James Setouchi

2024.11.6   文武両道!?

 

(練習問題)次の各種資料を読み、後の設問に答えなさい。

 

(A)文武両道とは何か? を考える時参考にしたいことがある。単なる受験勉強とテニスやバスケなど近代スポーツをやれば「文武両道」と言えるのだろうか? それを江戸時代の武士に言ったら、「さようなものは文武両道とは申さぬ。」と笑われるのではなかろうか? 「儒学と剣術を通じて人格を磨かねば文武両道とは申さぬ。」と。

 どうやら、文武両道の内実は、時代によって変遷がありそうだ。では、その内実は何か? 時代を超えて普遍的な何かがそこにはあるのか? を考察することは、21世紀のモラルを①コウチクするためにも必要なことだろう。ここでは歴史的に②遡って、いくつかの視点を提供しておきたい。

 その前に、「文武」の順番について一言しておきたい。「右文左武」という言葉があるが、これは正しくは「文を右(さき)にし、武を左(あと)にす」と読む(伊藤仁斎『童子問』ほか)。文武は同じ重さではない。孔子は武人の子で2メートルの大巨人だったが、自らは武人の道を歩まず、十五歳で学に志した。『論語』にも「文を学べ」は繰り返し出てくるが、「武」についてはさほどの強調はない。江戸時代は武家支配にもかかわらず元和の『武家諸法度』で「左文右武」としつつも「(ア)兵号為凶器、不得已而用之、治不忘乱、何不励修錬乎」とあり、「武の発動は『③已むを得ざる』ものとされて、『修練』へと言わば内面化されている。つまりこの一条は、武の立場を取りながらも、文の必要性と武の④ヘンヨウとを方向づけているものだといえよう。」と黒住真氏は語る(『近世日本社会と儒教』ぺりかん社 102頁)。

 「文」は単なる受験勉強ではなく、儒学等を通じた人格修養であるとしたとき、ではその具体的な内実は何か? が問われねばならない。先王の道を中心とする儒学の書物を読むことが「文」の中核にはあったろう。江戸期には朱子学が⑤セイトウとされた。朱子が四書(『論語』『孟子』『大学』『中庸』)を重視したのは周知のことだ。江戸後半には「左国史漢」つまり『春秋左氏伝』『国語』『史記』『漢書』が必読書だった。明治初期の士人もこれらを学んでいた。そこに受験勉強のテキストは入っていない。儒学は一面封建反動思想だが他方普遍的な人間の在り方を志向するものであるので時代を超えて読み継がれている。現代でも、学問(勉強)は何のためか? 科学法則の探究か、実用的な技術の習得か、立身出世か、金儲けか、飛耳長目の楽しみか、神や仏を知るためか、天下国家の統治のためか、人格修養のためか? これらの問いを、儒学を参照しつつ問うことができる。(中略)

 「武」についてはどうであろうか? 一口に武士道、と言われるが、時代によって変遷し、その内実も多様だ。

 平安の『今昔』『平家』に表現された武将たちの在り方が、一方で美化されつつも、他方では裏切りOK、強い方に付く、仁義なき戦いであることはすでに知られている(菅野覚明『武士道の逆襲』講談社現代新書)。『葉隠』はどうであろうか。聞書10-59に「・・・・・・・・・・・秘蔵のことなり。」とある。「・・・・」の部分はあまりにも残虐なのでここでは特に伏字とする。私はここを読んで絶句した。これが血みどろの武士道の原型なのだ。「文武両道」などとうそぶいてはいられない、恐るべき現実がここにはあった。これを改変したのが山鹿素行らの儒教化した(イ)君子の道としての士道であることは知られている(相良亨ほか)。

 明治武士道は、これをある形で継承しつつ改変したが、明治武士道もまた多様であった。

 新渡戸稲造『Bushido』は士道を継承し「義」を重視するまことに立派な倫理だ。平成に入り、グローバル資本主義の波に対抗して藤原正彦(数学者)は『国家の品格』の中で武士道を提唱し、ブームになったが、そこで表象されているのは新渡戸的ブシドーだ。それは例えば平安末のそれとは似ても似つかぬ、もっと尊い何ものかであるだろう。

 他方、大日本武徳会は、日清戦争のころ国家のために死ねる若者を育てるべく組織され、大正時代に「武術」を「武道」と改称し、大日本帝国の軍国主義の推進母体となった(坂上康博「大日本武徳会の成立過程と構造」、『行政社会論集』第1巻第3・4号62頁、65頁)。「武道は日本の伝統」と言うのは厳密には誤りで、明治以降の帝国主義日本の産物だ。身体を鍛え国家のために忠誠を尽くして死ねる国民を育てようとしたのだ。政府御用達の軍人勅諭などもあるが、のちの戦陣訓などは極めて非人間的なものだ。「kamikaze」がフランスで自爆テロを意味することは知られている。軍人が(ウ)植芝盛平に合気道を教えてくれと依頼しに来たとき、植芝盛平は「それは日本人みなを鬼にするということじゃ」と怒って拒否したという話を内田樹が伝えている。平成になって学校教育において武道を必修化したが、(エ)内田樹は、明治以降の「武道」は明治以前の武術とは断絶があり、武術の神髄とも言える魂の修行の部分をそぎ落としている、と怒っている(ブログ『内田樹の研究室』2007年9月7日)。

なお、山岡鉄舟(剣禅一如)に学んだ小倉鉄樹(小倉遊亀の夫。小倉遊亀は日本画家)の開いた神道禊(みそぎ)教と呼吸法と禅宗と武術とを足したような道場で学んだ一人の学生(東大工学部、いや工部大学校か)が東大ボート部にその思想を持ち込んだ。エリート(帝大、旧制高校、旧制中学)のスポーツとしてボート競技が広がり、「これこの漕艇は生死脱得の修行にして…喪身失命を避けず…いたづらに(オ)右顧左眄せず…一漕一漕吐血の思いをして漕破すべし」といった文言と思想が全国に広がった(一九会道場「道場の歩み」というサイト参照)。これはまことにすばらしいと考えるか、危険思想と考えるか?  (以下略)

 

(B)日本は負け、そして武士道は亡びたが、堕落という真実の母胎によって始めて人間が誕生したのだ。生きよ堕ちよ、その正当な手順の外に、真に人間を救い得る便利な近道が有りうるだろうか。(坂口安吾『堕落論』青空文庫)天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの美徳をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発し直す必要がある。さもなければ、我々は、再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。(坂口安吾『続堕落論』青空文庫)

 

(C)次は高校生の佐藤君、鈴木君、田中君、中村さん、高橋さんの会話である。

佐藤:僕は剣道をやっていて学校の成績もいいから、文武両道と言えるかな。

鈴木:いや、君はただやっているだけで全日本大会で勝ってもいないので、文武両道とは言えないよ。

田中:どうかな。勝ち負けではなく、江戸時代の武士たちのように儒学の勉強をすることが必要だよ。

中村:いいえ。儒学の勉強を通じて(   X   )をしないと、そうは言えないのよ。

髙橋:そもそも、武士道や儒学が21世紀に通用する普遍的なモラルを生みうるのかしら? 

 

問1 文中のカタカナ①~⑤について、カタカナは漢字に直し、漢字はその読み方を書きなさい。

問2 文中の(オ)「右顧左眄」の意味を書きなさい。

問3 傍線(ア)はどういうことを言っているか、本文の読み取りから説明しなさい。句読点を含め50字以内。

問4 傍線(イ)はどういうものと考えられるか、本文の読み取りから説明しなさい。句読点を含め50字以内。

問5 傍線(ウ)植芝盛平 と(エ)内田樹 は、明治武士道に対してどのような共通の認識を持っていたと考えられるか。句読点を含めて50字以内で説明しなさい。

問6 資料(B)で言う「武士道」とはどのようなものと考えられるか、(A)の資料を参考にして説明しなさい。句読点を含め70字以内。

問7 資料(C)の中村さんの科白の( X )に入るべき言葉を(A)の資料を参考にして書きなさい。(十字以内)

問8 資料(C)の高橋さんの問いにあなたなりに答えてみてください。資料を踏まえつつ独自の考えも盛り込んで書くこと。200字以内。句読点も一字。

 

 

模範解答例

問1 ①構築 ②さかのぼ ③や ④変容 ⑤正統

問2 周囲の状況ばかり気にして自分で決断できないこと。

問3 武器は凶器でありやむを得ない場合にしか用いないが、平和な時にも修練を怠るべきではないということ。   (48字)

問4 平安期や『葉隠』の血みどろの武士道とは違い、江戸時代の、儒教を学び人格修養に努めるもの。(44字)

問5 魂の修行の部分がなく、身体を鍛えて戦争で国家のために死ねる国民を育てるだけのものという認識。(46字) 

問6 明治以降の国家主義によって形成され、国民を戦争に駆り出し死に至らせる、欺瞞的で非人間的な道徳であって、戦後の新生日本には不要のもの。(66字)

問7 人格的な修養・人格を磨くこと (同趣旨可)

問8(例1)Aによれば、武士道は、新渡戸のものは立派だが、本来は裏切り・殺人を肯定するものであり、軍国主義に利用され国民を死に追いやる面を持つ。Bの言う通り平和な時代には不要である。儒学もAによれば一面では封建反動思想だが、実は時代を超えて人間の理想を考究してきたものであり、21世紀にも通用する普遍的な叡智を内包する。但しイスラム教など異質な世界観と相互に理解し敬愛しあう姿勢が必要だ。188(145字)