James Setouchi

2024.11.28

 

梁石日(ヤン・ソギル) 『カオス』幻冬舎(2005年)      

 

1        梁石日(ヤン・ソギル)

  1936年大阪府生まれ。2024年6月に没。著書『血と骨』『闇の子供たち』『夜を賭けて』『族譜の果て』『夏の炎』『裏と表』など。

 

2        『カオス』2005年  

 エンタメ。大衆小説。ゆえに読まなくてよい。一部性的描写もある。健全な青少年にはどうかな。それらの平気なシニアのためのエンタメ。面白くはある。

 

 本作には、或るメッセージがある。それは、「カオス」ということだ。カオスを生きる登場人物を描き、人生は本来カオスだ、日本の社会もすでにカオスだ、もっとカオスでもいいのではないか、と言いたげだ。「カオス」とは「混沌」という意味で、反対語は「コスモス」(「秩序」)。

 何がカオスか。それは後述。

 

(登場人物)(なるべくネタバレしないように)

李学英(ガク):在日韓国人。新宿エリアに住む。暴力団ではないがアウトロー。知的な男。金鉄治とペアでカネを稼ぐ。美しいジャズシンガー今西沙織に惚れ込み、大久保に多国籍のホステスのいる高級クラブ「女王蜂」を作ることに執念を燃やす。

金鉄治(テツ):在日韓国人。李学英の相棒。太った乱暴な男。新宿の中華料理店「龍門」を買い取って経営することに執念を燃やす。ニューハーフのタマゴという女(男?)と愛し合っている。

タマゴ:ゲイクラブ「愛の炎」のニューハーフ。身体を改造し、大変美しい。町の女性たちが振り返るほどだ。だが、喧嘩になると強い。金鉄治を愛している。

サトミ、ナオミ、エリカ、ヒカル、サナエ、ヨーコ:ゲイクラブ「愛の炎」のニューハーフたち。

池沢国夫:金鉄治の部下。

劉周達:台湾出身。通名「木元」。新宿の中華料理店「龍門」のオーナー。但し裏で漢方薬(?)の密輸をやっている。

劉光源:劉周達の甥。「龍門」の料理長。

立石弁護士:劉周達成の弁護士。

張沈鑑:「龍門」のマネージャー。

片桐栄一・大木正和:新宿の若者。金鉄治の子分。

金正信:李学英の民族学校の後輩。

今西沙織:高級クラブ「紳士協定」のジャズ・シンガー。

与古田幹生:今西沙織の恋人。正体不明。

山上左吉:手配師。李学英のクラブ「女王蜂」のために高級ホステスを集める。

浅井繁:ジャズ・ピアニスト。

出井勝治:ドラム。

荒巻弘:ベース。

真帆:高級クラブ「女王蜂」のホステス。20才。

朴美順:ニューハーフ。宗教信者で、「タマゴ」を宗教の世界に導く。

巫女:職安通りの五階建てのビルの4階にいる。「タマゴ」にあなたは妊娠する、と神のお告げを授けるが・・

羅祝英:道教の宮主。「タマゴ」の邪気を払う。

紀香:バー「吉野」の女。金鉄治の恋人の一人。鉄治の子を妊娠する。

中本記者:B新聞社の記者。

岩沼信二刑事:刑事。

立木浩正刑事:刑事。

謎の中国人:中国人マフィアらしい。

 

(コメント)(ネタバレします)

 何がカオスか。 

 

 まず、タマゴというニューハーフが出てくる。もとは男性だが、身体を改造して、どの女性よりも美しく魅力的な女性の体になっている。女性ホステスたちがうらやましがるほどだ。が喧嘩になると男の部分が出てきて、激しいパンチとキックで相手をKOしてしまう。男でもあり、女でもある。恋人の鉄治を激しく愛しており、神のお告げにより妊娠してしまう・・・!? 彼(彼女)はカオスを体現したような人物だ。ネタバレだが、鉄治の恋人の紀香は殺され、胎児が生き残る。タマゴはその子を自分の子として育てることにする。血のつながりの有無にかかわらず、親子と思えば親子になるのだ。タマゴは言う、「わたし人生を楽しむわ。歌って、踊って、私の人生を生きるわ。だって、わたしはわたしですもの。」カオスの存在としてカオスの世界に投げ出されてきたが、それでも「わたしはわたし」として生きていく、という決意がここにはある。

 

 次に、舞台となる大久保、新宿ほか東京の町がカオスだ。在日韓国人、韓国人、台湾人、福建のマフィア、日本人、フィリピン人などが入り混じって生活している。キリスト教、仏教、道教、イスラム教、よくわからない神がかり、占い、風水など多種多様な宗教や宗教もどきの類いがある。本物か偽物かもわからない。そこに多様な人々が集まり、カオスを形成している。そこは危険でもあるが、何かを生む場所でもある。

 

 主人公のガクテツは在日韓国人で、そもそもがカオスな存在だ。合法と違法の間をすり抜けて生活している。健全な一般市民とはとても言えないが暴力団でもない。日本人でもないがニューカマーの韓国人とも違う。秩序と被秩序、合法と非合法の間の、カオスな存在だ。

 

 ガクは多国籍のホステスを集めカオスなクラブを作ろうとしている。

 

 ガクは女性関係で悩んだことはなかったが、今西沙織という美女を目にして初めてわけのわからない恋心に取り付かれ苦しむことになる。彼はカオスに陥る。

 

 警察もあやしい。麻薬を取り締まりにくるが、暴力団と癒着しているのではないか? 合法なのか違法なのか? カオスだ。

 

 美女・今西沙織が出てくる。彼女だけはまともで健全な市民の一人であるかに見えて、実は・・・ここもカオスだった。

 

 このように、カオスの町を、カオスの人々が、辛うじて生き延びていこうとする物語だ。

 

 本作(2005年)からすでに20年の令和の現在(2024年)、新宿、新大久保はもちろん、川口や蕨、葛西など、数多くの外国人がすでに居住している。韓国・朝鮮人だけではない。台湾、中国、フィリピン、インドネシアやベトナムなど東南アジア、ネパール、インド、クルド人などなど、雑多な民族、雑多な宗教、雑多な生活感覚が飛び交う町に東京はすでになっている。

 

 吉見俊哉(東大の社会学の先生)は、『東京裏返し』(集英社新書、2020年。小説ではない)という本で、山の手線東側の神田・秋葉原あたりに様々な宗教の施設があることに注目し、他宗教・他民族が共生する場所として都市作りを行う構想を述べている。すでに単一民族・単一言語・単一宗教という幻想が虚構でしかなかったということは広く知られているが、その先どう進めていくべきか? に対する一つの答案ではある。梁石日は、山の手線西側の大久保・新宿の多国籍エリアのカオスを小説で描いた。

 

 カオスはいいことばかりではない。いつも不安で、誰が裏切るか分からず、未来の見通しがない。実際、本作でも、ラスト近くで主要な人物たちが死んでいく。主人公たちは否応なくそうとしか生きられない立場にあったのかもしれないが、カオスだけではなくコスモス(秩序)の再構築(古い秩序への回帰ではなく、新しい要素を組み込んだ形での作り直し)も必要であろう。旧体制を墨守するだけではもたない、頑迷固陋な純粋伝統主義は現実に即さない、ではすべて破壊しさえすればよいのかと言うと、それも違う。ある形で新しい要素を組み込みつつシステムを組み替えていくことはやはり必要だ。だが、いかにして? という問いに誘われる。

 

 付言ながら、このアウトロー二人組の造形は、TVや映画になることを想定しているかも。

 

 また、各種書評を読んでいると、主人公たちは際立っているが、女性たちは今西沙織以外は「ホステス」「従業員」といった類でしか描いていない、とする批判があった。そうかもしれない。

 

 また、現在(2024年)世上をお騒がせしているホストクラブ等は出てこない。まだそれほどメジャーではなかったのか。

 

 同じ梁石日の他の作品と比べてみると、

 

『死は炎のごとく(夏の炎)』(2000年)は、国際的謀略の渦巻く世界の中にあって、損得勘定抜きで、純粋に行動する姿を描く。是非善悪は別として。

 

『シネマ・シネマ・シネマ』(2006年)は、映画制作にかける情熱は純粋で利害打算抜きであるが、その資金を巡り損得勘定する人たちも出てくる。

 

『カオス』(2005年)は、ほぼ全面損得勘定・利害打算・かけひきの世界だ。但し李学英は今西沙織に、今西沙織は別の男に、タマゴは金鉄治に、損得勘定・見返りなしの愛情(恋情?)を抱く。これが際立つしかけになっている。

 

 梁石日の世界は、一方で損得勘定・利害打算・ウソと駆け引きがはびこる世界だが、他方で純粋な情熱に燃える人間を描いている、そこが魅力なのだろう、ととりあえず書いておこう。