James Setouchi
2024.11.13
牧野信一 の 短篇から(2)『鱗雲』『村のストア派』『バラルダ物語』ほか
1 牧野信一 1896(明治29)年小田原生まれ。家は没落士族。父が渡米、帰国後も別居。母は小学校勤務。祖父母に育てられる。小田原の小学校、中学校を経て早稻田大学高等予科、本科(英文学科)に学ぶ。一時時事新報社に勤務。東京、小田原などに住む。38歳で憂鬱症になり1936(昭和11)年に小田原で自死。
初期は家族のいさかいを描いた『地球儀』『父を売る子』『父の百ケ日前後』など。やがてギリシア・ローマの知識を多く取り込んだ『村のストア派』『吊籠と月光と』『ゼーロン』『バラルダ物語』『酒盗人』などを書く。さらに『泉岳寺付近』『鬼涙村』『裸虫抄』『淡雪』など。
牧野は、島崎藤村に見いだされ、坂口安吾を見いだした、と言われる。自身の家族や田舎を舞台にした私小説風の作品が多いが、書いていることがすべて彼の家族の事実というわけではない。(集英社日本文学全集の年譜他を参照した。)
(ネタバレ有)
2 『鱗雲』昭和2年発表、作者31歳の年。
舞台はA町(恐らく小田原)の近くのB村。そこに「私」の知り合いの青野家があった。B村はムカデの形をした大きな凧を揚げる風習がある。家々は競い合う。青野家は立派なムカデ凧を揚げる名家だった。「私」は幼少期にその凧揚げを見に行った。
・・・青年になり「私」は結婚している。東京から故郷の(小田原の)町に戻ってみると町はすっかり変わっている。幼少期のB村の凧揚げが懐かしい。B村の青野の家を訪問。青野の家も「私」の家同様没落していた。青野の妹の冬子がいた。冬子は馬にのる名人だ。「私」は冬子と昔馬に乗ったことを思い出す。・・・今は青野兄妹ともども脳病院にいて面会が許されない・・・
失われた過去の至福への追憶を語っている。ムカデ凧が空中に逃げ人々が追いかけるシーン、冬子とのシーンなどは描写がうまく、読ませる。本作ではまだギリシア・ローマの言辞は用いていないが、ところどころで英単語を用いる。おそらくは小田原に近い田舎のB村の様子を描写するのに、「Cross country racer」「Fox Trot」という英単語を用いている。
冬子と恋に落ちるのかと思ったら、そうではなく、冬子も脳病院で隔離されているとは、急な結末だ。どうしてそうしたのだろうか?
3 『村のストア派』昭和3年発表、作者32歳の年
樽野は芸術家(明示していないが小説家だろう)。妻がいる。(妻の?)弟の正吉、友人の弟の林、妻の友人の加代子らと交際している。彼らは蜜柑狩りに来たが、実はその密柑山はすでに人手に渡っていて、泥棒呼ばわりをされた。樽野の母がGという如才ない男と組んで資産をどんどん処分してカネに換えているのだ。樽野は家の立ち退きをも迫られている。山羊鬚の執達吏と金ぶち眼鏡の銀行員がやってくる。
樽野の家の奥には遊園地がある。村では春祭りで楽しそうだ。花火が鳴る。音楽隊が来る。樽野は見に行こうとするが、債権者やその手先には会いたくない。
樽野は本来エピキュリアンか。Gからは「芸術家の生活というものは帰着するところたいがいストア流だと思うがどうでしょう?―フ・・・!」等と言われる。
自宅の家具は差し押さえの赤い札だらけだ。樽野は家を出て行くしかない。
樽野は芸術への志はあるものの、資産がどんどん(母によって)売られ、生活の場所がなくなっていく、追い詰められた現実がある。樽野は母を憎むがGにはうまく担がれているように見える。語り手は明言しないが樽野がお人好しで欺かれている、実務能力がないことを暗に示しているようだ。
また、これらを描写するに、アレキサンドル大王、クレオパトラ、オレリアス帝、などの名辞を用いて描く。これが本作の強い特徴だ。樽野は古代西洋哲学の本を読んでいる。恐らくは小田原近辺の田舎の現実が、西洋古代のイメージと重ねられる。悪く言えば現実逃避だろう。ここでも、樽野がこの知的遊戯により現実逃避していることを、語り手は明言しないが暗に示しているようだ。
現実から浮き上がる樽野。現実は悲惨だが、どこかしらカリカチュア化されていて、ユーモラスだ。作家の牧野自身は、自分の現実を小説化しカリカチュア化することで救われていたかもしれない。
題名の「ストア派」は一カ所しか出てこない。Gが樽野をさして「芸術家の生活というものは帰着するところたいがいストア流だと思うがどうでしょう?―フ・・・!」と言うところだけだ。「―フ・・・!」と言うところが大事で、Gは樽野を馬鹿にして含み笑いをしている、と作家は読ませたいのだろうか。確かに樽野は金儲けのためには生きていない。だが、本当はエピキュリアン的に「遊びに出たい」と思っている。一見ストア派、実際は遊ぶ金がないだけ。この題名も自虐的な皮肉を効かせているということか。
*ストア派は禁欲主義、エピクロス派は快楽主義、と言われる。
4 『吊籠と月光と』昭和5年発表。作者34歳の年。
「「僕」は三個の個性を持っている。Aは芸術家、Bはストア学派、Cは自然科学者。この三人が旅に出る・・」という小説の糸口を「僕」(作家のマキノ)は考えついた。「僕」は2階に住んでいて、1階とは手動の吊り籠(エレベーター)で行き来する。酒場で友人の七郎丸に会う。七郎丸は猟師だが久しぶりに持ち船が手に入るので喜んでいる。船大工の丸源の一家が月明の中で七郎丸の船を作っている。と思うとそれは旅に出たはずのAとBとCだ。・・という妄想に耽っていると、そこへ妻が仲間を引き連れてやってくる。仲間たちは田舎で共同生活をしている若者で、失業者たちだ。彼らをエレベーターで2階に引き揚げた。彼らは「僕」の本屋や時計や着物を売ってカネを作ってきた。皆で七郎丸の船に乗って会場で生活しようと言うと、仲間たちは喜んだ。
この小説も面白くはあるが、「僕」の現実なのか妄想なのかが理解しづらいところがあった。若者たちで失業していて共同生活をしているというのが、現代とつながるところがあると思った。「僕」は居酒屋を「マーメイド・タバン(人魚亭)」と呼んだクリスマス・プレゼントをアメリカ人の女性と交換したりアメリカ・インディアンのガウンを羽織ったりする。「僕」は夢想家で、現実のしがない(恐らくは小田原での)暮らしに対し、西洋のイメージをかぶせて暮らしている。
冒頭でABCを出したのに後半で生きていない。妙なプロットで、破綻しているのではないか? 私の読み落としか? と思ったら、松岡正剛が『千夜千冊』で「変な筋書き」と書いていたので私も安心した。たしかに「変な筋書き」だ。だが、妙に面白い。牧野の小説はこの類いがいくつもある。
*本文には「釣籠」と書いて「つるべ」とルビが振ってある。
5 『ゼーロン』昭和6年発表、作者35歳の年。
「私」は常川槇雄という高名な木彫家の手になる「マキノ氏像」を預けるため、小田原近郊のヤグラ嶽の森蔭に住む藤屋八郎氏を訪問することに。彼は自らの住居をピエル・フォン(フランスの丘で中世の城がある)と呼んでいる。塚田村の水車小屋の知り合いに頼んでゼーロンという馬を引き出す。ゼーロンはかつて「私」が仲良くした馬だ。ところがゼーロンはなぜか途中で動かなくなってしまう。「私」はゼーロンを「プセハラス(アレクサンダー大王の馬)」「ペガサス」などと励ますが空回り。塚田村を過ぎ猪鼻村を迂回する森に入る。森には拳銃使いが住んでいる。猪鼻村では火事の半鐘が鳴っている。「私」はゼーロンと格闘しながら前進する・・
本作は西洋の古代・中世の言葉が多出する。小田原郊外の山中に西洋の古代・中世の物語がかぶさる。「私」の孤軍奮闘が面白く、一種の喜劇小説と読むべきか。『ドン・キホーテ』から着想してはいるだろう。
ラストの注はなぜついているのか? 結局思う相手に届かなかった、ということか、この像は実在しているということか、その後も変遷があったよということか。
小田原から山地に入ればこのような魅力的なところがあるのか、と思えてくる。実際に今行けば過疎地で困った地域であるに違いないが、本作に描かれたそこは、魅力的な別天地だ、と私は感じた。
*南足柄市に矢倉岳(870メートル)は実在する。猪鼻は坂田金時がいたところ。
6 『バラルダ物語』昭和6年発表。作者35歳の年。
水車小屋に雪五郎という親父と、その子、雪太郎、雪二郎、お雪が住んでいる。水車で米をついて稼ぐはずが、日照りで水車が回らず、金に困っている。「私」は没落して水車小屋の世話になっている。銀行の接待係の桐渡鐐之助と叔父貴が共謀して「私」の老母をたぶらかして財産を巻き上げる。お雪が狙われる。お雪は「私」の妻と共に山奥の唐松部落に避難させた。唐松部落は神楽用の仮面を作り春秋には仮面野外劇の旅芝居をする人々の住む、「世にも平和な村」だ。ここ龍巻村では祭礼で大天狗と大太鼓が練り歩く。大太鼓を打つのは鎧武者だ。ところが火事で鎧は「私」のところにしかない。雪五郎たちは「私」が大太鼓を打てばよいという。おりしも雨が降り出した。これで水車が回る。雪五郎たちは喜んだ。
本作でも「私」の財産は叔父貴らに奪われる。だが、「私」には水車小屋の雪五郎たちがついている。田舎の怪力の大男たちで、「私」に対し徹頭徹尾親切だ。この話はバッド・エンドでなくグッド・エンドなので、読後感もよい。
ふもとの町には銀行家がおりあくどいが、山奥に行くほどいい人たちが住んでいて理想の桃源郷がある、という図式だ。本当に田舎ほどいい人たちが住んでいるだろうか? 小田原で財産を奪われいやな思いをしているので、田舎を賛美したくなっているのでは?
本作でもアービス、アヌビス、ガスコン民族、ゴッス人、StyXなど西洋の名辞が振りまかれる。「知的幻想趣味と徹底した快楽主義的生活との交錯によって、独自のボヘミヤニズムを生みだし・・」と福武文庫カバーにあるが、うまい表現だ。
7 『酒盗人』昭和7年発表。作者36歳の年。
舞台はやはり小田原近辺を連想させる。音無村の強欲な酒造業者を仲間と共に遅い酒を手に入れる冒険譚。
カネは払っているのだから泥棒ではない。ただ、相手はそのカネを、今までの負債の返済だと理解し、酒代だとは理解していないだけだ。町の飲み屋サイパンの呑み仲間と共に「私」は行動を起こす。「私」はノルマンディの海賊の戦いの唄を吹奏して出発した・・
本作でも西洋の名辞が散りばめられる。「私」たちはあたかも西洋の英雄豪傑のように酒蔵を襲い、強奪に成功する。単に田舎の貧しい酔漢たちの乱暴に過ぎないものを、いや、西洋の豪傑たちの英雄的ふるまいだ、と幻想しながら描写する。こうして苦しい現実を耐えて生き延びようとしていたのかもしれない。
キリスト教や仏教や老荘思想で現実に対して観念をかぶせていくのも、無神論者に言わせれば、同じだろう。(真面目な信者に言わせれば大違いだろうが。)牧野信一なりに西洋の冒険譚の名辞を用いて、苦しい現実を乗り越える新しいやりかた(宗教とは異なるそれ)を模索していた、と言えるだろうか?