James Setouchi
2024.11.10
栗原康『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』NHK出版親書658 2021年7月
1 栗原康:1979年埼玉県生まれ。政治学者、作家。早大大学院博士課程に学ぶ(政治学)。東北芸術工科大学非常勤講師。専門はアナキズム研究。著書『大杉栄伝 永遠のアナキズム』『村に火をつけ、白痴になれー伊藤野絵伝』『死してなお踊れー一遍上人伝』『はたらかないで、たらふく食べたいー「生の負債」からの解放宣言』『アナキズムー一丸となってバラバラに生きろ』など。埼玉県在住。趣味はビール、ドラマ鑑賞、詩吟、河内音頭、長渕剛。(本書の著者紹介などから。)
2 『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』
「はじめに」を読むと、年収は200万円ほど。座右の銘は「はたらかないで、たらふく食べたい」。「もらえるカネはいくらでももらうし、ひとに褒められたらそれはそれでめちゃくちゃうれしい。チヤホヤされたい。それにはたらかないといってもないもしないといっているのではない。/わたしは文章を書くのが好きだ。嫌いなのはあくまで『賃労働』。自分のやったことがカネで秤にかけられるのが嫌なのだ。…」全体を読むと、アナキズム(「無政府主義」と言うよりも語源的には「無支配主義」)(大杉栄など)の研究をしている人で、現代社会の資本主義的な搾取ではなく収奪が問題だ、そこからいかに脱出するか? 支配されたくない、ということを考えている人のようだ。
彼が共感を持って描き出している例に、たとえば海賊ジョン・ラカム、「黒いモーセ」ハリエット・タブマン、映画『ランボー』のランボー、荘周と親鸞、ラッダイト運動などがある。
わかりやすい例から言うと、
『ランボー』のランボーは、ベトナム帰還兵で無職。街をフラついていると警官に不審者扱いされ逮捕されリンチを受ける。ランボーは怒って山に逃れてゲリラ戦をする。(97頁)。
海賊ラカムは、別名ジャック・ラカム。『パイレーツ・オブ・カリビアン』のジャック・スパロウのモデルでもある。1682年イギリス生まれだが、水夫になり船長にこき使われ、海賊に襲われ、その機に海賊になる。チャールズ・ヴェインの海賊団のナンバー2になるが、海賊団の投票でトップになる。超快速の小型船でカリブ海を荒らし回り、最後は38才で死刑になる。(57~64頁)ここで注目すべきは、当時の巨大商船のひどい労働環境だ。船長の権力が絶対で、水夫たちは合法的な無法空間の中でひどい目に遭っていた。そこで海賊に襲われ、船長が殺されると、水夫たちは海賊の仲間になることを選んだ。商船は船長と水夫の所得は大変な格差があったが、海賊の分け前はみんなを一としたら船長は一・五。けがをした者への特別手当もある。仲間を絶対に見捨てない。(だからフック船長のように義手の船長も活躍する)。(74~81頁)
「黒いモーセ」ハリエット・タブマンは、1820年アメリカのメリーランド州生まれ。黒人奴隷として売却されそうになり北部フィラデルフィアまで160キロを走って逃亡。奴隷逃亡法(1850年)下のアメリカで、逃亡奴隷たちを300人カナダに逃がした。なお「地下鉄道」が逃がした奴隷は6000人と言われる。(94~97頁)「近代資本主義というと、合理性にもとづいて古い封建的な因習を打破したというイメージがあるかもしれないが、そんなキレイなものではない。アフリカから北アメリカに誘拐された一二○○万人の奴隷たち。資本主義は黒人奴隷たちの血みどろの収奪によってうみだされた。」(107頁)
荘周は曇鸞に影響を与え、曇鸞は親鸞に影響を与えた。親鸞は「おのずから」念仏を唱える境地を語った(自然法爾)。荘周に影響を受けたのは幸徳秋水。「革命は天なり、人力に非ざるなり」と言った。(171~180頁)
ラッダイト運動は、1769年のネッド・ラッドという青年の破壊行動から名付けられた。1811年ノッティンガムで始まり、リーダーはラッド将軍と呼ばれた。ヨークシャー、ランカシャーへと広がったが、大事なのは機械を破壊することではなく、収奪そのものだ。人間が工場で機械装置の道具にされていることが問題なのだ。わたしは工場主のもうけのための手段ではない。(236~258頁)話題は最近のBLM運動にも及ぶ。(260頁)
このように、本書の、従来支配され収奪されてきた側に立って世界史を見直して行く視点は、勉強になる。文体はあえて(だと思うが)論理的説明に徹せず、飛躍とリズムを含んだ文体にしてある。音楽のロックに近いかも知れない。内容は暴力を肯定しているかに見えるところがあるので、私としてはこの点は承服できない。商船の非人間的な仕打ちがいやで海賊になったのは分かるが、海賊はやはり海賊に過ぎない。大英帝国の黙認があったから海賊は成り立ったので、大英帝国の制海権が確立すると海賊はたちまち一掃された。すると海賊は大英帝国の世界支配を結果的に助けたことになる。工場の非人間的な搾取・収奪があったのでラッダイト運動も生じたのだろうが、破壊は肯定できない。しかも小規模工場を襲撃するにとどまり、巨大工場には手が出せていない(246頁以下)。結果として巨大資本の独占を助けることになってはしまわなかったか? NHK出版新書は大抵良書を出していてはずれがないので店頭で見て買って読んでみたが、読んでみると面白い反面危険な面もある本だと感じた。人間社会に果たして秩序は必要か? と根底から問うことも出来る。私は、秩序は必要だと考える。その秩序がしばしば非人間的であるので、改善していくことはもちろん重要だ。民が困窮して海賊や暴動をしなくてもいい良い社会にすればいいのだ。(孟子を参照せよ。)著者は秩序の再建はあまり語らない。体の命ずるままに動けば何とかなる(「おのずと踊れ。輝かしい未来が躍動している。恐るべき子どもたち。アナーキーの自発だ。」(280頁)、と楽観的だ。だが、果たして…?
近現代の資本主義的なシステムが、人間を道具にしてしまっている、そんなのはいやだ、人間として支配されず自分らしく自由に生きたい! という底流にある叫びは、よくわかる。イエスは古代イスラエルの非人間的な支配から人びとを解放した。釈尊はバラモン教のカースト制度からあえて離脱して自由になった。法然や親鸞も同じだ。伊藤仁斎は支配者目線の思想である朱子学を批判し日常人倫に生きた。内村鑑三は非国民・国賊と呼ばれ全く自由な視点を得た。いずれにも共通するものがありそうだ。
3 補足知識(世界史も日本史も倫理も古典も勉強しよう)
大杉栄:1885~1923。無政府主義者。甘粕大尉らによって伊藤野枝らとともに虐殺された。
伊藤野枝:1895~1923。婦人解放運動家、無政府主義者。『青鞜』編集にも携わる。結婚制度、人工妊娠中絶、売買春などを議論の俎上に挙げた。
一遍上人:1239~1289。時宗の祖。伊予の河野氏の出身。踊り念仏を広めた。
長渕剛:1956~鹿児島県出身の歌手。
『ランボー』:アメリカの映画。ベトナム戦争帰還兵であるランボーが活躍する話。シルベスター・スタローン主演。
チャールズ・ヴェイン:1680~1720。海賊。不詳だがロンドン出身。ジャック・ラカムに追放されたあと、海賊をしていたが、ジャマイカで死刑になったという。
ハリエット・タブマン:1820?~1913。「女モーセ」「黒人のモーセ」と呼ばれた。黒人奴隷を救出する「地下鉄道」を組織していたクエーカー教徒に助けられ、自らも「地下鉄道」組織に参加。南北戦争では北軍に従軍。戦後も黒人や女性のために活動したという。
荘周:中国戦国時代の思想家。『荘子』という書物がある。道家思想の中心人物の一人。
曇鸞(どんらん):中国南北朝時代の僧。他力浄土門の高層の一人。著書『浄土論註』など。
親鸞:1173~1262。平安末~鎌倉期の僧。浄土真宗の祖。法然門下。著書『教行信証』など。晩年には「自然法爾(じねんほうに)」を語ったという。
幸徳秋水:1871~1911。高知県出身の無政府主義者。幸徳事件(大逆事件)(1911)の冤罪で死刑にされた。
ネッド・ラッド:18世紀の青年。架空の人物とも。
BLM運動:2020年5月にアメリカのフロリダのアフリカ系アメリカ人ジョージ・フロイド(若者)が警官にひどい押さえられ方をして死亡した事件を機に、全米(全世界)で燃え上がった運動。BLMはBlack Lives Matterの略。似たような黒人差別(迫害)は従来も多発しており、これはいけない、と黒人だけでなく白人も含めて大きな運動になった。なお、黒人解放運動に関して十代(高校生)にも読みやすいのは、ヴォーンダ・ミショー・ネルソン『ハーレムの闘う本屋 ルイス・ミショーの生涯』(ノンフィクション)(注が多くて勉強になる)、アンジー・トーマス『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』(小説)など。(R3.8.22)