James Setouchi
令和6年10月27日(日)の衆議院選挙の開票結果の分析 R6.10.31木
[1]
小選挙区の、実際の当選者数と得票率を、較べてみよう。小選挙区が「死に票」が多く「歪んだ鏡」だということが明白になる。
各小選挙区ごとについては明々白々なので省略。
全国の集計を見ると、
・当選者総数は、
自民132,立憲104,維新23,国民11,公明4,れいわ0,共産1,参政0,社民1,その他13で計289議席
・これを全289議席中の占有率(%)で見ると
自民45.7,立憲36.0,維新8.0,国民3.8,公明1.4,れいわ0.0,共産0.3,参政0.0,社民0.3,その他4.5
となる。
・対して各党の獲得した得票率(%)は、
自民38.5,立憲29.0,維新11.1,国民4.3,公明1.3,れいわ0.8,共産6.8,参政2.5,社民0.5,その他5.1
である。
・この二つの%を比較すると、
自民は38.5%の得票率しかないのに議席は45.7%と大変得をしている。立憲もかなり得をしている。維新以下の政党は(公明以外)皆損をしている。特に共産は全国で6.8%の得票があったので、比率から言えば20人くらい当選してもいいはずなのだが、ほとんどが「死に票」になってしまった。(もし全国区で選挙をしていたら、得票率6.8%なら19.5人当選する計算になるのだ。)(公明は自民と選挙協力をしているので事情が少し違うのかも知れないが。)
・このように、小選挙区は、民意をストレートに反映しない、「歪んだ鏡」だ。これは有名な事実だ。
共産は、落選覚悟で全国に一人ずつ候補者を立て「死に票」を増やす。それでも自分の党の主張が各地で聞いて貰えるからいいと判断しているのか。対して自民・立憲は現行制度で得をしている。(「自民一強」の時は自民だけが得をしていた。)小選挙区は、大政党に有利なようにできているのだ。
政権交代のできる二大政党制を目指そう、とのかけ声で小選挙区制にしたが、実際には自民一強が続いてしまった。棄権が50%で、結局25%の人しか自公連立に投票していないのに、議席の占有率は75%(「死に票」が多すぎる)といった異常な事態が続いた。
(そもそも二大政党制がいいかどうか? 英米は二大政党制だが、フランスやドイツはそうではない。どういう社会なら二大政党制が向いているのか? アメリカを見ていると、二大政党制は必ずしもいいとは言えない。民主・共和の両方から取りこぼされる人が沢山いるからだ。第三局がいた方がいい。戦前の日本はおおむね二大政党制だったが、二大政党が競うように軍拡・軍事大国化を進めてしまった。二大政党制が必ずしもいいわけではない。今の日本は中流が「下流化」してきたので二大政党制が向いているのか、それとも多様な価値観があるのでフランスやドイツのように複数の政党が連立を組みながら政権を運営するのがいいのか?)
小選挙区とは、ローカルな地域(おらが地域)の代表を選ぶ仕組みなのか? そこから国家全体を考える首相や閣僚が選ばれるとは、どういうことか?(批判ではない。)視野の広い人は全国区からしか出ないのでは? でも全国区だとタレント政治家が勝ってしまうのか? などなど、
小選挙区、中選挙区、大選挙区、全国区など、どれがいいか、は議論がある。
例えば、衆院は小選挙区にするが、参院は全国区にしてしまう、というのはどうか。
或いは、衆院に小選挙区と比例区を併用するのなら、比例区だけでも全国区にしてしまう、というのはどうか。そうすれば「死に票」が減る。(以下の比例ブロック区の項目を参照。)
或いは、中選挙区にして、二人名前を書くようにする、という意見もある。どうか。
[2]
比例区の、実際の当選者数と得票率とを、較べてみよう。「死に票」がどれくらいあるか、わかる。
[2]-1全国合計(全ブロック合計)では、
・自民59,立憲44,維新15,国民17,公明20,れいわ9,共産7,
・この数字による全議席中の占有率は
自民33.5%,立憲25.0%,維新8.5%,国民9.7%,公明11.4%,れいわ5.1%,共産4.0%,
参政1.7%,社民0.0%,
その他 0.1%
・対して実際の得票率は
自民26.7%,立憲21.2%,維新9.4%,国民11.3%,公明10.9%,れいわ7.0%,共産6.2%,参政3.4%,社民1.7%,
その他2.2%
となっている。
・この二つの%を較べてみると、全国合計では、
自民は得票率よりも得をしている。立憲はやや得をしている。国民は少し損。公明は少し得。れいわ以下の政党が少しづつ損をしている。社民は死に票になった。
100%を176人で割ると、得票率0.57%で1人当選すべきであるから、れいわなら12人、共産なら11人、参政なら5~6人、社民なら3人当選してもいいはずだという計算になるが、ブロック別のため「死に票」になっている。全国区(全国1ブロック制)なら死に票はもっと減っただろう。
小選挙区に較べれば比例区は比較的民意を反映していて、まだ歪み方が小さいが、それでも、多少は歪んでいる。それは、ブロック制のせいではないか? 以下を参照。
[2]-2中国ブロックでは、
・自民5, 立憲3, 維新0, 国民1, 公明1, れいわ0, 共産0,
参政0, 社民0,
で計10議席だが、
・実際の得票率は、
自民35.9%,立憲19.5%,維新6.4%,国民10.5%,公明12.0%,れいわ5.9%,共産5.1%,参政3.0%,社民1.8%
中国ブロックでは、自民(得票率は3分の1なのに議席は2分の1を得た)・立憲(得票率は2割なのに議席は3割を得た)が得票率以上に当選。維新、れいわ、共産、参政、社民は「死に票」となった。(もし仮に維新・れいわ・共産・参政・社民が一本化していれば、20%を超えるので2~3人が当選していたはずだ。)
[2]-3四国ブロックでは、
・自民3, 立憲1, 維新0, 国民1, 公明1, れいわ0, 共産0,
参政0, 社民0,
で計6議席。
・得票率は、
自民31.0%,立憲18.1%,維新6.7%,国民15.1%, 公明12.7%,れいわ6.2%,共産5.7%,参政2.9%,社民1.6%
四国ブロックでは、自民が得票率以上に当選して得をしている(得票率は3割なのに議席は5割を得た)。立憲は少し損をしている(得票率16.7%で1人当選だがそれ以上に得票している)。国民と公明は少し得をした(1人当選するのに得票率16.7%が順当だがそれ以下の得票率で当選した)。維新、れいわ、共産、参政、社民は「死に票」に。(もし仮に維新、れいわ、共産、参政、社民が一本化していれば、18.1%となり、1人は当選していたはずだ。)
[2]-2,3を見ると、小選挙区ほどではないにせよ、ブロック別にするとやはり「死に票」が多少以上出る。
[3]まとめ
以上[1][2]をまとめて、
・小選挙区は「歪んだ鏡」であって、「死に票」が多く、民意が反映されない。
・比例区は小選挙区に較べれば歪み具合が小さく、民意が反映されやすい。が、ブロック別にしているため、まだ「死に票」が出て、小さい政党が不利だ。むしろ全国ブロックにしてしまえばいいのでは?
・参院を全国ブロックにしてしまう方法もある。
・いずれにせよ、小選挙区と全国区など、それぞれ一長一短ある別の方法を組み合わせればいいのでは?
[4]付言。
・今回の衆院選の投票率は53.9%で、前回を下回った。抜き打ち的解散総選挙だったから投票率が下がったのかもしれないが? 国民全体でもっと政治や投票に関心を持つべきだろうな、とは言える。
北欧などは、投票に行くのは最低限の当たり前であって、十代から政党の青年部で活動を(サークル活動のよう)している、ということだ。日本では高校生はスポーツまたは受験勉強ばかりしている?
庄司薫の『赤ずきんちゃん気をつけて』を読むと、1969年ころの日比谷高校(当時東大合格全国1のスーパーエリート高校)では、政治、芸術、文学などの議論が盛んで、生徒総会も盛り上がったとか。
70年代以降だろうか、政治も文学も議論されなくなり、スポーツでなければ受験勉強ばかりするようになった印象がある。
79年の浦和高校生だった佐藤優は、当時としては珍しく政治や思想に強い関心を持った高校生だった。多くの同世代の若者は(全共闘運動退潮後で)政治については「しらけ世代」と呼ばれ、他方マスコミの提供するエンターテインメントの熱狂には夢中になった。(キャンディースや西条秀樹の「YMCA」で会場の皆で絶叫するのが流行ったのはこの頃。)
その後「勉強だけではダメだ」の大合唱のもと、受験勉強すらしなくなった。スポーツ推薦で大学に行くとは? 加えてSNSの普及で思考力・読解力が落ち、新聞の社説を較べ読みする学力すらない若者が増えた、結局投票には行かない、ということか? 愚民化政策が「成功」してしまっている? 新聞の候補者の主張を較べ読みなどしないでドジャースとオータニさんの心配ばかりしているとは・・?
いや、この言い方は大切なことを見落としている。若い人が将来に希望を持てず絶望・失望し、「どうでもいい」と自棄(やけ)になっている可能性がある。かつての若者は、将来は生活も社会もよくなる、と希望を持てた。今はそうではない。親よりも高学歴になったが(いや、実は高校や大学の中退者も多い。どうして大学生が闇バイトをしているのか!?)所得も地位も高くならない。非正規かブラック企業しかない。しかも自己責任だ怠けているだうんぬんと攻撃される(攻撃する人は、人の苦しみへの想像力がない・社会構造を考察する学力がない)。国全体が貧しくなっているから、新しいシステムを構築すべきだが、それはまだできていない。最も苦しんでいる人への救済策はないわけではないが、届いていない。(湯浅誠が内閣府にいたときにワンストップで対応できる役所を作ったが、あれが正解だ。)一部の超富裕層(年収5億円以上)・富裕層(年収1億円以上)とその周辺の利権にしがみつく者が、有権者の25%の得票率で安倍一強を支え続け、そうでない者の苦しみを無視し続けた。
(例えば、所得税の累進課税をもとの形に再強化すべきだ。中流を復活させる有効な方法の一つだ。皆様のおかげで富裕層にならせていただいているのであって、決してあなた一人の努力ではない。国民からむしり取る者を「非国民」とか「*賊」と言うのだが・・・)かのY上の苦しみは、彼一人の問題ではない。T一教会だけの問題でもない。多くの若者(だけでなく今や超氷河期は壮年・中年層に年齢が上昇)が「下流化」し苦しんでいる。ここを見落としてはいけない。闇バイトに若者が絡め取られなくてすむ社会とは? 安易に2000万円配ったりもらったりする人にはワカラナイ辛い現実が、実際にある。そこを何とかすべきなのだ。英国始め欧州のように「現物支給」をふやせばいいのでは? 警察と自衛隊は「現物支給」だ。教育と福祉と医療もすべて「現物支給」にしてはどうか? 財源はほら、皆様の2000万円とか、いくらでもあるじゃないですか・・といったことをオープンに見える化し、議論し、提案し、国民みなが(国籍が無くても住民みなが)安心して楽しく暮らせる(これは石破さんの総裁選での言葉)社会にしようじゃありませんか。
働いている人の賃金を上げる、と誰かが言っていた。が、いろんな事情で働けない人もいるし、無報酬で沢山働いている人もいますよ。(→「働く」とは何か?)あるテレビ局で街頭の人にインタビューしていたが、あるご高齢の婦人は、「夫が寝たきりでその世話があったので、私は賃金のある仕事には長く就いていなかった、よって年金の未納期間が長くなり、今いただける年金が極めて少なく、暮らしていけない」ということだった。病気の人の介護などをしていると、自分が外で働けず賃収入がなくなるのだ。他にも、地域の世話を無報酬でしている人もある。これはすごく大変な仕事で、やればやるほど奥が深く、量もある。豊かな時代には元気な高齢者や専業主婦がタダで(無報酬で)担って必要な仕事をしてきたが、今はみなが貧しくなって高齢者も賃収入のために外で仕事をしている、女性も賃収入のために外で仕事をしている、よって賃仕事をしていない一部の人、心あるきまじめな人に、多くのタダの仕事がのしかかる。専業主婦をいじめてはいけない、実は多くの仕事をタダで引き受けているのだ。配達だって家に主婦か老人か家事手伝いか不登校の子がいるから受け取れるのだ。町内会長会会長(町内会長じゃないよ、町内会長の会の会長)などきわめてハードで、防災に人権に地域活性化に地方祭に防犯に交通安全に運動会に文化祭に各種スポーツイベントに高齢者福祉に女性活躍に子供見守りに公民館の耐震補強に予算決算に・・・とあらゆる会合があり、毎日出勤、ダブルヘッダーの日も多く、(そう、首相と同じ。扱っているテーマの数は、首相とほぼ同じ。ないのは外交・防衛くらい。但し、首相と違ってタダで働く)場合によっては在任期間中に死亡、といったことが実際にあるのですよ。タダの仕事はいやだ、外で賃収入を得ます、という人ばかりだと、家庭内や地域のタダの仕事を担う人はいなくなります。町内会もPTAも消滅しつつありますよね。保護司のなり手もいない。民生委員は誰が引き受ける? 役について年間何千円かの謝金を出すからこらえてほしいという話では全然ありません。では月額20万円出せば引き受けてくれますか? というのも何か方向が違うような気がしますね。(そもそも各役員に月額20万円の予算は無理ですな。よほど富裕層に課税すれば別ですが。)(注)「賃金を上げる」を政策に掲げる人は、上記の事態を見落としていませんか? 選挙区に帰って、過疎地・限界集落または町の中心部のドーナツ化して空家ばかりの所を、訪ねてみてください。票数をかせげそうもないからそこは「棄民」にする? それは仁政とは言えません。「鰥寡孤独」(←読めますか?)を大事にせよと孟子は言いました。・・などなど、現実を踏まえた政策立案をしてほしいですな。
もちろん、人間は政治的なことばかりして生きているわけではない。経済も宗教も芸術も自然科学探究もその他その他などなどもしているし、世を逃れ隠棲したい人がいてもいい、と私などは考える。価値観の多様であることを認めるところから始まる。だが、現状は、もう少し政治に関心を持った方が良さそうだ。まずは新聞を較べて読むところから。(ネットニュースの見出しだけでは不可。)
(注)能力が同じ双子の兄弟がいました。兄は長男と見なされ、人もいいので、家庭の仕事、寝たきりの家族の世話、家回りの仕事、地域の仕事、神社や寺院のお世話までやることになり、賃収入のための仕事に出ることはかないませんでした。結婚も子育てもできません。何かと出費ばかりで困っています。このまま年老いていき、最後は孤独死するのかと不安です。弟は次男なので、それらすべてを免れ、都会に出て、好きなように自分の能力を伸ばし、がめつく高収入になり、税金も沢山払い(もしくは有能な税理士を雇い巧みに節税し)、年金の積み立てなどもたっぷりあり、子供の教育費も十分払え、老後も安心です。好きなスポーツ・サークル活動にも参加できています。さて、この場合、兄と弟、どちらが人間として徳が高く、どちらが人間として幸福だと言えるでしょうか、この何でもカネが必要な社会で。カネがないと何もできない社会で。高収入で高額納税者がエライと人々が口を揃えて言う社会で。「福徳一致」という言葉がありますが、現状で果たしてそれは可能なのでしょうか?
・技術的な話では、大きなスーパーや大学構内の投票所設置などは進んできた。18歳成人で主権者教育もかなりやっているはず。期日前投票の認知も進んだ。だが生活が厳しく投票に行くための休みが取れていないのではないか? と私は疑う。時給いくらだから休んだら賃収入が減るのだ。また過疎地・遠隔地の高齢者や寝たきりの人はどうする。海外にいる人は。市役所の選管の人が多忙過ぎる問題は。またネット投票だとコンピューター・ウイルスに侵入されそうですな・・・
・投票R6.10.26(日)が終わったので書くが、将来に希望がもてない、(それなのにあの人たちは裏金や2000万円で変なことをやっている、そもそも2000万円なんてお金どこにあるのだ、)という悲しみと怒りが、自民党批判票となって噴出したのだろう。自民党比例は前回の1990万票から今回の1460万票に530万票減った。公明も減った。石破さんのせいだけではない。長年の安倍自民党時代のひずみの結果だ。だから石破さんを降ろして高市さんになれば解決する、という問題では全くない。それでは方向が全く逆だ。
受け皿になったのは、立憲の大躍進、国民の拡大、とされるが、実は、れいわ(220万票→380万票、議席も3議席→9議席)、も大きい。
実は共産も今回小選挙区で370万票(ほとんどが「死に票」になったが)、比例で336万票(得票率6~7%)取っている。2019年7月参院選では比例で440万票(得票率9.0%)だったのでマイナスではある。2019年のれいわは230万票(4.6%)。
これらは無視できない数字だ。共産とれいわと合わせると比例で720万票になり、相当なパーセンテージになる。維新(510万)・国民(620万)・公明(600万)の各党よりも大きい数字となる。これだけの強烈な批判票が明確にある、と見るべきだろう。(720万人というと、小さな県の総人口をいくつも合わせたよりも大きい数字だ。福岡県でも人口500万人ですか。)
共産は初めから除外する、という人がいるが、おかしな話だ。裏金も2000万円も共産党の「赤旗」がすっぱぬいたと聞く。政権を監視するのは野党の重要な仕事の一つだ。(念のため私は共産党支持者でも何でもなく、「支持政党なし」の無党派層だが・・)どこかの全体主義国では、政権を批判することすらできない国がある。日本はそうであってはいけない。
・アメリカの大統領選で、州ごとに勝った側が選挙人を「総取り」する方式は、ワカラナイ。51対49が100対0になるのはおかしい、とアメリカ合衆国の人も普通に考えればなるはずだが?