James Setouchi

2024.11.6

 

 鈴木秀人『変貌する英国パブリックスクール スポーツ教育から見た現在』

                   世界思想社 2002年

                  (尊敬すべき知人の一人の紹介で読んだ。)

 

1 著者 1961年東京生まれ。東京学芸大助教授(出版当時)。専門はスポーツ教育学、体育科教育学。著書『スポーツの国イギリス』など。

 

2 一言で言うと・・

 英国パブリックスクール(注1)の特に課外活動・体育の授業などに焦点を当て、その現在を描く。取材したのは20世紀末、特に1988年の教育改革法(保守党のサッチャー首相が行った)以降、1990年代後半の、変貌するパブリックスクール、なかでもウィンチェスター・イートン・ラグビー・ハロー四校である。それらは、全体の傾向として、男子校だったが共学化し、全寮制だったが自宅通学生を受け入れ、かつ外国からの留学生を受け入れている。英国全体の教育改革の波の中で、学力における成果を出さなければならないというプレッシャーのなかで、変貌している。

 

2 いくつか面白いかもしれない点(要約ではないが、こんなことが書いてあった。)

(1)     公立学校と違いナショナル・カリキュラム(公立学校が目指す共通のスタンダード)の支配から独立しているが、実際には影響を受ける。また大学入学資格試験の影響もある(第1章)

 

(2)     ラグビー校では、週に3回、半日休日の日がある。木曜は軍事教練か社会奉仕活動かを行う(第4章)。火曜と土曜は校内で課外活動に打ち込む。秋はラグビー、冬はホッケー、春はクリケットと陸上競技(ラグビー校の男子の場合)など、季節によっていろいろな種目を行う。校内における生徒同士の対抗戦を熱心に行う。(注2)(第2章)

 

(3)     体育教師は、単に身体訓練をすればいいのではなく、課外活動のゲームによって19世紀的な「人格形成」(注3)に偏るのでもなく、現代における教育の専門家であろうとしている。(第3章)

 

(4)     生徒たちの多くは、課外のスポーツを楽しんでやっている。学業のプレッシャーは大きい。「競争の場は運動場から試験場へと移行した。」またラグビー校でさえラグビーよりもサッカーが人気だ。パブリックスクールは変貌しつつある。(第4章)

 

(5)     ウィンチェスター校ではウィンキーズという伝統のフットボールがある。泥んこの中で選手が群がってボールを蹴りあう。イートン校のフィールド・ゲームは、サッカーとラグビーの混ざったようなもので、ボールを蹴るけどスクラムもある。イートン校のウォール・ゲームは、スクラムを組んで延々と押し合うもの。ラグビーとサッカーに分化する以前のフットボールの姿がこれらにはとどまっている。19世紀前半に非行防止の手段として取り入れられたものだ(終章)が、19世紀後半には大英帝国の兵士としての「人格を形成」するためにこれら課外活動のゲームはよいものとされた。(注4)(第5章)

 

(6)     パブリックスクールの共学化は1968年のマルバラ校に始まる。2001年には、セドバー校(男子校でラグビーも強いのが特徴だった)もついに共学化に踏み切った。留学生を入れ、全寮でなく通学生を入れ、共学化をするのは、社会の変化による。女子を入れると、スポーツの種目も多様化するであろう。(第6章)

 

(7)     パブリックスクールと呼ばれる学校とそうでない学校の違いは、どこにあるのだろうか。(第7章)

 

(8)     いじめやドラッグの問題も少しだがある。(終章)

 

3 注釈 (私的コメントを含む) 

注1 英国では「パブリックスクール」は公立ではなく私立。中等学校。大体日本の中学~高校の年齢にあたる生徒が学ぶ。学費は高い。厳密な定義はないが、伝統的に上記四校ほかいくつかのエリート校を「パブリックスクール」と呼ぶことが多い。 

 

注2 これは、日本の部活動のありかたとは、ずいぶん違うものだ。日本で私たちが目にする部活動は、「毎日やる、一つの種目(部)を3~6年間やり通す、対外試合・大会で勝つことを目指す」ものが多いが、英国のパブリックスクールの課外活動は、そうではない、とこの書からわかる。 

 

注3 (5)及び(注4)参照。 注4 『シャーロック・ホームズ』を書いたコナン・ドイルは、スポーツ万能で、まさにこのような帝国主義的身体観の持ち主だった。ボーア人を抑圧する戦争を支持し、女性参政権に反対した。現代においては超克されるべき思想であろう。みなさんは諸君はどう考えますか?

 

 *なお、上の文章は基本的に本書刊行の2002年当時の英国の状況に関するものであり、その後の英国の変化は考慮に入れていない。     

                   

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