James Setouchi

2024.12.10

 

12月の視角                                       R6.12.10しるす

 

12月1日 敬宮愛子(としのみやあいこ)さまお誕生日

 

12月8日 1941年(昭和16年)日本が英米に宣戦した日。開戦の暗号は「ニイタカヤマノボレ1208」で真珠湾攻撃の成功の暗号は「トラ・トラ・トラ」だった。国民は(今にしてみれば驚くべきことに)英米との開戦に熱狂した。それだけマインドコントロールされていたのだ。ボクラ少国民の世界でも毎月8日には大詔奉戴日として朝礼があって国旗掲揚、君が代吹奏、宮城遙拝などを行った。学校も軍国主義教育を担っていた。

 

12月9日 皇后陛下(雅子さま)お誕生日。皇太子・皇太子妃ご結婚のころ、多くの人が沿道で興奮して「まさこさま~」と言って手を振っていたことを思い出す。天皇陛下(浩宮様)も素敵な方だが、皇后陛下も素敵な方だ。上皇后様(美智子様)のご実家はメーカーで、雅子様のご実家(お父上)は外交官であることから、第2次産業で生産力を高めていた時代を経てグローバルな時代がやってきたことを象徴している、とうがった見方をしている人がいたが、ほう、うまいことを言うものだ、と感心した。皇后陛下の誕生日を昔「地久節」と言ったのは老子の言葉による。

 

12月14日 忠臣蔵の討ち入りの日。新暦だと1月30日だそうだが、赤穂浪士を記念する祭りは12月14日にやることが多いようだ。元禄15年(1702年)は平和な時代だったが、大石内蔵之助(おおいしくらのすけ)率いる47名の赤穂浪士が幕府高官の吉良上野介(きらこうずけのすけ)の邸(本所松坂町)に討ち入って殺害した事件。彼らは仇討ちの成功を高輪泉岳寺の主君の墓に報告に行った。

 もともとは吉良がいじわるをして赤穂の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が怒って江戸城内の殿中(でんちゅう)松の廊下(刀を抜いてはいけない)で吉良に斬りつけ、浅野は切腹、赤穂藩は取りつぶしとなった処置に対して、浪人した赤穂の家臣たちが怒って主君の仇討ちをした、と言われる。

 歌舞伎などにもなり庶民レベルで拍手喝采された。幕府の対応としては、忠義故に顕彰するか、反乱として厳罰に処するか、などの議論があったが、名誉の切腹、という処置になった。のちにも小説化・映画化されるなど人気のあるテーマで、アメリカ映画にも「47ローニン」というのがある。有名な作家の小説では、芥川龍之介『或日の大石内蔵助』、野上弥生子『大石良雄』、大佛(おさらぎ)次郎『赤穂浪士』などなどもある。関連作品は紹介しきれないほど多い。

 真実については多くの議論がある。仇討ちを成功させて再就職を狙っていたのではないかといううがった見方もある。成功を狙って仲間を集め周到に計画するなどは腰抜けのすることで、怒ったら直ちに打ち込めば成否にかかわらず恥にはならぬ、とは『葉隠』の言い分。先日民放(TV朝日『謎解き! 伝説のミステリー』R6.12.12放送)を見ていると、浅野内匠頭は武闘派だった、赤穂藩は大名火消しの役割で日頃訓練されていた(今で言うと消防隊か)、吉良家が朝廷と幕府の間を取り持つシステムは費用がかかるので幕府は討ち入りを黙認し吉良家取り潰しに持ち込んだのではないかという仮説が紹介されていて、面白かった。

 

12月21日 今年の冬至。冬至の日は22日のこともある。

 

12月23日 上皇陛下(平成天皇)お誕生日。平成天皇陛下は被災地や旧戦場を訪れ、苦しみに満ちた生活を送る人々に寄り添いお言葉をかけられた。宮内庁の演出もあったのかもしれないが、陛下ご自身のお考えでもあられたのではないか。平成天皇は「寄り添う」天皇だった。今上(令和)天皇陛下もそれを受け継いでおられる。なお、この頃、冬至、天皇誕生日(昔は「天長節」と言った)、クリスマスがある、土日も連続してあれば、毎日お祝いのような感じがして嬉しい。

 

12月24日 クリスマスイブ。旧約聖書の世界では日没から1日が始まるので、12月24日が日没で終わると、まさにその晩(イブ)から25日(クリスマス)になる、と考えるべきだろうか。

 

12月25日 クリスマス。キリストの誕生日。実は聖書には12月25日に生まれたとは書いていない。ベツレヘム地方で12月25日に羊が外に出ていたら凍えてしまう。実際にはもっと別の季節だったという。だが、キリスト教会が、会議で、12月25日をキリストの誕生日と決めた。これは地中海世界のメジャーな宗教でミトラ教(ペルシア由来)というのがあり、その祭りの日だったので、これに合わせたと言う。太陽神が冬至で死に、再生する。丁度その季節に祭りを持ってくるのが、人々の生活習慣にマッチしていて、都合が良かったのだろうか。キリスト教は決して硬直的で排他的な宗教ではなく、土地の人々の習俗を取り入れる柔軟な構造を持っていると、このことからもわかる。クリスマスツリーはゲルマンの樹木信仰、その上の星はバビロンの占星術、贈り物をするのは農業神サトゥルヌスの祭りを取り込んだ。(だから清教徒のクロムウェルは邪教の名残であるクリスマス祭りなんてやめよう、と言った。)深い思索を展開するある方は、このもっとも寒い時期にもっとも貧しい厩で救い主が生まれた、とすることに大きな叡智が働いているのだ、と言っておられる。神は自ら最も惨めなところに生まれ、かつ最も惨めな死に方をし、復活して見せることで、この世で惨めな暮らしをしている人にとっての希望を示されたのだ。それは人間(神父たち)がご都合よく「うまい知恵」をしぼったのか、そうではなくその奥にまことの神の叡智が働いているのか。後者だ、と信じることを肯定する科学的根拠はないが、反対に、後者だ、と信じることを否定する科学的根拠も、ない。クリスマス商戦がきっかけであっても人が聖書を読み神を信じるに至るなら結構だ、とは神の遠大なご計画であるのかもしれない。ディケンズ『クリスマス・キャロル』も読んでみよう。

 

12月29日 佳子さまお誕生日

 

12月31日 大晦日。紅白歌合戦を見て「ゆく年くる年」で映る神社仏閣に手を合わせてきたが・・なお平安期には追儺(ついな)(鬼やらい)は年末の大晦日(当然旧暦)の夜の行事だった。邪気を払って新しい年を迎えるのである。そのもとは中国にある。