James Setouchi
2024.10.28
マイケル・サンデル『これからの「正義」の話をしよう』
鬼澤忍・訳 早川書房 2010年
Michael Sandel “JUSTICE What’s the Right Thing to Do? ”(2009年)
[1] マイケル・サンデル:
1953年生まれ。ハーバード大学教授。ブランダイス大学卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。専門は政治哲学。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員を務める。/1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズムの代表的論者として知られる。主要著作に『リベラリズムと正義の原理』、Democracy’s Discontent、Public Philosophy などがある。/類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目「Justice(正義)」は、述べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することに決定、その規模はPBSで放送された。この番組は日本では2010年、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。(本書のカバーによる著者紹介から)
[2] サンデルが取り上げている具体的な例からいくつか。例えば、これらのとき、あなたはどうするでしょうか?(字数の都合で一部しか消化できず残念です。)
(1)巨大ハリケーンに襲われたフロリダで、生活に困っている人びとがいる。これに対し、便乗値上げを行い品物を売ることは、市場の論理(需要と供給の原理)から言えば正しいことになるが、果たして是か非か?
(2)軍隊で負傷した兵士に勲章を与えるが、心理的にPTSDになった兵士にも勲章を与えるべきか、それとも彼らは弱い人だから勲章に値しないとみなすべきか?
(3)サブプライムローン破たんの経済危機で、税金を投入して大企業を救済したが、その救済された大企業の幹部社員が税金から多額のボーナスを受け取っていたことは、是か非か?
(4)暴走する路面電車の正面に作業員が5人いる。これを避けようとすると見知らぬ一人の男が巻き込まれて死ぬ。あなたならどうするか? (つまり人間の命を数の多少で計量してよいかどうか?)
(5)アフガニスタンで米兵が秘密偵察中に民間人に遭遇した。彼らを生かして帰せば敵に通報される危険性があるが、殺害すべきかどうか? その結果はどうなったか?
(6)1884年の夏、イギリス人船乗り4人が漂流中に…(あまりにも恐ろしい事例なのでここでは明記しない。自分で読んでみてください。44頁です。)
(7)貧民が街にいると多数の人が不快を感じるので、貧民(物乞い)を救貧院に強制的に隔離しよう、とベンサム(JS注:功利主義の総本山とも言うべき人物)は主張した。是か非か?
(8)誰かが都市に爆弾を仕掛けた。一般市民を救うために、容疑者をひどい拷問にかけて爆弾のありかを聞き出すべきか?
(9)最も美しい繁栄した街・オメラスには、秘密があった。地下の部屋に、知能が低く栄養失調で世話をする者もない少年を閉じ込めていたのだ。(JS注:これはル=グィンの小説に出てくる話をサンデルが使い、ベンサムを批判しているのだ。)
(10)タバコを販売するとタバコ会社は儲かる。一方、タバコの害による医療費のため国家予算が圧迫される。ところが、ある試案によると、タバコを吸う人は早く死ぬので、医療費(国家予算)の負担は少なくて済む、という結果が出た。これをどう考えるか?
(11)徴兵と傭兵はどちらが正しいのか? 徴兵された人がお金で代理の人を雇うことはどうか?
(12)代理母を金で雇い、かつ自分の好みの卵子を金で購入して、自分の子を生ませることはどうか?
(13)ある大学で、カンニングをしないと誓約した学生に地元の店の割引券を配った。金銭的な報酬に動機づけられた正直さに道徳的な価値はあるのか? (カントなら否と答えるだろう、とサンデルは言う。)
(14)持ち主の同意を得ず修理を行った業者に対して支払いをすべきか?
(15)マイケル・ジョーダンやアリの報酬が高額であるのは果たして当然か? 才能の分配は恣意的であるため、実力主義に基づく正義の概念は不完全だ、とロールズは主張する。サンデルはこれに共感しているように見える。(201、212頁)
(16)大学入試においてマイノリティを優先的に入学させるのは是か非か? ここでは大学の目的が問われる。
(17)脳性麻痺で車椅子を使う者はチアリーダーから除名されるべきか? ここではチアリーディングの目的が問われる。
(18)足に障がいのある人はプロゴルフ協会の大会でカートで移動してよいか? ここではゴルフの目的が問われる。
(19)ドイツや日本は戦争中の残虐行為に対して、またアメリカは過去の奴隷制度に対して、賠償金を払うべきか? 「先祖の罪を償うべき」か? だが、人間は自分が望んだわけでなくとも、すでにあるコミュニティの一員であるのではないか?(ここはカントやロールズをサンデルが批判しているところ。285、291頁など)
(20)凶悪な兄の逮捕に、弟は捜査協力すべきか? ここでは家族コミュニティが問われる。
(21)妊娠中絶の是非。初期の胚をES細胞研究のため破壊することは殺人と同じか? ここでも共通善が問われる。
(22)同性婚の是非。あるいはそもそも、国家(公権力)が結婚に介入すべきか? ここでも共通善が問われる。
[3]感想:
サンデルはNHK『白熱教室』で日本でも有名になった。対話重視の姿勢、また上記のごとく具体例がすばらしい。同時に、しっかりした哲学の素養があってこそできることだ。サンデルは、一方でベンサムら功利主義者たちの「幸福の最大化」を批判し、他方で自由市場主義者(リバタリアン)や公正派(ロールズら)の「自由の尊重」を批判し、アリストテレス的な「美徳の促進」という考え方を提示する。
但し、ロールズを追いかけ批判しつつも、「ロールズの正義論はアメリカの政治哲学がまだ生み出していない、より平等な社会を実現するための説得力ある主張を提示している。」(216頁)とするなど、ロールズ的な正義については全否定せず肯定的に捉えた上で批判している。
市場主義の暴走でアメリカ社会にひずみが生じ人間の尊厳が脅かされている事態に対してロールズとサンデルは同じく危機感を持って問いを発していると思われる。日本では、どうであろうか。 (H28.9)