James Setouchi
2024.11.10
若桑みどり『絵画を読む イコノロジー入門』
ちくま文庫(もと1993年NHK出版)
(美術史)
1 著者 若桑みどり1935~2007年。東京藝大美術学部芸術学専攻科卒。1961~63年ローマ留学。専門は西洋美術史、表象文化論、ジェンダー文化論。千葉大名誉教授。著書『薔薇のイコノロジー』『クアトロ・ラガッツィ』『戦争がつくる女性像』『イメージを読む』『象徴としての女性像』『お姫様とジェンダー』『イメージの歴史』『聖母像の到来』など。ジェンダー文化研究所設立でも知られる。(本書カバーおよび解説の著者紹介から。)
2 『絵画を読む イコノロジー入門』
美術史の方法であるイコノロジー=図像解釈学について簡単に説明し、その立場から何枚かの絵画について解釈を試みた本。扱っている絵画は、カラヴァッジョ『果物籠』、ティツィアーノ『聖なる愛と俗なる愛』、ボッティチェッリ『春』、ニコラ・プサン『われアルカディアにもあり』、ミケランジェロ『ドーニ家の聖家族』、フラ・アンジェリコ『受胎告知』、レンブラント『ペテロの否認』、ブロンズィーノ『愛のアレゴリー』、ジョルジョーネ『テンペスタ(嵐)』、デューラー『メレンコリアⅠ』、バルドゥング・グリーン『女の三世代』、ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』。入門者に配慮しつつ、ある程度高度な内容に入っているので、読者の知的関心を満足させる。某大学の特別選抜の指定図書になっていたので読んでみたが、そのためだけでなく有益だった。西洋史とキリスト教の知識があった方が読みやすいが、別の言い方をすれば、西洋史とキリスト教の知識がなければ西洋人と西洋文化については話が出来ないよ、ということでもある。なお、解説の宮下規久朗氏によれば、イコノロジーは、イメージから象徴的な意味や思想を解読する方法論で、ドイツのヴァールブルクが創始し、パノフスキーが理論化、集大成した。20世紀末には批判も生じたが、ニュー・アート・ヒストリー(知の最前線である思想や哲学よりも、より現実的な政治・経済・社会や、観者の感情や趣向といった歴史的文脈から重層的に考察する、社会史的な方法)はイコノロジーと相反するものではない。では、本書からいくつか紹介してみよう。
(1)カラヴァッジョ『果物籠』(16世紀末):著者はカラバッジョ研究から出発した。そもそも果物など静物をなぜ描くのか? エジプトの壁画では王への供物であることが分かればよかった。ラスコーやアルタミラの洞窟画ではリアルに描写しこれを倒すための呪いをした。古代ギリシアでは自然哲学が発展し自然を真実らしく描写した。キリスト教世界では自然模倣は姿を消した。パンやワインは聖体の象徴であり現実性は意図的に排除された。16世紀半ばには静物画ジャンルが独立し始めるが、「あてにならない事物と感覚の世界を象徴する主題として発展」した。楽器やガラスや果物は「はかなさ(ウァニタス)」の寓意だった(33頁)。フランスのアカデミーでは宗教画が最高、静物画は最下級とされた。カラヴァッジョは「花の絵を描くことと、聖母の絵を描くこととは同じ価値がある」とした(37頁)。静物は、「聖なる精神の糧とは対照的な世俗的な快楽のための食事」(41頁)であり、「退廃しやすい快楽の寓意」(43頁)があった。宗教改革(注1)で偶像崇拝を禁止し、信仰生活の中心が広大な教会ではなく市民の家庭に移行したこととも連動している(44頁)。20世紀初のピカソの『アヴィニョンの娘たち』にも、実は果物籠が置かれている。「ピカソがやはり快楽の退廃を思って置いたのではないだろうか。」(50頁)。(注1:ルターの『95か条の論題』は1517年)
(2)ボッティチェッリ『春』(1477~78)と『ヴィーナスの誕生』(1482~86頃):どちらも有名な絵だ。前者は森の中で服を着た女性の周囲に群像が複数。後者は海で貝殻に載ったヴィーナスの左右に人物。どちらも新プラトン主義の世界観が表現され、二枚の絵画によって、「天から地へ、地から天への円環の運動が完成されている」(71頁)。まず後者は、「晴朗で開けた世界」、「軽快な、天上的な、また霊的な要素が強調」されている。ヴィーナスは「実に天上的な光輝ある姿」だが、西風のゼフュロスとニンフのクロリスが抱き合い「快楽のばらの花」を吹き送っている。次に前者は、「大地的要素」、花と果実が描かれ、ヴィーナスの腹はかすかに膨らむ。が、ヴィーナスは天上の星のしるしのついたマントをまとい、また、「天と地を結ぶ使者であるメルクリウスが、あたかも天上への道を指し示すかのようにその杖を天に向けている」(76~78頁)。左の三美神は「愛欲」「貞節」「美」で、対立するものの調和を示す(83頁)。ビーナスの頭上の目隠しをしたクピド(アモル)は官能的な愛の象徴。従来の解釈では「貞節の中に愛欲の炎を吹き込む」寓意とされたが、ウィントはピコ・デッラ・ミランドラを援用し神への愛は理性を超える(理性を超えた歓喜の中に神と合一する)、という命題を表現しようとした、と解釈する。レヴィ・ダンコーナは、若くして亡くなったジュリアーノ・デ・メーディチのためにロレンツォ豪華公が計画した絵だ、ジュリアーノの愛人フィオレッタはジュリアーノの子を宿していた、とした。「メルクリウスは、ジュリアーノの魂を天に返そうとして雲を呼んでいるのかも知れない。」その哀愁は、弟を失ったロレンツォ豪華公だけのものではない。「フィレンツエの文化の終末を予感したある時代の精神風土のみごとな表象であった」。(83~87頁)(第Ⅲ章)
(3)レンブラント『ペテロの否認』(1660):ペテロは、ラッファエロやマザッチョ、ダ・ヴィンチなどによっても描かれてきた。ダ・ヴィンチは『最後の晩餐』で激しやすいペテロを描いた。ディルク・ボウツは『キリストの捕縛』で剣を持ったペテロを描いた(141頁)。ペテロは短い巻き毛、短いあごひげとほおひげ、精力的で活気ある男、青い長衣に金のマントを羽織る姿で描かれる。各成人が識別できるような固定した図像の手本が存在することが、アトス山の修道院で発見された。ペテロについては、宗教改革以前には、最初の教皇として、キリストから「天国の鍵」を授けられる場面が重視されていた(147頁)。宗教改革でカトリック教会の権威が危機に陥った頃、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の『最後の審判』でミケランジェロは「怒りに目を剥き出したペテロ」を描いた(148頁)。17世紀に入ると、ペテロは「初代教皇としての権威に満ちた姿」よりも「悔恨」「改悛」の姿で描かれた。「改悛」はカトリックの七つの秘跡のうちの一つだが、プロテスタントがこれらの多くを否定したため、カトリックはこれら秘跡を擁護することが課題となった(149~150頁)。ボローニャ派のグェルチーノの『涙に暮れる改悛のペテロ』(1639)ではペテロは悔恨の涙を流している(151頁)。若きレンブラントの最初の『ペテロの否認』(1628)では、灯火や武具の反射などに絵画的な興味を見いだしていた(155頁)が、五十代のレンブラントの『ペテロの否認』(1660)では、「ペテロの表情は苦悩と苦しみにみちている」(156頁)。しかも右手には刑場に引かれていくイエスをかすかに描く。イエスは自分を否認するペテロを振り返る。イエスの表情には怒りが見えない。「一瞬にすれちがう二人の姿によって、主題の核心が暗示される」。「人間的弱さをもって罪をおかし、その罪によって謙虚となり、そのことによって他の誰よりも熱心な布教者となったペテロの人間像は、偉大でも英雄的でもない、ごく普通の市民の精神によって捉え直された近代的なキリスト教の図像である。」(157頁)(第Ⅶ章)
(4)ピーテル・ブリューゲル『バベルの塔』(1563):有名な絵。ノアの洪水の後人類は栄え、傲慢になり、バビロニアのニムロデは巨大な塔を建設したが、神によって破壊された、と旧約聖書にある。パティニール派はシュメール人のジッグラトをモデルに『バベルの塔』を描いたが、ブリューゲルはローマのコロセウムをモデルにした。ドイツの詩人セバスティアン・ブラントは『愚者の船』の中でバベルの塔を人間の狂気と愚行の一例と見ている。ウォールター・ギブソンは、ブリューゲルの意図ははっきりしないが、ブリューゲルは「人々の言語あるいは宗教が分裂することを嘆き、人々が共通の信仰にこころをあわせることを願ったのではないか」と解釈する(225頁)。森洋子は、「人間の技術的進歩にもかかわらず、完璧に事業を達成することのできぬ不可能性を意味したもの」とする。カユ・ヤーノシュは、「人類のこの壮大な工事は、貧しいものたちにとっての言い尽くせない労苦、はてのない苦痛にすぎないこと」が示されているとする(226頁)。バベルの塔は、奇妙に歪んでいる。この塔は巨大な岩を削って建てられている。岩はカトリック教会の象徴であるから、カトリック教会という巨大な体制の崩壊を意味しているのではないか、と著者(若桑)自身は解釈する(229頁)。さらに、当時のフランドルはスペイン王家の支配下にあり、「愚かな権力のために労働するあわれな人間たち、その無益な事業をブリューゲルはすべて愚行として描いたのではないだろうか。」(229頁)下から四段目の階にカトリックの暗示がある。大国スペインの徴でもある。ブリューゲルは「人間のスケールを無視した巨大建造物の象徴された巨大権力の危険を暗示したのである。この名画の意味するものは、今日いっそう切実なまた普遍的な警告として生きている。」(230頁)(第ⅩⅡ章)
R5.8.9