James Setouchi

2024.11.21

 

宮本百合子『伸子』

 

1        宮本百合子 1899(明治32)~1951(昭和26) 

  東京都生れ。作家。父祖は米沢藩士(米沢は上杉、奥羽越列藩同盟)の家系で、祖父は福島の郡山近くの安積(あさか)原野の開拓をした。父は設計士。母方も佐倉藩(千葉、譜代)の武士の家系で、母は倫理学者で明六社の西村茂樹の長女。百合子は本名ユリ。幼時父の仕事で札幌にもいたが、東京育ち。文京区の誠之小学校、お茶の水高等女学校、日本女子大予科(英文科)に学ぶ。父と渡米。荒木茂(東洋語研究者)と結婚。帰国し創作や慈善活動を行う。数年で荒木と離婚。湯浅芳子(ロシア文学研究者)と知り合う。長編『伸子』を書く。昭和2年(1927年)ソヴィエト旅行。昭和5年帰国後プロレタリア作家同盟に加盟。昭和6年宮本顕治と知り合う。昭和7年宮本と結婚。執筆活動も行うが、何度も検挙され入獄し体調を崩す。夫の顕治も非合法活動、検挙、入獄。経済的・精神的に困窮。官憲の検閲を受けつつ執筆活動。戦時中も検挙、拘置所勾留、病などで苦しむ。夫の顕治は網走刑務所へ。やがて昭和20年(1945年)の敗戦。百合子は新日本文学会、婦人民主クラブ創立のために働く。共産党中央委員候補に選ばれたり、反戦、平和擁護運動の先頭に立って働いたりする。執筆も続ける。昭和25年レッド・パージで宮本顕治が追放される。百合子は昭和26年1月病で死去。享年52。(集英社日本文学全集の年譜、小田切進の解説などから)

 

2 『伸子』大正13(1924)年~大正15(1926)年発表。作者20代後半の時の作品。

 宮本百合子はアメリカで荒木茂という年上の人物と結婚、帰国し約4年間結婚生活を送るが、大正13年6月に離婚した。この間の事情を小説化した、言わば「離婚小説」(明治書院『日本現代文学大事典』の中村智子の表現)。離婚後の大正13年9月から大正15年9月まで『改造』に順次発表し、大幅に手を加えた。単行本は昭和3(1928)年改造社から出した。この時宮本百合子は29才だった。

 

(登場人物)(ヤヤネタバレ)

佐々伸子:主人公。良家の子女。アメリカで年上の学究・佃一郎と出会い恋愛の情熱 

 に駆られ、周囲の反対を押し切って結婚。帰国し伸子の実家に同居するが、二人で 

 新居を構え、さらに夫婦仲がこじれ、悩みながら遂に離婚を決意。

ミス・プラット:NYの大学の先生。伸子と佃の関係に批判的な忠告を与える。

高崎直子:佃のかつての知人。伸子と佃の関係に警告を与える。

佐々:伸子の父。中流の上くらいのクラス。良識があり、娘思い。父祖の地は東北のF

 県のK市。文京区千駄木の動坂に住宅がある。

佐々多計代:伸子の母。世俗的道徳に厳しく、佃一郎と相容れない。

佐々和一郎:伸子の弟。

佐々保:伸子の弟。

佐々つや子:伸子の妹。

佐々ゆき子:伸子の妹。生まれたばかり。

K市の祖母:伸子の父方の祖母。東北に住んでいる。

おとよさん:祖母の女中。

須田しず:伸子の伯母。関東大震災で圧死。震災では他にも親族が圧死した。

佃一郎:伸子の夫。長年アメリカにいて古代ペルシア語の研究・翻訳をしていた。大

 人しく口下手。結婚相手としては周辺からの評判が悪い。伸子と恋愛結婚し帰国す

 るが・・・

佃の父母:白山連峰が見え浄土真宗の盛んな土地の人。姓は岡本。一郎は実は岡本家

 から佃家に養子に行き戸主になっていた。

柚木博士:伸子の師とも言うべき老博士。

阪部:佃の数少ない友人の一人。大学の先生(植物学)。

楢崎佐保子:伸子の文学上の先輩。十歳年長。ロシアの女流数学者や女性作家の伝記

 を翻訳している。夫あり。

吉見素子:ロシア文学の研究者。独身。伸子と仲良くなり、伸子に大いに刺激を与え

 る。

 

(あらすじ)(かなりネタバレ)

 佐々伸子は父に連れられNYへ。そこで多くの人と出会う。第1次大戦が終わりNYの祝勝気分を目撃する。佃一郎という年上の学究と出会い、恋愛感情が高まり、伸子から求婚してしまう。周囲は「佃さんは評判が悪い」と忠告するが、それを押し切っての婚約だった。

 

 帰国し文京区千駄木あたりの動坂(どうざか)の実家に住む。だが、佃一郎は、伸子の母親の多計子の気に入らず、対立が生じてしまう。二人は実家を出て、すぐ近くの片町の小さな家、さらには赤坂の家に住む。一郎は大学で教える職を得た。伸子は小説を書きたい。だが、そこでも伸子の理想の結婚生活は叶えられなかった。伸子は自由にのびのびしたいが、佃一郎は大人しく、無口で、静かに毎日を送りたい人間だった。かつ、伸子の目から見たとき、佃一郎は、何をしたいという主体性が不明確で、「君が望むならそうしよう。僕の人生はすでに捧げたものだから」と何でも相手のせいに責任転嫁するように見える。

 

 伸子は二人で那須に旅行したり、一人で父祖の地である東北に行ってみたり、動坂の実家に戻ってみたりする。その過程で関東大震災があったり、佃一郎が血を吐いたりする。伸子は葛藤し、自問し、佃一郎と何とかやっていけないものか、それは無理だ、離婚するしかない、という気持ちになっていく。

 

 伸子は吉見素子という独身のロシア文学研究者と知り合い意気投合する。その刺激を受け、「新しい生活をしたい」「時期が来た」と決意し、離婚の手紙を佃一郎に送る。

 

 伸子は佃一郎に言う、「あなたに本当に入用なのは細君である一人の女なのよ。・・伸子だから、というのでは決してないわー・・」・・佃一郎は小鳥を放しながら「ああ、ああ、鳥でさえ帰ってくるのにー・・君は・・君は・・」と嘆く。伸子は「飼鳥になっては堪らない」と思う。

 

(コメント)(完全ネタバレ)

 女性の側から求婚し、女性の側から離婚もする。これは当時としては珍しかっただろう。当時としては珍しい、覚醒した、主体的に人生を選ぼうとする女性だった、とまずは言えるかもしれない。

 

 伸子の側から書いているので、佃一郎の側から書けばどうなるのだろうか、と思った。

 

 伸子の葛藤はよく書けている。当時の自分の内面をよく覚えていて、細かく書いている。但しそれは見方によっては離婚に至る自己弁護、弁明にも見える。佃と出会った初期の頃から周囲に「佃さんは評判が悪い」と言わせているのは、離婚に至るための伏線かも知れない。佃はたしかに世渡りの下手な奇妙な男だが、佃を自分の愛で変えたい、でもそれはどうやら難しい、世間の目を気にする自分もいる、など、自分の気持ちについては丁寧に分析して書いている。が、佃については本当に書けているだろうか? 宮本百合子はまだ二十代で、離婚してから日が短いので、そこまえ要求するのは酷かも知れないが。

 

 佃はどういう人物なのか。本作では随分悪人のように描かれてしまうが? 

 

 恐らくは岐阜か北陸か(モデルの荒木茂は福井出身)に岡本の家に次男として生まれ、佃の家に養子に出され、アメリカで古代ペルシア語の勉強をこつこつとやっているが、無口で、社交ベタ。NYでは佃のことをよく言う者はいない。佃が自分の意志を明確に言わず何でも「それがあなたの幸福になるならそうするといい。私はどうせ捧げた体です」などと責任逃れをしている(「偽善的」とある)ように見えるのも、伸子の側の見立てであって、佃には佃の側の事情があるかもしれない。他家に養子に出されたことも関わっているかも知れない(漱石『こころ』のKは次男で養子に出された。)「決して私は家政婦を求めているのではない・・・私はもとから、何か自分の仕事を持つ女の人を助けて、立派なものにしてみたいという考えを持っていたのだが・・・」とNYで佃一郎は言った、伸子は喜んだ、という記述もある。(第二章の五)佃一郎は在米期間が長くYMCAで活動していた(他者のために尽くす姿勢があった)ことも関係しているかも知れない。しかも、作品の半ばあたりで、実は結核ではないか? という疑いが明らかにされる。結核だったことを隠して結婚したなら卑怯だ、と伸子の母は非難する。世俗的道徳(対面など)を重視する伸子の母にしてみれば、佃は気に入らない。こうした周囲に包囲され、佃は孤独な生き方が身についてしまったのだろうか。これを愛して変えうると思い込んだ伸子が子供だった、ということか。佃は独身で学究生活に専念すればよかったのか。佃は一応大学に職を得るので、そういう偏屈な人の妻でもよい、という女性ならよかったのか。伸子は自己の伸張を自由に行いたい女性なので、家庭や結婚の枠に収まらなかった。要は二人は性格があわなかったそれを伸子が学習するのに4年間必要だったのだ。・・このように考えることもできる。

 

 世界には無数の何でもない男というのがある、佃もその一人だろう、ただ、伸子とは合わない。「伸子は(自分の幸福を:JS)食いたい人間であった。きびしく空腹を感じる人間であった。食わずにはいられない人間であった。」伸子は「仕事ができる」ことが大事、「自力で立とう」と考える(四章の六~七)。ここは気になる。ここで「仕事」とは伸子の書く小説を指すから、「大日本帝国の富国強兵に有用な人材たれ」という当時のありふれた価値観に直結するわけではない。が、佃を「無数の、何でもない男」と断定するのはどうか。「少数の、何者かである男」であるべきだという価値観がここには隠れている。かつ、伸子自身も「何者か」になりたい。「無数の、何でもない女」にはとどまりたくない。(大正新時代の、個性の伸長をよしとする時代思潮の反映であり、すべての人が自由に自己を拡張すべきだ、と言うのならわかるが、)世の中には「少数の、何者か」である男女と、「無数の、何でもない男女」とがある、という思想は、一種の選民思想、英雄主義、選良主義ではあるまいか。それが世俗化すると、容易に「大日本帝国に有用な人材」云々の思想に転化しうる。伸子は、母や周囲のそういう世俗的価値観を嫌ったはずではないか。伸子は一歩間違えるとこの思想を内面化してしまっていたかもしれない。漱石は『それから』や『こころ』で帝国に「役に立つ・立たない」といった思想を批判したはずだった。「先生」は役に立たないけれど価値があるのだった。伸子はまだここへの考察・分析が甘く、自分で何を言っているのかわかっていないのだろう。伸子を批判するべく作者・宮本百合子はこう書いたか? というと、そうでもないようだ。ここではほとんど伸子=宮本百合子だ。

 

 現代のフェミニズム・男女平等の理念に私は理解がある方だと思うが、もうひとつ、男女に限らず「役に立つ・立たない」「有能である・ない」「世の中で活躍している・していない」という基準で物を言うことに対して、大いに疑問を持っている。帝国や経済大国に有用な「人材」であるべきだ、としたとき、そうではない人の価値が貶められる。今まで能力や成果で人を差別してきた男性原理(言うまでもなく間違っている)を、女性も内面化してしまうとすれば、さらに間違いを重ねることになる。宮沢賢治(1896~1933)は「みんなにデクノボーと呼ばれよう」と言った。達磨大師(500年頃)は時の権力者に坐禅の効用を問われて「無功徳」と返答してのけた。キリストは「大工たちの捨てた石が、隅のかしら石となった」と言った。「何者か」「ひとかどのもの」であるべきとする思想は、その時代社会の政治や経済の傾向に縛られて偏向した差別思想に陥りがちだ。ここは気になる。宮本百合子はこのあとどうするだろうか。

 

 或る被告(引きこもりだった)に対し、検事が、「引きこもりのまま人生を終えても、少なくとも社会にマイナスを与えない。それだけでも重要」「**さんは全然、替えがきく。逮捕されても誰も困らない」「すごくかわいそうな人」「**さんは社会に貢献できないなかで必死に外に出て社会にマイナスを生む」「私とか社会に貢献している人間が、**さんのようなかわいそうな人に何ができるかというと、権利をできる限り尊重してあげること」「憲法とか法律の専門家は私も含めてメジャーリーガーだとして、**さんは小学校低学年くらいの知識」などと、上から見下した侮蔑的な発言をしていた(R6.11.21(木)の朝日新聞)。きわめて不適切な取り調べだ。人権・法治国家を支えるべき検事としてのありかたから逸脱しているし、そもそも人間として間違っている。相手の悲しみが見えず、自分は何者かであるからエライ、相手は何者でもないからエラくない、という発想が染みついてしまっているのではないか? 難関大法学部をお出になって難関の司法試験を突破され検事になられても、法や人間に対する認識がこの程度では困る。一体今まで何を学んできたのか? 

 

 千田洋幸という人が、(言葉は正確ではないが)有島武郎は『或る女』(大正8)の中で人間という主体を解体し多元化する書き方をしている、男性的な<リアリズム>の理念を解体しようとしている、だが宮本百合子の『伸子』は「ただひたすらそれに追随するしかなかった小説」だと述べている(『東京学芸大学紀要』第2部門第45集、1994)。これも示唆的ではある。

 

 このあと、佃はどうなるのだろう。モデルの荒木茂(1884~1932)は百合子と離婚の翌年別の女性と結婚した。東京帝大などでペルシア語を教えた。日本におけるペルシア学の先駆者だ。咽喉の結核で48歳で没。大野延胤に「荒木茂小伝」(学習院女子短大紀要25号1987.12.25)がある。

 

 伸子のモデルで作者の宮本百合子は、のちプロレタリア文学運動に参加し、33歳の時に宮本賢治(1908~2007)24歳(のち日本共産党委員長)と再婚するが、顕治は百合子よりも9才年下だった。『風知草』(昭和21年)には、百合子と賢治を髣髴させる二人の夫婦生活が描かれている。こちらの方は、互いが互いを思いやり会話も弾んでいるように見える。『伸子』の悲惨な夫婦生活とは随分違う趣だ。     

 

 結婚を考えている二十代の女性が読んだら、「これが結婚なら結婚なんかするものではない」と思うだろうか。考える材料にはなりそうだ。結婚は男女二人だけの問題ではすまない。それぞれの家族・親族や友人との関係もある。病気や社会情勢との関係もある。本作では経済的問題はあまり浮上しない。「おさんどん」(家事)を誰がするかもさほど浮上しない。(有島『或る女』では主人公・葉子は「あなたはおさんどん」ができるか、と危ぶまれる。)伸子の実家は豊かで女中が雇える。佃は独身時代が長く台所仕事ができる。   

 

有島武郎(1878~)を連想させる人物は本作にも登場する。人妻と情死し、伸子に衝撃を与える。有島は荒木茂(1884~)や宮本百合子(1899~)よりも先輩。

牧野信一(1896~)と宮沢賢治(1896~)が宮本百合子と世代が近い。

梶井基次郎(1901~)は震災後の東京で帝大生となり創作を行う。宮本百合子とほぼ同世代だが、梶井は病気・怠学による留年が長い。

埴谷雄高(1909~)『死霊』(作品は戦後)の主人公たちは昭和初め頃の旧制高校生。宮本百合子より少し年下だ。宮本賢治(1908~)とほぼ同世代。