JamesSetouchi

2024.11.29

『最後の授業』アルフォンス・ドーデ(桜田佐 訳)

                       偕成社文庫3196 

1         アルフォンス・ドーデ  1840~1897

フランスの作家。南フランスのニームに生まれる。リヨン市の中学時代に一家が没落。57年、パリで文学の勉強を始める。58年に処女詩集を発表。60年から65年にかけて立法議会議長モルニ公爵の秘書をしながら文学の道に励む。代表作『ル・プチ・ショーズ』『タラスコンのタルタラン』『月曜物語』『風車小屋だより』『アルルの女』など。(ポプラ社の世界の名作文庫W-15の『最後の授業』の作者紹介から。)

 

2 内容

 この本には、ドーデがパリ・コミューン以降に月曜ごとに新聞紙上に発表した短編集である『月曜物語』から選んだ短編小説が入っている。『最後の授業』『玉突き』『少年のうらぎり』『母親』『ベルリン攻囲』『わるいズワーブ兵』『タラスコンの防御』『パリのお百姓』『旗手』『アルザス! アルザス!』などなどである。

 

3 時代背景

 フランスは皇帝ナポレオン三世のとき新興国プロシアと戦い、大敗した(皇帝もつかまった)。1870年、フランスは共和制を宣言、パリ市庁舎の中に国防政府を設置し、生き残りの兵士や国民軍、遊動隊などを結集し戦いを続行したが、プロシア軍がパリを包囲し、フランスの敗北は必至だった。71年、フランス共和制内閣は休戦を交渉し、パリから遠いボルドーで国民議会を開いた。2月、ベルサイユで講和がむすばれ、アルザスとロレーヌの二つの地方がドイツ(1月にプロシアを中心にドイツ帝国が成立)に割譲されることとなった。3月、怒れるパリ市民はパリ・コミューンを結成して抵抗するが、5月には鎮圧された。ドーデが立ち会ったのはこのような時代である。(岡田弘の解説などによる。)

 

4 コメント

 『最後の授業』は小学校の時道徳か国語かどちらかの時間に学習した、と思う。フランスとドイツの国境にあるアルザス・ロレーヌ地方が、戦争の結果ドイツ領となることになり、ある日を境にフランス語を使ってはいけない(ドイツ語を使いなさい)ということになる。フランス語での最後の授業の時、アメル先生は「フランス万歳!」と黒板に大書し、授業を終えるのだった。この話から、フランス人はフランス語を大事にする、我々も日本語を大事にしよう(「祖国とは国語」と数学者・藤原正彦は言っている)、ドーデはフランス語とフランスを愛する人なのかな、それにしてもアルザス・ロレーヌ地方は国境にあって大変だな、フランスとドイツは長年対立してきたが今はEUになり相互理解が進んでよかったな、などと感じる人も多いだろう。

 

 だが、『最後の授業』以外の短編も読んでみよう。『小さなまんじゅう』では、ボニカールさんはまんじゅうが食べたくて注文したのにまんじゅうが届かない。町をふらふらするうち革命軍(パリ・コンミューンの軍)の兵士に「スパイ」だと疑われつかまってしまう。さらにその三十分後、ボニカールさんも革命軍兵士も、みんなまとめてベルサイユ軍(国民議会派。革命軍とは対立している)につかまって捕虜として歩かせられることになる。ボニカールさんはまんじゅうにこだわって不服を言うのだが、誰からも相手にされず、すっかり頭が変になってしまうのだった。まんじゅうが好きなだけで罪もないボニカールさんをしいたげるのは、革命軍とベルサイユ軍の両方で、どちらもフランス人だ。ドーデがしっかり見て書いているのは、政治的混乱に振り回される名もない普通人の悲喜劇ではないか。その罪もない普通人があるいは義勇軍に加わり(『わるいズワーブ兵』)、あるいは軍旗を取り返しに行って殺される(『旗手』)。「フランス万歳!」と大書したアメル先生もまたそういう名もない普通人の一人であったのかもしれない、と今回再読して感じた。あなたは、どう思いますか?

 

 なお、渋沢栄一が留学したのはナポレオン3世のフランス・パリ、太田豊太郎が(つまり森鴎外が)留学したのは、フランスに勝利して十余年、欧州の中心として猛威をふるう新興国ドイツ・ベルリンである。                          

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