James Setouchi

2024.12.9

 

松竹伸幸『憲法九条の軍事戦略』平凡社新書679 2013年4月

 

1 著者 松竹伸幸 1955年生まれ。ジャーナリスト。日本平和学会会員。著書『これらならわかる日本の領土紛争』『靖国問題と日本のアジア外交』『オスプレイとは何か40問40答』『9条が世界を変える』『反戦の世界史』など。

 

2 目次

*九条と軍事力の関係を相容れないと考えるのではなく、護憲の外交戦略とセットとなるような軍事戦略を考えてみようとしている。(「はじめに」から)

 

第一章 九条の軍事戦略が必要とされる理由

 尖閣諸島をめぐる対立が新戦略を求めている/国民は自衛隊を求めている!?/九条の軍事戦略、三つの視点

第二章 戦後日本に軍事戦略は存在したのか

 日米安保依存戦略の誕生/対米依存が定着する六〇~九〇年/自民・民主両党の軍事戦略の失敗

第三章 九条の「制約」は「優位性」に変えられる

 九条は世界基準の軍事戦略/「武器の制限」が日本を優位に導く/「集団的自衛権の制約」が日本を優位に導く

第四章 九条の軍事戦略を語ろう

 専守防衛の基本にかえれ!/失敗しない経済制裁の戦略/安全を共有する軍事戦略へ

第五章 日米安保条約をどうするか 

 九条の軍事戦略は日米安保と矛盾する/安保の現状を変える二本立ての戦略を

 

3 内容の紹介

 第一章:内閣府統計によると、国民の大多数は九条と自衛隊と両方を肯定している(p.23)。九条か軍事戦略かの二者択一ではなく九条の軍事戦略を考えたい(p.27)。その柱は、専守防衛、主権の維持と協調の両立、将来的には軍事力を必要としない世界を目指すことだ(p.29~33)。

 

第二章:戦後日本には、安保依存派と自主防衛派がいた(p.47)が、安保絶対化だけが選択肢になってしまった(p.64)。全体として対米従属の安保抑止戦略だったと言える(p.78)。

 

第三章:日本の専守防衛の考え方と国際法との間にはそれほどの乖離がない(p.90)。九条を持ち、武器輸出三原則を徹底してきた(三木内閣以来)(p.97)日本だからこそ、湾岸戦争後1991年の国連の軍備登録制度(p.98)や2003年の国連での小型武器に関する会議でも議長国として各国を説得し決議に持ち込めた(p.102)。「集団的自衛権」についてはp.105以下に詳述。伊勢崎賢治氏はシエラレオネやアフガニスタンで武器回収にあたってきたが、日本人に好戦性がないことが財産として機能した(p.118)

 

第四章:経済制裁は有効か?有効だった例は南アフリカに対する例。(p.144)。だが失敗例も多い(p.138~144)。日米中とも経済的にはお互いを必要としている(p.152)。日本は軍事対立緩和に貢献できる(p.154)。たとえば海賊対策で日中協力できる(p.155)。尖閣では海底油田を日中で共同開発することもできる(p.164)。

 

第五章:当面日米安保を廃棄することなく、日本は九条の軍事戦略でやっていけるから経済的な権益を放棄しないとアメリカに対しても主張できる、アメリカの軍事戦略をも変えていける(p.183)。

 

4 補足のようなコメント

 2013年に出た本なので2014年6月の安倍内閣による「集団的自衛権」容認の閣議決定については書いていない。「集団的自衛権」については105頁以下に詳述してある。今までの例は、NATOによるアフガンでの後方支援(2001)、ソ連のハンガリー動乱鎮圧(1956)、チェコ侵攻(1968)、アフガン侵攻(1979)、アメリカのベトナム戦争(1966)、ニカラグア攻撃(1980年代)、イギリスのイエメン介入(1964)など。(p.106~112)

  あなたは、どう考えるか?                     H26.7 

 

 「安保」と言っていたものをいつの間にか「日米同盟」と言うのが当たり前になってしまった。誰が「日米同盟」と言い出したのか? その言い方でいいのだろうか?

                                 R6.12

 軍拡をして戦争をしようと叫ぶ人は、自分は前線に行かず、貧しい人や若い人を行かせ、自身は軍需産業の株で儲けようとする、無責任で卑怯な人だ。嘘つき、と言ってもいい。軍拡をし戦争をしようとする人だけが前線に行けばいい? いや、それも他の人に迷惑がかかるから、やめてほしい。平和交流をべースとする別の方法で平和共存していくべきだ。カナダとアメリカは戦争をしない。日本とアメリカも戦争をしない(昔はやったが、もうやらない)。アメリカとイギリスも同じ。ドイツとフランスも同じ。スコットランドとイングランドも同じ。日頃から仲良く交流し平和共存しているからだ。千葉と埼玉も戦争をしない。港区と中央区も戦争をしない。平安末から戦国期までは、年中戦争(いくさ、戦闘行為)をやっていたのでは? でも今はやらない。日頃から仲良く交流して平和共存しているからだ。軍縮した方が国民経済も潤う。軍需より民需、武器弾薬より食糧だ。

 ああ、昨日12月8日は1941年(昭和16年)に英米に宣戦布告した日(大詔奉戴日)だ。多くの人が宣戦に熱狂しバンザイを唱えたが、結局そのせいで日本は焼け野原になり沢山の人が悲惨な死に方をしていった・・兵士たちは餓えと病にやられ南方の密林を彷徨い下痢をしながら死んでいった・・内地では町を家を焼かれ戦災孤児が町にあふれた・・満州では大変なことが起こった・・もちろんその前に加害の歴史もある。・・今一度想起すべきだ。                R6.12