James Setouchi

2024.11.6

  

内田 樹(たつる)『街場の大学論 ウチダ式教育再生』

            角川文庫2010年(もとは2007年)

 

1 著者 内田 樹

 1950(昭和25)年東京生まれ。日比谷高校中退、東大文学部仏文科卒、都立大大学院博士課程(仏文)中退。神戸女学院大学で長く勤め、現在は名誉教授。合気道凱風館館長。専門はフランス現代思想、武道論、映画論など。著書『寝ながら学べる構造主義』『下流志向 学ばない子どもたち 働かない若者たち』『街場の教育論』『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』ほか。(文庫カバーの著者紹介などから)

 

2 内容の紹介:

 「文庫本版あとがき」によれば、もともとは内田樹が2000年代前半ころにブログに書き散らしていたものを、小林哲夫(『大学ランキング』編集者)がセレクトして編集したものを中心に他の内容を加え、朝日新聞社から『狼少年のパラドクス』という書名で2007年に出た本。それに文部科学省の杉野剛氏との2回目の対談を付け加えて『街場の大学論』の書名で2010年に角川文庫化した。

目次は次の通り。

第1章           ニッポンの教育はどこへ行く

第2章           入試の風景

第3章           ウチダは何を教えているのか

第4章           大学がつぶれてしまう

第5章           どこも大変なことになっている

第6章           神戸女学院大学が生き残る道

第7章           研究者に仲間入りするためには

第8章           日比谷高校、東大全共闘の人々

第9章           一九六六年の日比谷高校生・吉田城と荒井啓右の思い出

第10章       文部科学省訪問記 高等教育局私学行政課長・杉野剛さんとの対話から

第11章       大学教育の未来 二○一○年八月 文部科学省国立大学法人支援課長・杉野剛さんとの再会記

単行本版あとがき

文庫本版あとがき

 

 ブログなので全体に軽いタッチで書いてあるが、考えさせられるところが多く、軽々に読み飛ばすことはできない。各テーマを取り上げて討論会を開いてもいい内容ばかりだ。全体をつらぬくのは、市場経済の論理や官僚的支配が大学(ひいては、人間が生涯を通じて学び続けること)をねじ曲げていることへの憤りだ。いくつかの言葉を抜き出してみると…

 

・「国家須要(しゅよう)の人材」とは結局「小粒の人間」であり、管理しやすいが、あまりにも小さいと今度は管理の「網目」にもかからなくなる(29頁)、

・自分は、勉強していればきっといつか「いいこと」があるという未来予測の確かさに支えられて勉強したわけではなく、こうして勉強できるのは「いまだけかも知れない」という未来予測の不透明性ゆえに勉強していた(43頁)、

 

・人口減少のため大学が淘汰されそうだ。志願者が減少し経営破綻の危機が迫る(101頁)。対策として新学科創設による学生集め(102頁)、ダウンサイジングによるクオリティの向上(103頁)、市場の寡占化(小学校からの囲い込み)(144頁)などの戦略をとる大学があるが、どうだろうか。自分は、「小さいけれど、クオリティの高い教育を続けている学校」という本来の女学院の「反時代的」ポジションを堅持することを提案したい(107頁)、

 

・広告屋のアオリに乗って「バカをおだてて商品を買わせる」戦略の広告をする大学がある(150頁)が、いやしくも高等教育機関が採用してはならないものだ。ビジネス優先ではなく、「学生のポテンシャルの開花に有り金を賭けることのできる教育機関だけが、教育的に機能する」(151頁)、 

 

・わが神戸女学院大学は、その時代の主流のイデオロギーと親和せず、リベラルアーツ教育を行ってきた(172頁)、(JS注 内田は神戸女学院大の一員としてこれを書いている。)

 

一九六六年頃の日比谷高校はよい学校だった。制服がない、百分授業、前後期二学期制、土曜は在宅学習日(当時全国では土曜は授業日)、二人に一人が東大に入る(219頁)、

 

・「自分のためだけに勉強するんじゃない」「公共的な利益のためにするものなんだ」、それを「きれいごと」だとせせら笑う態度に対し無言の抑止がかかるのは、やはり伝統の力(305頁)、

 

・大学の「ミッションの旗幟」を保つためにはマンモス大学ではだめで一学年六百人ぐらいが上限でいい(309頁)、

 

・「いったい何のために学校があるのか」「成熟した市民を育てるため」だ、と即答できる大学人が今どれだけいるか(326頁)、

 

・「教えたい人と学びたい人のインターフェースで火花が散る」「それが学校」(327頁)、「学生はクライアントなんかじゃない」(328頁)、

 

リベラルアーツとは、「とりあえずは自己教育・自己陶冶のベースを作るもの」だ(232頁)、「自分をより知性的たらしめよう、倫理的な人間になりたいという決意以外のもので、人を強制的に知性的にしたり、倫理的にしたりすることはできません」「知的開放性とはこういうものだということを自分の身体を通じて実感してもらえれば、あとは自分でいくらでも学ぶことができる。そういう自己解放のきっかけを準備するのが大学の社会的機能だ」(333頁)、

 

大学の自己評価については、「働かない教員を給料分働かせるために知恵を絞るなんて純粋な消耗」「そんな時間とお金があったら、オーバーアチーブしている人たちを支援するために使えばいい」「オーバーアチーブする教員たちは給料の何倍、何十倍も働いている」(321頁)と述べる。2010年の文庫版あとがきでも「現在の教育現場における『評価コスト』はどこでも『評価のもたらす利益』を超えてしまっています。評価活動に時間を割き、人的資源を投入すればするほど手元の教育資源が目減りし、教育効果が減殺されてゆく…という悪循環に日本の大学は入り込んでいる。」それはちょうど、百万円の適切な使い方について議論を重ねるうちに会議の弁当代が百万円を超えてしまったのと同様だ、(339頁)と。

 

 などなどと内田樹は語る。→みなさんはこれに対し、どうお考えになりますか?                                                

                               R3.3.27

 

(教育・学ぶこと)灰谷健次郎『林先生に伝えたいこと』『わたしの出会った子どもたち』、辰野弘宣『学校はストレスの檻か』、藤田英典『教育改革』、堀尾輝久『現代社会と教育』、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』、竹内洋『教養主義の没落』、諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?』、福田誠治『競争やめたら学力世界一』、広瀬俊雄『ウィーンの自由な教育』、青砥恭『ドキュメント高校中退』、内田樹『下流志向』『街場の大学論』、磯部潮『不登校を乗り越える』、借金玉『発達障害サバイバルガイド』、ひろじい『37歳 中卒東大生』、柳川範之『独学という道もある』、広中平祐『生きること 学ぶこと』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、宮本延春『オール1の落ちこぼれ、教師になる』、大平光代『だから、あなたも、生き抜いて』、中日新聞本社『清輝君がのこしてくれたもの』、今井むつみ『学びとは何か』、宇沢弘文『日本の教育を考える』、瀬川松子『亡国の中学受験』、内田良『教育という病』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、五神真『大学の未来地図』、吉見俊哉『文系学部「廃止」の衝撃』、榎本博明『教育現場は困ってる』、湯川秀樹『旅人』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』、福沢諭吉『福翁自伝』、シュリーマン『古代への情熱』、ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』などなど。