注3 ビール会社:日本のビール会社は、大企業いくつかの事実上の寡占状態になっている。その市場・売り上げは巨大である。
髙村薫は初めて手に取った。梁石日が評価していて、かつ各種書評などで評判が高いので、読んでみた。図書館の棚の目に入りやすい所にあり、ジャケットが印象的だったためもある。結論、長くて時間をとった。労作だとは思うが、読まなくてもよかった。(暇でたまらなければ読んでもいいが。)読後感は、閉塞感と疲労感。登場人物も閉塞感・疲労感を抱いて生活している。読後も読者の私は閉塞感・疲労感を抱いたまま、抜け出しにくかった。髙村薫は閉塞感と疲労感をこそ読者に与えたかったのだとすれば、その狙いは当たっている。思えば、1990年代後半頃の日本社会の閉塞した雰囲気をよく伝えている、と言えるのかも知れない。ラストにもあまり希望や安心は感じなかった。(後述。)(髙村さん、頑張ってお書きになったのに、ごめんなさい。)
長編小説でも、長い時間をかけて読んでよかった、と思えるものと、時間がもったいなかったな、と思うものがある。個人の好みや出会うタイミングにもよるのかもしれないが、
・司馬遼太郎『坂の上の雲』は、長いが、読んでよかった。全力で批判する価値のある作品だ。お蔭で、ある程度司馬史観に対するスタンスを持てたので、同じ作者の、さらに長大な『飛ぶが如く』も苦なく読むことができた。
・ノーマン・メイラー『裸者と死者』は、長いが、読んでよかった。アメリカの兵士の側から見た太平洋戦争だ。メイラーの他の長編も読むことになった。
・ショーロホフ『静かなドン』も、長くて、飛ばし読みしたが、かけた時間は無駄では無かった。第1次大戦からロシア革命前後のドン・コサックや赤衛軍のイメージ(あくまでも作品からくるイメージだが)をつかめた。
だが、『レディー・ジョーカー』は、後半こそ加速して多少面白く読めたものの、前半が苦労した。また、最後も、これでいいのか? という疑問が残った。結論として、あまり希望を持てず閉塞感・疲労感が残る読書だった。人生に与えられた時間は無限ではなく、何を読むか? は同時に、何を読まずに済ますか? ということでもある。そう考えれば、これは、読まなくていい、と私は感じた。(他の人は、面白かった、最高傑作だ、と絶賛している人もあるので、私の読解力が不足しているだけなのかもしれない。この点はお断りしておく。)
競馬とビールが出てくる。競馬とビールの好きな人には面白いだろう。梁石日はビール好きだし「在日」が出てくるので興味を持って読んだのかもしれない。私は競馬もビールも興味がないので、そこはワクワクしなかった。
(登場人物)(なるべくネタバレしないように)
(1) 犯人グループ(冒頭で紹介される。犯人は読者にはわかっている。)
物井清三:大田区の薬屋の老人。自分を「爺さん」と呼ぶ。青森の出身。長年町工場の旋盤工をしてきた。借金を返すのに精一杯の毎日。片目が不自由。娘の美津子は再婚した妻の連れ子。物井は、踏みつけられた人生だが、自分の中に悪鬼が住んでいると自覚。大企業の日之出ビールを相手に大金を奪う計画を立てる。以下の松戸・布川・半田・高と競馬仲間。
松戸陽吉(ヨウチャン):物井清三の近所の町工場の青年。
布川淳一:もと自衛隊員。今は長距離トラックの運転手。妻が病。娘(レディ)が重い障がい者で、布川が世話をしている。人生に絶望している。
半田修平:品川署のち蒲田署の刑事。警察の中で踏みつけられている感覚を持ち、復讐の怨念を抱いている。
高克己:信金の職員。証券や金融に詳しい。在日。その父は朝鮮総連の幹部。父との関係にも思うところがある。
(2)警察・検察グループ
岩見清:警察庁長官。城山と東大法学部で同窓。
大浦警視総監:勇退後は政界進出をもくろむ。
神崎秀嗣:警視庁の捜査一課長。
平瀬主任:警視庁第一特殊班捜査二係。警部補。
箱崎管理官:警視庁第一特殊班の管理官。
合田雄一郎:警視庁第三強行班捜査七係の刑事。組織の一員だがそれを超える能力も持つ。
安西憲明:大森署刑事課知能係。警部補。反社集団に取り込まれ・・
加納祐介:東京地検特捜部検事。合田雄一郎の義兄で合田と親しい。
(3)新聞社・報道グループ
前田徹:東邦新聞の社会部長。
菅野哲夫:東邦新聞の警視庁担当のキャップ。
久保晴久:東邦新聞の警視庁担当の記者。
根来史彰:東邦新聞の遊軍長。独自の取材網を広げ真実に迫ろうとするが・・
榎本:週刊東邦の記者。
佐野純一:フリージャーナリスト。根来の協力者だが・・
(4)日之出ビール グループ
鈴木会長:元社長。
城山恭介:現社長。誘拐され、脅迫され、対応に追われる。クリスチャン。品川育ち。8才で空襲を受けた。東大法学部卒のエリート。
倉田誠吾:副社長。営業畑出身で、総会屋対策なども一身に背負ってきた。城山の腹心だったが・・
白井誠一:副社長。新機軸の事業展開を考えている、実力者。
杉原武郎:事業本部の副本部長。城山の義弟。
野崎女史:城山社長の秘書。有能。
(5)城山家・杉原家・物井家のつながり
杉原晴子:城山恭介の妹。杉原武郎の妻。
糸井佳子:杉原武郎と晴子の娘、杉原佳子。かつて秦野孝之と恋人だったが破談、他の男と結婚、子もある。
秦野孝之:かつて杉原佳子の恋人。物井清三の孫。東大のエリートだが日之出ビール採用試験を中途退席して謎の交通事故死。
秦野浩之:歯科医。秦野孝之の父親。息子の死に疑問を持ち日之出ビールに質問状を送るが・・
秦野美津子:秦野浩之の妻。孝之の母。物井清三の娘(厳密には清三の妻の連れ子)。派手やかな女性。
岡村清二:物井清三の兄。養子に行き、清三とは幼くして分かれた。戦後の労働運動で日之出ビールの不当解雇を批判した。晩年は施設で孤独に過ごした。戦後の華やかな繁栄の対極にある人物。
(6)総会屋、政界など
西村真一:広域暴力団誠和会系の企業の舎弟。総会屋。解放同盟を名乗る。
田丸善三:総会屋グループ岡田経友会顧問。TZ氏。
菊池武史:投資顧問会社ジーエスシー代表。もとは東邦新聞の記者だった。
戸田義則:大正5年生まれ。戦後の日之出ビールの社員で、労働争議の旗を振り解雇され、左翼系フリージャーナリストになって大阪で暮らしていたと言われるが・・
青野昭二:坂田泰一の秘書。
坂田泰一:大物政治家。地元は鹿児島。
(コメント)(ネタバレ)
合田刑事シリーズの一つとも言えるが、合田刑事だけがクローズアップされているわけではなく、合田は大勢いる登場人物の一人に過ぎない。(重要な役割ではあるが。)
犯人対警察のドラマがおり込まれているが、それだけではなく、警察内部、新聞社内部、大企業内部の動きが詳細に描かれる。(警察や新聞社社会部、また大企業の社長さんの仕事ぶりを覗き見したい人には、よいかも。もっとも、彼らの仕事ぶりが本当にこのようであるかどうかは、知らない。)刑事も組織の中で閉塞感を感じている。社長ですら自分が自分でないような空虚感を抱いている。新聞記者も中途で道を踏み外す者や、闇の真相に踏み込み消される者がいる。大企業も外づらがあり、内部の暗闘がある。そこにもっと巨大な日本社会の利権システムの闇が覆いかぶさっている。株の上下で巨額のカネが動く。総会屋、株屋、反組織、政治家がからみ、閉塞感はますます募る。そこに希望を書いてほしいが、結末、希望はあまり感じられなかった。
犯人グループの、布川は絶望して娘を捨てて失踪、高は金儲けの世界に絡めとられ身動きがとれない、半田は自ら捕らえられる挙に出るが警察の勝利とも言えない。物井老人とヨウチャンはレディ(布川の娘)を連れて青森の物井の故郷へ。
そこ(青森の田舎)は人があまり住んでいないところで、牧草地・耕地がきれいだとある。ヨウチャンはここが気に入っている。ここは、東京=カネと陰謀のうずまく場所=を遠く離れた、安息の地なのか? だが、人手がないと田畑はきれいにならないはずで、ここは描写がおかしい。東京の(巨大な日本資本主義の)システムに絡め取られた閉塞感に対照して、そこから解放された自由な安息の天地を青森の田舎に置き、ラストとしたのだろうが、田舎の現実はそう簡単ではない。髙村薫は田舎に住んだことがない? (後年の『土の記』ではベタに奈良の田舎が出てくる。)
東京では、日之出ビールという超巨大企業にうごめくエリートたちと、大森・羽田近くの下町に住む犯人グループとの、対照がある。では、物井清三(下町の薬局のおやじ)の経済状態はと言えば、借金を返すための人生だったとは書いてあるが、今は薬局の収入と年金で暮らせるだけの所得がある。案外リッチなのだ。ここのところで、私は感情移入できにくくなってしまった。1990年代は日本はまだカネがあって、こういう老人も暮らしていけたのだ。今(2024年も暮れるが・・・)の生活はもっと厳しい。ここは髙村薫の想定していなかったことかもしれない。あるいは、髙村薫は、一定以上の所得の有る読者層を想定して敢えてこう書いているのか? 本人に聞いてみたいところだ。(梁石日の世界と違うのはここ。梁石日の登場人物は多くその日暮らしで、生活に困っている。)なお、知的レベルも高い人が出てくる。シモーヌ・ヴェイユ(注4)を読むとか。
注4 シモーヌ・ヴェイユ:1909~1943。フランスの哲学者。『重力と恩寵』が有名。
組織の中の孤独、閉塞感は、よく書いている。犯人グループの半田刑事も、それを追う合田刑事も、組織の中で圧迫を感じ、孤独で、閉塞感を抱いている。大企業・日之出ビールの城山社長さえ。金と地位があれば自由、というわけではない。そのなかで何とか人間的努力をするが、それを超えた日本の利権システムの不可思議なネットワークにからめとられ、さらに閉塞感は強まる。事件は解決したかに見え、煮え切らない。完全ネタバレだが、ジャーナリストの何人かは失踪し、日之出ビールの杉原は(家庭の問題もあって)自死し、城山は暗殺される。闇の勢力の正体はわからないままだ。誰かが今の利権を守るために動いている。1990年代後半の閉塞感は、確かにこういう感じだったかもしれない。(加えて、阪神大震災があり、オウム事件があった。)「失われた10年」と言われ、これがさらに「失われた20年」「30年」へとつながっているとも言える。新しいパラダイムの提案はあるが構築はいまだ十分でない。(注5)
注5 2024年10月、石破自公政権は久しぶりに少数与党(過半数でない政権)となり、「多数派独裁専制主義」を脱し、「野党との対話」に道を開いた。新しくよきものが生まれる可能性がある。
髙村薫を、ドストエフスキー(注6)のようだ、と高評価している人がいた。私はそうは感じなかった。どこがドストエフスキーを連想させたのか?
『罪と罰』では、犯人は初めから分かっている、予審判事ポルフィーリイが犯人を心理的に追い詰める。ラスコーリニコフは警察に自首する。ラストに青森の平和な里が描かれる。
『レディ・ジョーカー』でも、犯人は初めから分かっている、合田刑事は(城山や半田に対してだが)心理戦を使う。犯人の半田刑事は合田に自首する。(また、城山社長は倉田副社長に自分が隠していたすべてを告白する。)ラストにシベリアの遊牧民の平和な姿が描かれる。
だが、二作は全く違う。『罪と罰』では、ソーニャが出てきて、聖書の「ラザロの復活」を読む。ラスコーリニコフに、大地に接吻して許しを請うことを求める。ラスコーリニコフの魂の救済が問われる。対して、『レディ・ジョーカー』では、教会や聖書は少しは出てくるが、魂の救済については、深くは問われない。
問われている次元が全く違うのだ。『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」のように、神の正義が地上で実現されないのはなぜか? 我々の救いはいつ訪れるのか? を問うてほしい。だが、本作には、それはない。日本の読者を想定して、入れなかったのか? 髙村薫は同志社高校・ICU(いずれもキリスト教の学校)で学んでいるので、キリスト教に触れている。本作にも城山社長を始め何人かのキリスト教徒が出てくる。だが、魂の深い救済については、語っていない。(他の作品にはあるのか?)
(2025.2.3の補足。2000年代の作品では宗教信仰を扱う著作がある。『太陽を曳く馬』など。彼女はもともと宗教家が一族に多数いる環境に育った。)
注6 ドストエフスキー:1821~1881。ロシアの作家。『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』など。
城山社長と倉田副社長の、事件後の身の処し方が違う。倉田副社長は、反社勢力から会社を守るために、自分一人が汚名を背負い反社勢力と差し違えようとする。倉田の決断は会社のためだ。(ここでは書かないが個人的な事情もあった。)城山社長は、「それは自分のやるべきことだ」と言う。会社のためもあるが、それを超えて、人間としての責任を全うしようとする。これは髙村薫が意図的に書き分けたのであろう。「会社や組織のため」という論理を超えた論理(倫理)がある、と髙村は考えているに違いない。だが、それは倫理の次元にとどまり、宗教的・霊的次元への射程が色濃くあるようには見えない。
なぜ犯人グループを競馬場で出会う仲間としたのか? 城山社長をなぜキリスト教徒にしたのか? 完全ネタバレだが、合田刑事の義兄の加納検事は、合田刑事に対して長年同性愛的愛情を抱いていた、とラストで明かされるが、これは必要な要素なのか? 髙村薫に聞いてみたい。
(2024,12,24クリスマス・イブ)