James Setouchi
2024.12.9
『イスラム 癒しの知恵』内藤正典 集英社新書 2011年1月
1 著者紹介
1956年東京生まれ。東大教養学部(理二だったそうだが)教養学科(科学史・科学哲学)卒業、博士(社会学)、一橋大教授を経て同志社大院グローバル・スタディーズ研究科教授。専門は多文化共生論、現代イスラーム地域研究。著書『イスラムの怒り』『ヨーロッパとイスラーム』『激動のトルコ』『イスラーム戦争の時代』など。
2 目次
はじめに 自殺の大国
第一章 信じることによる癒し
第二章 行いによる癒し
第三章 ひとりでいるのは悪いこと
終章 世俗主義の国家という不幸
あとがき
3 内容紹介
「はじめに」では、日本が自殺大国であることに触れる。日本は残念なことに世界屈指の自殺大国だ。特にここ15年ほどはそうだ。なぜそうなるのか? ではどうすればよいのか? この問いは重要だ。この本で著者は言う。「イスラム教徒は自殺しない。」(p.9)そればなぜか? イスラムの信仰や社会の中に、日本が学ぶべき知恵があるかもしれない。そもそもイスラムについて私たちはあまりにも知らなさすぎる。例えばこの本から読んでみるのも一法である。
第一章では、イスラムでは自殺を禁止している、神にすべてを委ね来世を確信しているから楽天的だ、と書いてある。今の日本は「大切なのは努力」と言いつつ「結果を出せ」「自己責任だ」と言われ人々はもがき苦しむ。この辺の指摘はその通りだ。
では、自爆テロはどうか? 「殉教」でかつ「ジハード」でないものは単なる「自殺」で「理由なき殺人」になるので、神の前に大罪となる。だから、イラクやアフガンで同じムスリムを犠牲にするなら善行にはなりえないし、9.11テロなども大半のムスリムは「理由なき殺人」であり犯罪とみなした。(p.54~p.55)
第二章では、六信五行について述べる。罪の償いは弱者救済(喜捨)の形をとる。(p.73)イスラムは人間に身分の差を認めない。王も貧者も誰でも施しをしようとする。(p.84)日本人は「お返し」を考えるが、イスラムにはそれはない。親切は神の法による「義務」なのだ。(p.88)
第三章では、イスラム社会では人を一人にしておかないことを述べる。今の日本は人間は個人主義で孤独になりがちだ。昔の日本の共同体主義は他者を排除する論理を内包していた。(p.132)イスラム社会では喜捨が善行であり結婚も奨励する。(p.146)この結婚の奨励の所は私はあまり知らなかったので勉強になった。
終章では、「イスラムの発想に学ぶ」「科学と宗教」「道徳と法」「イスラム回帰の理由」「なぜ自殺をするのか」として、近代化・世俗化した日本の負の側面についてイスラム社会から学ぶべきことがあるとする。もちろん、イスラム社会について「テロばかりしている」などの誤解・偏見しか持っていない人が結構いるので、イスラムをきちんと理解することがまず出発点となるだろう。
諸兄諸姉もいずれはイスラム圏に出張したり、日本列島でイスラム教徒と出会ったりするだろう。中東地域の現在の大混乱を見てイスラムをすべて危険だと見てしまうのはよくない。多くのイスラム教徒は穏やかに暮らしているし穏やかに暮らしたいと願っている、と多少勉強すればわかってくる。今できることは、報道を複眼的に(一面的にでなく)把握することもあるが、それだけではなく、世界史・倫理・政治経済の学習に加えてこうした本を読むことではないか。『コ―ラン(クルアーン)』も翻訳があるので一読してみるといい。
著者の話にはトルコがよく出てくる。トルコをベースに置いた話であるのかどうなのか、は今の私にはわからない。なお、梨木香歩『村田エフェンディ滞土録』というトルコを舞台にした小説がある。これもお勧め。
(人文学系統で宗教哲学・宗教史他)荒井章三『ユダヤ教の誕生』、加藤隆『歴史の中の「新約聖書」』、小池・西川・村上(編)『宗教弾圧を語る』、井上寛司『「神道」の虚像と実像』、中村元(訳)『ブッダ最後の旅』、紀野一義『「法華経」を読む』、梅原猛『法然の哀しみ』、湯浅邦弘『諸子百家』、加地伸行『儒教とは何か』、伊藤仁斎『童子問』、内村鑑三『代表的日本人』、新渡戸稲造『武士道』、国枝昌樹『イスラム国の正体』など