James Setouchi

2024.11.27

 

梁石日(ヤン・ソギル) 『死は炎のごとく毎日新聞社(2000年)      

 

1        梁石日(ヤン・ソギル)

 1936年大阪府生まれ。2024年6月に没。著書『血と骨』『闇の子供たち』『夜を賭けて』『族譜の果て』『夏の炎』『裏と表』など。

 

2      『死は炎のごとく』(幻冬舎文庫に『夏の炎』という題で入っている。)

 巻末に「本書はフィクションです」とある。1974年に韓国であった文世光事件(注1)を題材にしている。フィクションでエンタメだが、軽々しくは読めない。かなりハード。(性的描写も多少あるので健全な青少年諸君は要注意。)朴正熙韓国大統領(当時)(注2)暗殺を狙う在日韓国人・宋義哲が主人公。在日社会の各組織、過激派、公安警察、CIA、KCIA、北朝鮮の思惑が入り乱れる。金大中拉致事件(注3)にも言及がある。登場人物や組織の数が多く、混乱しそう。表を作って整理しながら読むことが必要。但しここに出てきた各組織や人物や事件がどこまで事実でどこからが虚構かは、私は知らない。

 

 舞台は主に大阪。大阪の町に詳しい人が読めばよくわかるだろう。ごちゃごちゃした大阪の下町が魅力と言えば魅力だ。他に、東京、香港、ソウルも出てくる。

 

 時代は1972年以降がメイン。1972年は、東西冷戦のさなか。ベトナム戦争の最中、米中共同声明(ニクソン)、沖縄復帰(佐藤栄作)、日中共同声明(田中角栄)などのあった年。韓国では朴正熙大統領が「10月維新」体制に移行。アメリカ大統領はニクソン、日本の首相は佐藤栄作から田中角栄へ、北朝鮮は金日成主席、韓国は朴正熙大統領。

 

 疑問点を見つけたので書いておく。11頁と38頁に「ガンディの無抵抗主義」とあるが、誤りではないか。インドのガンディは、「非暴力で抵抗」した。「無抵抗」ではないはず。

 

 もう一つ分からない箇所があった。62頁に東京の青協(在日本韓国民主青年協会)の委員長「高炳沢」とある。98頁に大阪の青協(在日本朝鮮民主青年協議会)の委員長「崔文鐘」とある。ところが146頁で東京の青協の事務所に電話して「崔文鐘委員長はいませんか」と言うところがある。これはおかしい。(東京の韓青協に大阪の朝青協の崔文鐘が出張して出かけてはいないはずなので)ここは「高炳沢委員長はいませんか」ではなかろうか? あらすじ上も、宋義哲が東京の青協の高炳沢に手紙を出した(122頁)のを確認するところなので、高炳沢でないといけないはず。不思議だ。(幻冬舎文庫版では改まっているだろうか? 未確認。)

 

注1 文世光事件:山陰中央新報デジタル2024年8月14日の記事に次のようにある。「韓国のソウルで朴正熙大統領の暗殺が未遂に終わり、同大統領夫人が射殺された「文世光事件」から15日で50年。狙撃犯の文世光=1974年に死刑執行。享年22=は、軍事独裁政権だった韓国の民主化を強く願う在日韓国人だった。・・」そう、今年(2024年)は文世光事件から50年なのだ。なお、「文世光」は「ムン・セグァン」

 

注2 朴正熙[1917~1979]:韓国の軍人・政治家。1961年の軍事革命を主導し、63年に第5代大統領となる。第9代まで務め日韓基本条約の締結、経済の高度成長を促進。独裁に傾き、79年暗殺された。ぼくせいき。(コトバンク、デジタル大辞泉から。)なお、朴正熙大統は、のち1979年10月26日に中央情報局(KCIA)の部長金載圭(キムジェギュ)によって射殺された。(「世界史の窓」から。)本作はそれとは別の事件。

 

注3 金大中拉致事件:1973年、韓国の元大統領候補、キム・デジュン=金大中氏が8月8日、東京・千代田区のホテルで拉致された。キム氏は5日後、ソウルの自宅に戻ったが、こんどは身辺保護を理由に、韓国当局に軟禁された。警視庁は、ホテルに残された指紋などから駐日韓国大使館の1等書記官を容疑者と断定、出頭を要請した。これを拒否した韓国側はその後、書記官の関与を認め、キム・ジョンピル首相が陳謝のため来日した。結局、事件は全容が分からないまま後味の悪い政治決着となった。(NHKアーカイブス「金大中氏拉致事件」から。)(のち金大中氏は大統領になった。またノーベル平和賞を受賞。)本作では、金大中拉致監禁は、KCIAや日本の公安も絡む陰謀だった、という方向で書いている。

 

(登場する組織、団体)(ほぼ虚構と思われるが、実在する団体とどれくらい重なるかは、知らない。)

韓連:在日本韓国民連合。在日の韓国系の団体。本作では朴正熙政権支持だとして宋義哲らは批判している。

韓統戦:韓国民主民族統一戦線。韓連の反体制派が結成した団体。

韓青協:在日本韓国民主青年協会。青年組織。韓連を批判。宋義哲はここに所属していたが・・

韓学連:韓国系の学生組織。

民統連:韓国民主統一連合。朴正熙政権を打倒して南北統一を主張する、どちらかというと左翼的な組織だ、と28頁に出てくる。(かつて韓国民主回復統一促進国民会議(韓民統)という組織があり、いま在日韓国民主統一連合(韓統連)という組織があるが、梁石日がこれをイメージして使っているかどうかは不明。)

朝協:在日朝鮮民主協議会。在日の北朝鮮系の団体。

朝青協:在日本朝鮮民主青年協議会。北朝鮮系で、朝協の関連団体。

朝学同:在日本朝鮮民主学生同盟。北朝鮮系の学生組織。

KCIA:韓国における、CIAのような組織。

CIA:アメリカの中央情報局。国家情報長官直属。FBIや警察とは違う。スパイ小説定番のプレイヤー。

公安警察:テロやスパイを監視し防ぐ警察。戦前の特高の流れを汲む。刑事警察とは別。スパイ小説定番。

アジア民族解放戦線:帝国主義に反対しアジアの民衆を解放しようとする過激派。爆弾闘争も行う。

 

(登場人物)(あまりネタバレしないように)

宋義哲:在日の若者。大阪の長屋に住む。妻子あり。消防士のような格好をしてニュータウンの団地に消化器を売って生活している。韓連で活動していたが離れ、韓青協の活動家になる。レーニンや毛沢東や金日成を読む。やがて朴正熙暗殺へと動き出す・・

林里美:宋義哲の妻。大人しい。テロのことは何も知らない。子供二人。

李昌植:在日。宋義哲の友人。旋盤工。韓青協の仲間だったが、離れた。

金成観:在日。宋義哲の友人。大卒だが失業中。

門脇律子:宋義哲の高校時代の恋人。宋義哲にインドの革命家M.N.ロイの思想を教えた。

門脇吉造:門脇律子の夫。テロとは無関係の一般市民。

小島義徳:宋義哲の先輩。独身。小島商会で消火器を扱っているが、実はアジア民族解放戦線の幹部で、過激派。日頃はほとんど世捨て人のようなきたない姿で生活している。大阪大学理学部出身。サルトルの信奉者。

長山智彦:小島の仲間。大阪市立大学出身。東京在住。

金賢二:在日。韓青協の大阪の委員長。宋義哲を韓青協に引っ張る。

金大生:在日。韓青協の兵庫の委員長。

鄭忠孝:在日。韓青協の京都の委員長。

高炳沢:在日。韓青協の東京の委員長。

元在俊:在日。韓青協の東京の副委員長。

丁民学:在日。韓青協の広島の委員長。「韓青協は朝協のダミーではないかと聞いたことがある」と発言し仲間から危険視される。

崔文鐘:在日。朝青協の大阪の委員長。

申南植:在日。朝青協の大阪の幹部。

高達成:大阪のラブホテル経営者。北朝鮮の意図を受けて動いているように見える。

金淳子:高達成が連れてきた謎の女。本名は池順玉(チ・スノギ)。

受付の女:ラブホテルの受付の女。

金三奎:東京の韓連の事務局長。

洪正勲:東京の韓連の委員長。

李慶仁:在日本韓国大使館の一等書記官。実はKCIA。

崔民斗:大使館員。李慶仁の部下。宋義哲たちを監視する。

金炳一:崔民斗の部下。

金容植部長:KCIAの部長。李慶仁の上司。

永井条次課長:日本の公安警察の公安外事課の課長。宋義哲たちを監視する。

久保刑事・坂田刑事・菊川刑事:公安警察の刑事。

張永文領事:在日本韓国大使館の領事。

ヘンリー・ジェームス国防次官:アメリカの国防次官。ニクソン大統領の子飼い。

リチャード・ディヴィス一等書記官:在日本アメリカ大使館の一等書記官。

エリック・ジャクソン:CIA極東情報局部長。

金法元:韓国陸軍保安司令部長。

姜相英:KCIAか? 軍部の腐敗を李慶仁(KCIA)に語り、翌日何者かに暗殺される。

 

(コメント)(ネタバレします)

 始めにお断りするが、テロはいけない。特に現代の日本においては。幕末の井伊大老を暗殺した後どうなったか。テロの応酬が続き、内戦に発展し、辛うじてできた明治政府でも内戦が続き、さらには対外戦争を重ねた挙げ句に、日本は焼け野原になった。暴力は何も生まない。なお、ジャコバン独裁が民衆を弾圧したのをテロリズムというテロは、そもそもは、独裁国家が民を弾圧し粛清していくことを指した。この意味でも、テロはいけない。暴力は、何も生まない。明治政府は幸徳秋水ほかを大量に死刑にした。これは国家によるテロだ。そのせいで当時の日本はより悪くなった。ロシア帝政末期、アレクサンドル2世が暗殺されたあと、アレクサンドル3世は支配を強化した。(結局帝政はニコライ2世の時崩壊するが。)

 

 1970年の大阪万博を経て、大阪郊外には千里ニュータウンなどができ、また家電も普及し、日本は部室的に豊かになった。が、大阪の下町の長屋に住む在日たちは、まだ貧しい、とまず描写される。朝鮮(韓)半島では南北対立がある。それに伴い在日社会にも南北の分断がある。朴正熙政権は軍事独裁政権で、日本の帝国主義(資本家、政治家など)と結びつき、半島の統一を願う民衆を裏切っている、と宋義哲には見える。

 

 1972年7月4日、突如として(と宋義哲らには見えた)南北共同声明がなされ(73頁)、統一への気運が盛り上がったかに見えた。韓青協北朝鮮系の朝青協と合同集会をしようと盛り上がる。宋義哲はそこで北朝鮮系の人たちと出会う。だが、統一の機運はそれ以来盛り上がらず、1973年8月には金大中拉致事件という恐るべき悪事がなされる。宋義哲は朴正熙軍事独裁政権に怒りを覚える。韓国大使を拉致して金大中を救出しようというアイデアを思いつくが、周囲の賛同を得られない。宋義哲は思わず東京の韓青協の高炳沢に意中を打ち明けた手紙を書く。だが、この手紙が誤配され、韓連の手に届き、KCIAや公安の知るところとなる。

 

 KCIAと公安は宋義哲を監視するが、アメリカから横やりが入る。アメリカは、朴正熙暗殺を容認しているかのようなのだ。アメリカにとっても朴正熙はすでに排除すべき存在になっているのか。KCIAと公安はひたすら宋義哲を監視するだけで、手が出せない。

 

 宋義哲は、小島義徳たちの協力を得て偽造パスポートを作成、さらに日本の警官の銃を入手した。それを金淳子に運ばせ、高達成の手引きで射撃の訓練もする。うまくソウルに潜入、1974年8月15日、光復節(韓国が日本の支配から独立した日。北朝鮮では「解放記念日」と呼ぶ)の祝賀会場で朴正熙大統領を狙うことになるが・・・

 

 

 ラストあたり、金淳子は言う、「わたしはこの国を愛してる人間。この国の真の自由と自立を願っている人間」と言う。対して宋義哲は言う、「おれはちがう。おれは朴正熙の屍におれの名前を刻み込んでやる。それだけだ」と(398頁)。ここから、宋義哲は、南北統一、抑圧された民衆の解放、といった政治的目的をすでに離れ、自分が自分であることの証明のためにテロを行おうとしているとわかる。

 

 銃による大統領暗殺には失敗するが、それでもなお宋義哲はナイフを持って演壇によじ登り朴正熙を刺しに行こうとする。そこへSPたち4人が弾を打ち込む。宋義哲は絶命する。金淳子は思う、「これほど果敢でおそるべき執念を燃やして自らの命を賭した人間を見たのははじめてだった。・・宋義哲が何のために死を賭してまで闘ったのか、その答えは必要なかった。宋義哲にとってすべての答えは無意味だったのだ」と。(403~404頁)

 

 8月15日に炎のごとく燃え立ち上がり燃え尽きたこの男の死の瞬間を、『死は炎のごとく(夏の炎)』という題に込めたのであろうか。

 

 だが、彼のあり方は、結果責任を問おうとする責任倫理ではなく、行為それ自体を絶対視する心情倫理の典型だ。これは危険な思想である。行動右翼の野村秋介が「おれに是非を問うな激しき雪が好き」と歌ったが、それと同じだ。こうなると右翼も左翼もない。三島由紀夫も恐らく同じ(『豊穣の海』の第2巻『奔馬』のラストも参照)。特攻やバンザイ突撃の思想も同様か。『葉隠』の遮二無二突入する思想だ。恐らく、宋義哲は、在日として生活する中で、自分は何者であるかの問いを問い、一時は朝鮮半島の民衆の幸福と統一を思ったものの、結局は激しい行動それ自体に自己の存在証明を求めてしまったのではなかろうか。作家・梁石日は、自分も在日として生活する中で、自分とは何者か? という問いを持ち続けていたに違いない。自分とは、この激しい行動そのものだ、という美学を、ここで描いて見せたのだろう・・だが、作家・梁石日自身は、そういう短絡的な直接行動には出ない。彼は作家としてそれを虚構の中で描いてみせたが、現実生活においては彼は毎日新聞社と契約して原稿料を貰って良識ある市民として暮らしている。読者はそこを混同してはいけない。小説の宋義哲は4人のSPによりその場で射殺された。現実の文世光は逮捕され裁判ののち処刑された。まがりなりにも法治国家ではこのようにする。両者の違いの意味は大きい。作家・梁石日は、本作で、宋義哲に、より非日常的で劇的な死を与えたのだ。

宋義哲の最初は素人としての単純な思いつきがここに至るまでには、アメリカ、KCIA、公安、北朝鮮などの思惑が働き、国際情勢が大統領襲撃を可能にするように動いた面がある、と本作はほのめかす。宋義哲はその意味では世界的謀略の中でコマとして使い捨てられたのだ。何も知らす取り残された宋義哲の妻子が哀れだ。

読後感は寂しい。高達成、金淳子、小島義徳、長山智彦ら関係者全員が暗殺される。大変残酷で空しい結末だ。

 

 なお、朴正熙大統領は、たしかに軍事独裁政権であり、アメリカの要請を受けてベトナムへ韓国兵を、のべ31万人送り込み、また反政府活動を厳しく取り締まったが、他方、朝鮮戦争後の韓国を高度経済成長させた、と肯定的に評価する見方もある、と付言しておく。また、「朴正熙の開発独裁と政策なき成長 ベトナム戦争の影響を中心に」朴根好(静岡大学)『現代韓国朝鮮研究』第16号(2016.11)という論文もある。アメリカは韓国朴正熙政権を共産主義勢力に対する「ショーウインドウ」として位置づけ後押しした、とする。

 

 韓国はすでに高層ビルとハイウェイに覆われ、一人あたりGDPにおいて韓国が日本を上回り、BTSが世界で受容され、ノーベル文学賞をハン・ガン氏(女性)が受賞し、日本にも韓国ドラマや韓国文学のファンが沢山いる現状(2024年、令和6年)を、梁石日氏や朴正熙大統領が見たら、どう感じるだろうか。韓国の若者が格好良くダンスで踊っている。世界の人がワーワー言って幸せになる。大変結構なことではないか。