James Setouchi

2024.11.6  

 

世界の古代宗教思想入門

 老荘、初期仏典、ユダヤ教・旧約、新約、コーラン

 

老子と荘子(儒学、孔子と孟子については漢文の授業で散々扱うので、ここでは道家、老子と荘子を扱ってみた。)

 

1 老子

 老子は、春秋時代の人と言われるが、実在しなかったとする意見の方が強い。『老子』という書物は、『老子道徳経』『老子五千文』などとも言われる。道教の聖典としても尊崇された。道教は、不老長寿や商売繁盛を祈る民間信仰、道家思想は道教という宗教の根本を支える哲学思想だと言えば言える。

(例1)大道廃(すた)れて仁義有り。知慧(ちえ)出でて大偽有り、六親和せずして孝慈有り。国家昏乱(こんらん)して貞臣有り。(大いなる真実の道が廃れたから仁義などという道徳を声高に言うようになったのだ。悪知恵が出現して大いなる偽りの世の中になったのだ。家族・親族が不和になって親孝行や親の慈愛といった道徳が強調されるようになったのだ。国家が混乱して忠義の臣なるものが語られるようになったのだ。)

(例2)夫(そ)れ兵は不祥(ふしょう)の器、物或ひは之を悪(にく)む。故に有道者は処(を)らず。…(そもそも武器は不吉な道具だ。不吉な物であるから、誰もがそれを嫌うだろう。だから道を身に付けた人はそこには身を置かないものだ。…)

 

2 荘子(荘周)

 荘周は、戦国時代に実在したと言われる。但し荘周の名前で語られる説話のすべてが実在する荘周の真実ではありえない。荘周自体が非実在である可能性もある。『荘子』という書物は『南華真経』と呼ばれ道家思想・道教の経典として尊崇された。吉田兼好、松尾芭蕉、湯川秀樹らも『荘子』の影響を受けている。

(例)『荘子』「逍遥游(しょうようゆう)」篇の「北冥(ほくめい)に魚有り」を読んだ。北の海に居る巨大な魚、鯤(こん)は変化して鵬(ほう)という巨大な鳥になる。鵬は圧倒的な巨大さを持ち九万里の高さに飛翔し南の海へと飛行する…

 

*金谷治・福永光司などを参考にした。

 

 

 

 

初期仏典『スッタ・ニパータ』

 

1 『スッタ・ニパータ』とは

 仏教はインドで生まれた。紀元前後以降に興起した大乗仏教の経典がサンスクリット語で書かれ、漢訳され中国・朝鮮半島経由で日本に入ってきた。それとは別に、もっと古い時代のものを含む上座部仏教経典が西インド地方の方言パーリ語で書かれ『ニカーヤ』として伝わっている。『ニカーヤ』には①『ティーカ・ニカーヤ』②『マッジマ・ニカーヤ』③『サンユッタ・ニカーヤ』④『アンクッタラ・ニカーヤ』⑤『クッタカ・ニカーヤ』があり、①~④は漢訳『阿含経』にあたる。⑤は雑多な経典群で、その一つが『スッタ・ニパータ』。これは最も古い時代に成立した経典であり、『阿含経』には含まれていない。『スッタ・ニパータ』は全五章から成り、もともとはそれぞれ別の経典だっただろう。そのうち第4章と第5章が最も古いと考えられる。

 

2 『スッタ・ニパータ』から

(1)第4章「八つの詩句の章」から

766 欲望をかなえたいと望んでいる人が、もしもうまく行くならば、かれは人間の欲するものを得て、心に喜ぶ。

767 欲望をかなえたいと望み貪欲の生じた人が、もしも欲望をはたすことができなくなるならば、かれは矢に射られたかのように悩み苦しむ。

(中略)

771 それ故に、人は常に正しい念いをたもって、諸々の欲望を回避せよ。船のあかを汲(く)み出すように、それらの欲望を捨て去って、流れを渡り、彼岸(ひがん)に達したものになれ。

(2)第1章「犀(さい)の角(つの)」から

35 一切の生き物に対して暴力を加えることなく、一切の生きもののいずれをも悩ますことなく、また子女を欲することなかれ。況(いわ)んや朋友(ほうゆう)をや。犀の角のようにただ独り歩め。

75 ひとびとは自分の利益のために交わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め。

 

*KKベストセラーズ『一個人 日本の仏教入門』および岩波文庫『ブッダのことば』(中村元)などを参考にした。

 

 

 

 

ユダヤ教及び旧約聖書

 

1 ユダヤ教のTNK(タナハ)

 律法(トーラー)、預言者(ネイビーム)、諸書(ケトウビーム)を重視する。

(1)律法

 創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記

(2)預言者

ア 前の預言者:ヨシュア記・士師記・サムエル記・列王記

イ 後の預言者:イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書・十二小預言書

(3)諸書

 詩編・ヨブ記・箴言(しんげん)・雅歌・ルツ記・哀歌・伝道の書・エステル記・ダニエル書・エズラ記・ネヘミヤ記・歴代誌

 

2 ユダヤ教・ユダヤ民族の歴史

 アブラハムやモーゼの時代に今のユダヤ教正典が成立していたわけでは(当然)ない。ユダヤ教正典はバビロニア捕囚以降に基本構成が定まったと言われる。かつ、紀元後の歴史もある。

 考古学者によれば、紀元前2000年頃から紀元前12世紀ころまで傭兵・労働者・隊商・盗賊などをして移住しながら生活していた、ハビルと言われる人々がいた。ヘブライ人はその一部だったのではないか。彼らはメソポタミア~カナーン~エジプトを移動した。その中でバベルの塔やノアの洪水伝説を吸収しただろう。族長アブラハムはメソポタミアからカナーンヘ移動した。モーゼ・ヨシュアの軍団は超大国エジプトからカナーンヘ移動した。やがてペリシテ人(パレスティナに来た海の民)と抗争しヘブライ王国を作った。南北に分裂しバビロニア捕囚の憂き目に遭った。これらの中から厳しい預言者が現れユダヤ教の骨格を作っていった。紀元後にヤムニヤ会議でヘブライ語39文書をユダヤ教聖書とした。(ユダヤ教聖書とキリスト教旧約聖書はほぼ同じだが、配列などが異なっている。また解釈も異なっている。)

 ローマによる破壊以降は、イベリア半島、西欧、北アフリカ、パレスチナ、オリエントなどへの分散(ディアスポラ)、4~5世紀のタルムード(口伝律法)の成立、十字軍の迫害と東欧への大移動、メシア運動などがあった。19世紀後半以降のシオニズム運動を経て現在のイスラエル建国に至っている。

*学研BOOKS ESTORICA13『ユダヤ教の本』、世界文化社『世界歴史シリーズ第1巻 文明誕生』の小川英雄の記述などを参考にした。

 

 

 

新約聖書(福音書)

 

1 イエス誕生前夜とイエスの活躍

 ローマによる支配、ヘレニズム思想の流入などで新しい思想運動が起こっていた。ユダヤ教内にサドカイ派(貴族祭司たち)、パリサイ派(律法重視)、エッセネ派(禁欲的隠遁者たち)、熱心党(反ローマ武装独立派)などが生じたとされるが異論もある。(神殿が破壊されたからこそ律法重視のグループが出てきたのだなど。)洗礼者ヨハネが出現し、イエスに洗礼を授けた。

 イエス誕生の記事と、晩年の布教活動の記事が福音書に書いてある。その中間は記事がない。歴史的イエスの事実は、どうすればわかるのだろうか。

 

2 福音書の成立

 イエスの十字架以降、1世紀に成立。マルコ伝、マタイ伝、ルカ伝を共観福音書と言い、それとは別にヨハネ伝がある。マルコ、マタイ、ルカを突き合わせてみて、伝わっていないQ資料というものがあり、①AD50~70年頃マルコ、②マルコとQ資料でAD60年代或いは90年頃にマタイ、③マルコとQ資料でAD60年頃或いは70年以降にルカ、と成立したと言われる。

 

3 イエス誕生に関して、福音書を実際に読んでみる。

 マタイとルカに書いてある。マルコとヨハネにはない。

(1)マタイでは、アブラハム・ダビデ王以来の血統にイエスがいることを示す。処女マリアの懐胎はイザヤ書のインマヌエル予言の成就とされる。洗礼者ヨハネの誕生は語られない。東方の三博士、エジプトへの脱出、ヘロデ王による嬰児殺し、ナザレへの帰還が語られる。

(2)ルカでは、洗礼者ヨハネとイエスの誕生のお告げが語られる。東方の三博士、エジプトへの脱出、ヘロデによる嬰児殺しは出てこない。

 

5 どこまでが史実でどこからが虚構なのかは分からない。虚構でも信者にとってはリアルな力を持った真実である。東方の三博士はバビロニアの占星術師、クリスマスツリーはゲルマンの森の信仰、クリスマスプレゼントは古代ローマのサトゥルヌスの祭の習慣、12月25日という日付も古代ローマのミトラ教の冬至祭、と、各土地の風習などを取り込みながらキリスト教は拡大した。

 

*塚本虎二、船本弘毅、平凡社『世界宗教大事典』などを参考にした。

 

 

 

 

『コーラン』とイスラム教

 

1 スンニー派とシーア派

 スンニー派がイスラム世界の9割を占める。コーラン、ハディース(ムハンマドの言行)、イジュマー(イスラム共同体の合意)、ウラマー(法学者の見解)を尊ぶ。シーア派の中では十二イマーム派が主流である。スンニー派と違い、歴代イマームの言行をも尊ぶ。イマームとはイスラム共同体の最高指導者で、十二イマーム派においては、イマームは第4代カリフ・アリーの子孫でなければならない。シーア派はイラン、イラクなどに多い。なお、サウジアラビアのサウド家はスンニー派の中のワッハーブ派、シリアのアサド大統領はアラウィ派という特別な派だと言われる。

 

2 聖法シャリーア

 シャリーアを分類すると、六信(神、天使、啓典、預言者、来世、天命への信)、道徳律(コーランやハディースによる)、勤行(信仰告白他)、和解事項(結婚他)、刑罰(コーランやハディースによる)がある。なお、「ジハード」は勤行の一つ。「信仰のための努力・精進」というほどの意味。「聖戦」は誤訳と言うべきで、この誤訳が多くの誤解を招いている。

 

3 ムハンマド

 570年メッカに生まれる。金持ちの未亡人ハディージャと結婚。610年初めての啓示をうける。622年ヤスリブ(メディナ)に移動。これがイスラム歴元年。630年アラビア半島統一。632年死去。

 

4 コーラン(聖クルアーン)(昔はコーランと言ったが、最近はクルアーンと表記することが多い)

 神アッラーが、天使ジブリールを通じて、預言者ムハンマドに伝えた。全部で114章ある。前の方ほど長いものが多く、後の方ほど短いものが多い。メッカにおける啓示とメディナにおける啓示とがある。第3代正統カリフ・ウスマーンの時代に現在のように一つの書物の形を取った。

 『コーラン』第1章・第2章を読んでみた。2章は非常に長い。アブラハムやイエスが出てくる。

*学研MOOK ESTORICA14『イスラム教の本』、藤本勝次、塩尻和子などを参考にした。