James Setouchi
2024.11.6
榎本博明『教育現場は困ってる 薄っぺらな大人をつくる実学志向』
平凡社新書2020年6月
1 著者 榎本博明 1955年生まれ。東大教育学部(教育心理学科)、東芝勤務、都立大大学院、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学助教授などを経て、MP人間科学研究所代表、産業能率大学兼任講師。著書『<ほんとうの自分>のつくりかた』『「やりたい仕事」病』『伸びる子どもか○○がすごい』『「おもてなし」という残酷社会』『自己実現という罠』など。
2 目次
はじめに/第1章 「授業が楽しい」とは、どういうことか/第2章 「能動的に学ぶ」が誤解されている/第3章 学力低下にどう対処すべきか 第4章 楽しいことしかやりたくない!/第5章 学校の勉強は役に立つ/おわりに
3 少し内容を紹介する:昨今の教育改革の大合唱に対する疑問を記した書物。平たい語り口で書いてある。教育学部に進む人はもちろん、みんなで読んで考えてみるといい内容だ。下線部や太字はJSがつけた。
・1993年以降英会話重視への授業に転換した結果、斉田智里によれば、英語の学力は低下している(23頁)。かつてのような英文読解中心の授業なら、英語で書かれた小説や評論を読み、それを日本語で訳すことで、言語能力や想像力が鍛えられ、深い教養が身につき、視野も広がり、知的刺激を十分に受けることができた(24頁)。学校の授業は、単に実用のためではなく、頭の鍛錬、知的発達の促進のために受けるものだ(25頁)。AIの通訳機能が発達すれば、薄っぺらい英語教育で育った人間に生きる道はあるのだろうか(27頁)。
・全国大学生協の調査によれば、大学生でまったく読書しない人間が半数。毎日1時間以上読書する人間が27%。二極分化している。(30頁)苅谷剛彦によれば学力以外の多元的基準で学生を選抜するアメリカの大学では学力低下の問題が著しい(36頁)。
・主体性を評価すると言うが、部活動をする生徒、英検取得の生徒の方が、哲学書や文学書を読みあさり思索にふける生徒、休みの日には森に入り込み自然とふれあう生徒よりも主体的に学んでいると言えるのか(39頁)。内申書のために仕方なく部活やボランティア活動や興味も無い資格取得をする生徒も出てくるのではないか。内申書の得点など気にせず自分の興味に忠実に過ごしている生徒の方が主体的に生きているのではないか(40頁)。主体性を評価する制度になって、空気を読みすぐに流される、処世術に長けた生徒が高く評価されることになった。時代に空気に流される子どもや若者が増えていくことになる(41頁)。
・アクティブ・ラーニングについては「活動あって学びなし」の批判も多い。主体的・対話的で深い学びのための有効な方法としてアクティブ・ラーニングを位置づけることには違和感を感じる。(41頁)(1)「深く考える」ことがすぐに実践や観察可能な活動に結びつけられるのは疑問。純粋に学問を学ぶ喜びに浸ることが深い学びに繋がる。(2)「深い学び」がなぜ「対話的」でなければならないのか、疑問。今の大人は「対話的」に学んできてはいないが、立派に協同して働いている。特に日本はアメリカと違い「間柄の文化」なので、もともと他者に対して開かれている(~44頁)(3)個性が大切と言いながら、一律にグループ学習や他者との議論を授業の軸にすえようとするのは、疑問。内向的な人もいる。また、そのような学習形態ばかり重視したら学びという孤独な内的活動に真剣に向き合う心の構えが形成されなくなる。(45頁)(4)「対話的」学びにしても、書物や自己との対話もあるはずだが、人と対話している際にはそこがおろそかになる。(46頁)山内祐平によれば、アメリカで1990年代に大学進学率が50%を超え、従来の講義では授業が理解できない学生が出てきたため、アクティブ・ラーニングという言葉が広まった。(47頁)グループワークを取り入れると、「みんな勝手な思いつきを言うばかりで、議論が深まらないし、知識が身につかない」「座学だと眠くなるけど、グループワークだと寝ていられないから集中できる」などと学生は言う。アクティブ・ラーニングとしてのグループワークやプレゼンテーションが有効に機能するかどうかは、それに先だって知識の習得が十分に行われているかにかかっている(~50頁)。
・まずは多様な知識の吸収に徹することが大切だ。そのためには読書が最適だ。(51頁)
・ノレムによれば、防衛的悲観主義者は、将来のパーフォーマンスに対して不安があるから努力して成績もよくなる。(55頁)
・日本人が堂々と自分の意見を述べることができないのは、認知的複雑性が高いからだ。認知的複雑性が高くあらゆる視点を探ろうとすれば思考が深まる。対して、トランプ氏やゴーン氏は薄っぺらいのに自信満々に見える(56~57頁)。
・もはや既存の知識は意味がないという発想は、重要な意味を取り逃がしている(62頁)。苅谷剛彦によれば、グループで学習するよりも単独で学習する時間が長い方が学力が高まる(74頁)。講義形式の授業がアクティブな学びの妨げになるという前提に誤りがある(75頁)。今では主体性の評価を高くするコツを塾が教え込むようになっている(89頁)。内向的で意見交換には積極的でないが一人で本気で勉強している生徒は低く評価される(89頁)。東洋(あずまひろし)らの調査によれば日本とアメリカでは発達への期待がそもそも違う(92頁)。ロロ・メイによれば、やたらパーティや社交を好むアメリカ人だが、社交には空虚な自分と向き合わずにすむという心理機能が付随する(98頁)。山本敏郎によれば、アクティブ・ラーニングをやれば子どもたちが能動的な学習主体になるというのは大きな誤解だ、問題は問いや課題が生起しない授業なのだ(101頁)。
・国立青少年教育振興機構によれば、2016年、参考書を沢山読む高校生は中国50%、日本10%。平日に学校の宿題をする高校生は、中国55%、日本10%。平日に授業と宿題以外に勉強しない生徒は、中国8%、日本24%(116~118頁)。日本の子どもたちは学力低下している。教科書が読めず、テストの問題の意味が分からず、心理学のアンケートの意味を分からない生徒が増えている(~132頁)。現在実施しようとしている国語教育改革の先には、文学や評論に親しむ教養人と、実用文しか読まない非教養人の、二極化が進むだろう(139頁)。意見発表ばかりして、言葉を意識しながら文字をしっかり読む時間が減ってしまっている、従来の読解力を重視すべきだとする中教審の委員もいたという(142頁)。単細胞な頭でまとめた意見を効果的にプレゼンテーションするスキルに授業時間を費やすので、いいのだろうか?(144頁)視野の狭い人物ほどものごとを断言できる。認知的複雑性が低いから断言できてしまうのだ(148頁)。苅谷剛彦は言う、学問が積み上げてきた既存の知識を正しく身につけ、それを用いてより正しい答えに到達するための技を身につけるところまで行かなければ、学問に参加したことにはならない、と(150頁)。
・クランボルツの調査によれば、18歳の時に考えていた職業に就いている人はわずか2%。5年後、10年後、30年後のキャリアをデザインさせる教育に意味はない(160頁)。ジェラトは積極的不確実性という枠組みを提唱した。将来の不確実性を肯定的に捉えるというものだ(160頁)。そこで大切なのは、色々な力をつけておくことだ(163頁)。自分の能力を最高度に使って何かに挑戦しているとき、集中力が高まり、散漫さはなくなり、時間を忘れ、自意識も消滅し、そのこと自体に深く没頭する。これをフロー体験という(181頁)。フローを体験するには労力がいる。本をよく読む人ほど多くのフロー体験をしている。一方TVをよく見る人ほどフロー体験に縁がない、という調査もある(185頁)。「何に役立つか」をしきりに強調し実学施行を強めている最近の教育は、勉強を楽しむ心を奪っているかもしれない(187頁)。「楽をして学ぶ」と「学ぶことは楽しい」は違う(188頁)。ヘックマンによれば、就学前教育では、非認知能力(忍耐力、感情コントロール力、共感性、やる気など)を高めることが大事だ(191頁)。
・昨今は企業が即戦力を求め、大学で勉強することが露骨に、社会に出て働くための準備になっており、学びの場がどんどん痩せ細っていくような気がしてならない(196頁)。著者の高校・大学時代は、役に立つ・立たないという枠組みを超えて、自分の心の世界をもっともっと広げたいという衝動に駆られて限りなく学んでいくのが贅沢な生き方だと言ったりしていた(197頁)。今はほとんどの大学が実用性重視になっているとしたら、今の若者は主体的で深い学びの場をどこに求めたらよいのか(199頁)。塩野七生は、高校生との対話で、「人生で役に立つことがひとつだけある。それは教養を身につけることだ」と言った(201頁)。数学学習によって頭を使い考え方になじむことで思考力が磨かれ様々な課題を解決する力がつく(203頁)。歴史上の出来事の背景を考えることが社会変動や人間の欲望についての知恵を与えてくれる。眼前のことを理解したり自分の取るべき行動を検討したりする際に、歴史を巡る考察が複眼的な視点を与える(206頁)。苅谷剛彦によれば、受験による基礎学力が日本の大学教育を支えた(208頁)。が、アメリカのマネをして入試から学力を部分的に切り離し、アメリカと同じように学生の学力低下に悩むことになった(209頁)。受験勉強は頭の体操になり地頭を鍛える(211頁)。受験勉強は非認知能力をも鍛える(211頁)。非認知能力が高いほど学歴と年収が高く、健康度も高い(212頁)。実用的な用途を重視しすぎると、作品の登場人物や作者の言いたいことや気持ちを汲み取ろうと想像力を働かせる学習が欠落し、コミュニケーションの苦手な人間が益々増えるだろう(215頁)。
4 コメント
みんなで考えてみたい内容ばかりだ。ディベートでもプレゼンでも本文をきちんと読解できず中身のないまま大きな声で元気よく発表している光景を時々見るが、残念なことだと私も考えている。
根本には知的倫理的問題意識(これでいいのか?という問い)、基礎学習の徹底(小テストの反復練習ではないよ。例えば東大や京大の入試問題は基礎力を問う)、自主的な発展学習(高度な読書、専門家との対話、自らする調査・探求など)がもっとあるべきだ。
中国の高校生は沢山勉強しているが日本の高校生はあまり勉強していない、という数字も衝撃だ。もちろん勉強の質は問うべきだが、勉強しなくていいことにはならない。諸般の事情で勉強できない人も幸せになるべきだが、現代の知識や技術を重視する社会で、勉強しないではいられない。勉強できない環境にあった人に対しては勉強できる環境を提供すべきだろう(憲法で保障している)。
欧米文化と日本文化の比較の所は少し補足する必要を感じた。これからは自己主張の強いアメリカ人や中国人と対等に渡り合えないといけないので、自己主張する(もちろん内容も十分に持って)ことも必要だろう。同時に、世界にはシャイな文化、自己主張をよしとしない文化も実は多い。アメリカや中国のスタイルがグローバル・スタンダードではない。自己主張しないで謙遜を美徳とする文化に対しても十分な敬意と理解を持ってこそ真のグローバル・スタイルであるはずだ。(R3,1,31)
(教育・学ぶこと)灰谷健次郎『林先生に伝えたいこと』『わたしの出会った子どもたち』、辰野弘宣『学校はストレスの檻か』、藤田英典『教育改革』、竹内洋『教養主義の没落』、諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?』、福田誠治『競争やめたら学力世界一』、今井むつみ『学びとは何か』、広瀬俊雄『ウィーンの自由な教育』、宇沢弘文『日本の教育を考える』、青砥恭『ドキュメント高校中退』、内田樹『下流志向』『街場の大学論』、瀬川松子『亡国の中学受験』、磯部潮『不登校を乗り越える』、ひろじい『37歳 中卒東大生』、柳川範之『独学という道もある』、借金玉『発達障害サバイバル』、内田良『教育という病』、広中平祐『生きること 学ぶこと』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』、宮本延春『オール1の落ちこぼれ、教師になる』、大平光代『だから、あなたも、生き抜いて』、中日新聞本社『清輝君がのこしてくれたもの』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、堀尾輝久『現代社会と教育』、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』、五神真『大学の未来地図』、吉見俊哉『文系学部「廃止」の衝撃』、榎本博明『教育現場は困ってる』、福沢諭吉『福翁自伝』、シュリーマン『古代への情熱』、ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』、湯川秀樹『旅人』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』などなど。