James Setouchi
2024,11,6
隠岐さや香『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社新書 2018年8月
1 隠岐さや香:科学史家。東京都出身。多摩大学付属聖ヶ丘高校卒。東大(文三)から教養学部(科学史・科学哲学)に進学、東大院総合文化研究科(広域科学専攻)博士過程在学中にパリ社会科学研究院でD.E.A.取得。東大博士課程満期退学。博士(学術)。いくつかの大学の講師・准教授などを経て、名古屋大院経済学研究科教授。単著『科学アカデミーと「有用な科学」―フォントネルの夢からコンドルセのユートピアへ』(サントリー学芸賞)。共著『合理性の考古学』『科学思想史』など。(名古屋大学の本人の研究室のプロフィール紹介から)
2 『文系と理系はなぜ分かれたのか』星海社新書 2018年8月
大学生協書籍部(東北大、京大など)で売れているということで読んでみた。一定以上の勉強になる。高校生の文系理系の選択に直ちに役に立つとは限らないが(少しは役に立つかもしれないが)、もっと深いところで役に立つ。学問とは何か? 現代社会においてそれは何の意義があるのか? 「科学技術立国」のままでいいのか? を考える入門書として有益。少し紹介する。
第1章 文系と理系はいつどのように分かれたか? 欧米諸国の場合
文系と理系に分けるのは日本だけなのか? 学問の歴史から考える。
著者はフランスに留学し、フォントネル(1657年生まれ)からコンドルセ(1743年生まれ)までのパリ王立科学アカデミーについて詳しいようだ。そこでは、宗教に関して言論の自由がなく、検閲が厳しかったので、宗教の話を科学の議論から排除した(31頁)。また、査読を経て論文を掲載するスタイルを作った(30頁)。イギリスにはニュートンのいたロイヤル・ソサイエティがあったが、ニュートン亡き後は科学研究の中心地となったのはフランスだった。そこでは錬金術的な伝統を次第に脱し、化合物の分析などを緻密に行うようになった。但し軍事技術、民生技術(産業部門)は低い扱いを受けていた(32頁)。イギリスでは職人、技術者層が市場経済の波に乗って活躍し、ニューコメンやワットなど産業革命の推進者が出現した(33頁)。対して人文・社会学はどうか。「遥か古代から、法学も文学研究も歴史研究も存在」する(36頁)が、それはいまだ「近代的な」ものではなかった。「社会科学(sciences sociales)」という概念が誕生したのは、1790年代にコンドルセと友人のガラが使ったのが最初と言われる(50頁)。ヴィンデルバントは「個性記述的な学」と「法則定立的な学」という分類を提唱した(69頁)。前者は一回しか起きない歴史的出来事や、他と違う個性を持つ文化現象」に注目するが、後者は普遍性、一般性を大事にする(69頁)。経済学や社会学は定量・一般化が可能だが、歴史学・文化研究・哲学は自然科学的な方法論とはなじみづらい(69頁)。今日の人文科学(あるいは人文学)と社会科学との境目は、今日でも線を引けないままだ(70頁)が、19世紀末から20世紀初頭、文学の専門教育が大学に根付く。ドイツ語圏では精神科学(Geistes Wissenshaften)(ディルタイ由来)、フランス語圏では人文科学(sciences humaines)、人間科学(sciences de l’homme)、英語圏では人文学(Humanities)などと言う(71頁)。1959年にイギリスのチャールズ・パーシー・スノウは『二つの文化と科学革命』で「科学的文化」と「人文的文化」の隔絶を説いた(72頁)。欧米諸国の受験では、「文系」「理系」の単純な二分法ではなく、「人文」「社会」「理工医」の三分法(あるいはそれ以上の分け方)がある。他方、「学問は多様ではあるがとりあえず人文社会系と理工医系に分けて考える」という見方も長らく存在してきた(72-73頁)。
筆者自身は、「神の似姿である人間を世界の中心と見なす自然観」から距離を取り、器具や数字、形式的な論理を使い「客観的に」物事を捉えようとする方向と、「神と王を中心とする世界秩序から離れ、人間中心の世界秩序」を追求し、人間を「価値の源泉」とする方向とがある、と考える(74頁)。
なお、私(JS)の友人は高校は文系で大学は理系に行った。文理両方できる人ではあった。マルチタイプの人も世の中では必要だろう。
第2章 日本の近代化と文系・理系
日本の近代化の中で「文系」「理系」という二分法が定着してきた経緯。ここだけでも読むとよい。
江戸時代の朱子学は「窮理の学」でもある。が高杉晋作が上海に行ったとき、中国人の文人が「西洋の窮理は術数に過ぎない、朱子学の窮理は人格を陶冶し天下国家を考えるものだ」と言い、高杉は「人格を高めるだけでは天下を治めることはできない、航海砲術器械等の西洋的窮理が重要だ」と主張した(90-91頁)。1877(明治10)年東京大ができた時、法・理・文・医の四学部だった。工学部はなかった(工部大学校はあった)。1886(明治19)年帝国大学になった時、法・医・工・文・理の五学科となった。つまり工学部ができた。これは世界の大学の歴史の中でも画期的なことだった。大学はラテン語で教養を身に付ける場であり、そうではない技術者の扱いは低かったからだ(100-101頁)。官僚登用は法律を学んだ文官が長となり、理工系の技官は補佐役どまり、という形ができた(101-102頁)。旧制高等学校において1918(大正7)年に文科と理科を分けた(102頁)。これらが日本における文系・理系の二分法に影響を与えた。1917年には民間資金で理化学研究所ができ(104頁)、1940(昭和15)年には近衛内閣が科学技術新体制を作った。文学部や法学部の学生は学徒動員で特攻などに行き、理工系の学生は兵器開発研究に動員された(107頁)。敗戦後も「富国強兵」の「強兵」は取れたが「富国」つまり経済的繁栄とそれを利する科学・技術の重要性が叫ばれた(108頁)。日本では、国家建設と産業振興のための分野は国立大学に、それ以外の価値観が入り込む分野は私立大学に、という傾向がある。また理工系研究者養成偏重の国であり、人文社会系の修士以上の学生がOECD諸国と比較して圧倒的に少ない。この人員配置は、「目先の目標のため批判勢力が封じ込まれてきた」歴史とつながっているようにみえる。「科学」そのものではなく、利便性を追求する「科学技術」に無邪気に信頼を寄せるような人ばかりが求められてきたのではないか(109-110頁)。
第3章 産業界と文系・理系
「イノベーション政策1.0」では、科学の進歩が技術革新を生み、経済成長に貢献する、と考えられた(135-136頁)。1960年以降欧米の経済学者を中心にその考え方が問い直された(138頁)。「イノベーション政策2.0」では、政策により研究成果を市場化するための制度を整える、ユーザーからのフィードバックなど異なる立場の人々の間でのコミュニケーションを保障するネットワークを重視する(140頁)。情報産業、生命科学系や薬学系のベンチャー企業などがそれで大きくなった(141頁)。が、結果として人々の経済格差が広がり、中間層が分解していった(147頁)。「公的資金が理工系の産学連携研究に投下され、市場へと流出した後、先進国の一部の企業を潤すばかりで、社会全体には十分に還元されない。理工系と一部の社会科学系の高学歴者はグローバルな雇用を享受する一方で、一般の人の仕事がますます不安定になる。そのような仕組みが出来上がってしまったのです。」(148頁)そこで「イノベーション政策3.0」では、経済・環境・社会の三本柱がイノベーション政策の柱となる。SDGs(2015年国連採択)もその方向を向いている(149-150頁)。「STEAM」(STEM+A。Science,Technology,Engineering and Mathematicsだけでは足りないのでArtを入れる)の視点が重視されるだろう(151頁)。
第4章 ジェンダーと文系・理系
ここは是非読んでほしいのだが、ここでは簡単な紹介にとどめる。「女子には理数系は向かない」などと刷りこんでしまってはいけない。能力とは生まれつきのものではなく成長するものであるかもしれないからだ。生得的なものか、社会環境によって形成されたものか、具体的なデータをもとに考察する。日本ではいまだ女子は不利な状況に置かれている。また、今日、グローバル化と知識基盤産業の進展が顕著となった一部の欧米諸国では、男性の階層分化、男性の貧困の問題も生じている。
第5章 研究の「学際化」と文系・理系 略
3 こんな本はいかがですか
本田由紀『文系大学教育は仕事の役に立つのかー職業的レリバンスの検討』/佐藤優ほか『いま大学で勉強するということー「良く生きる」ための学びとは』/宮沢正憲『東大教養学部「考える力」の教室』/施光恒『英語化は愚民化』/吉見俊哉『「文系学部廃止」の衝撃』/浅羽通明『大学で何を学ぶか』/内田樹『下流志向』/立花隆『東大生はバカになったか』『二十歳のころ』/宮田光雄『君たちと現代―生きる意味を求めて』/村上陽一郎『科学者とは何か』/福井謙一『学問の創造』/広中平祐『生きること学ぶこと』/湯川秀樹『旅人』/藤原正彦『若き数学者のアメリカ』『祖国とは国語』/加藤諦三『大学で何を学ぶか』/高史明『生きることの意味』/戦没学徒兵『きけわだつみのこえ』/河合栄治郎『学生に与う』/福沢諭吉『学問のすすめ』『福翁自伝』/佐藤一斎『言志録』/シュリーマン『古代への情熱』/ヒルティ『教養とは何か』/フランクリン『フランクリン自伝』/ショーペンハウエル『読書について』/懐奘(えじょう)『正法眼蔵随聞記』/孔子と弟子の言行録『論語』
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