James Setouchi

2024.10.28

 

  岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』ダイヤモンド社2016年

 

1 本の紹介

 概説書である。

①現代に活躍する哲学者(哲学教授)たちを扱っている。現代哲学の潮流の中心はアメリカであるとして、アメリカの哲学者を多く扱っている。アリストテレス以来の哲学者を列挙する高校倫理の教科書・資料集とは異なる。ドイツ観念論や実存主義、またフランスの構造主義・ポスト構造主義などにはあまり言及せず、それよりも後から出てきた哲学者を扱っている。

②IT革命、バイオテクノロジー、資本主義、宗教、地球環境など現代の諸問題について現代の哲学者がどう考察・発言しているかを扱っている。現代の諸問題を網羅しているので現代世界を捉えるヒントにはなる。

 但し概説書なので、この次には自分でその哲学者のテキストを読みその哲学者自身と対話したい。また大学の職業哲学者たちについての紹介であるが、それ以外にも哲学や思想の現場はある。これらを見据え自ら哲学する作業に進むべきだろう。以下、多少中身を検討する。

 

(1)「第3章 バイオテクノロジーは「人間」をどこに導くのか」では、①「ポストヒューマン」誕生への道、②クローン人間は私たちと同等の権利をもつだろうか、③再生医療によって永遠の命は手に入るのか、④犯罪者となる可能性の高い人間はあらかじめ隔離すべきか、⑤現代は「人間の終わり」を実現させるのか、などについての現代の哲学者たちの言説を紹介する。

 

 ①の「バイオテクノロジーは優生学を復活させるのか」の段で、アーサー・カプランの論文を参照しつつ、「ナチス型の優生学」と現代の「優生学」を区別し、前者は国家や組織が主体となって行う、後者は親やカップルの自由に任せられている、とする。後者は、どのような子どもを生みどのように教育するかは個人の自由な選択に基づくのであるから、前者とは異なり、「ナチス・ドイツの記憶を呼び起こして単純に反対することは不可能です」(132ペ)と著者(岡本氏)は言う。

 

 だが、いかなる個人が「自由」にバイオテクノロジーの技術を使えるか?を問うた時、富裕層あるいは権力と癒着した個人だ、結果として有利な遺伝子を持った人と不利な遺伝子を持った人との差別・分断が拡大する、というのは十分予想できるはずだ。また、「自由」にバイオテクノロジーを使っているかのように見える富裕層についても、国家による強制でなくとも、市場経済・競争主義における有利不利から来る半強制が「個人の自由な選択」なるものを侵食し左右している現状がある。だが、これらのことについては、この本では言及していない。この点は非常に残念だ。概説書であって高校生に入門書として最適の本として薦めうるか? という観点で見た時、上記の点が不十分で、薦めるとしても但し書きが必要だと感じる。

 

 同様のことが②においても言える。クローン人間は年齢の異なる「一卵性双生児」であるとすれば、クローン人間を恐れたり禁止したりする理由はない、とドーキンスを参照しつつ著者(岡本氏)は言う(138ペ)が、クローン人間は、金や権力を持った人々のための、人造兵士や、臓器提供の培地にされ、それがさらに金で売買されてしまうかもしれない、という危惧については言及していない。仮にクローン技術を容認するとしても、未来に奴隷制を復活させないためにはどうすればよいのか? の問いが同時にあるべきだろう。

 

(2)「第5章 人類が宗教を捨てることはありえないのか」では、①近代化は「脱宗教」の過程だった、②多様な宗教の共存は不可能なのか、③科学によって宗教が滅びることはありえない、などについて現代の哲学者たちの言説を紹介する。最近のトレンドとしてバーガーの主張「われわれが世俗化された世界に生活しているという仮定は誤りだ」(238ペ)を紹介する。著者(岡本氏)はイスラム過激派、アメリカ福音主義、ローマ・カトリック、ロシア正教などの盛況を例証に挙げる。

 

 だが、宗教運動はなぜ再び盛況になっているのか?を考えたい。グローバル市場経済が浸透し旧来の安定的な生活が破壊され貧困と疎外に陥ったとき、生活と心のよりどころになった組織が宗教組織(イスラム教の組織を含む)だった、ということは十分ありうる。過激派の場合は、穏健派とは違って、自暴自棄になった若者を過激思想に引きつけ、政治目的のために利用している、その実態は宗教テロではなく政治テロだ、と考えることができる。だが、この著書には、これらについての言及はない。実に惜しい。高校生など若い人に薦める本に入れてもよいが、但し書きが必要である。

   (なお、この本はある人が紹介してくださったので、読んでみた。)

 

2 著者紹介 岡本裕一朗1954年生まれ。九州大学文学部出身。玉川大学文学部教授。著書『フランス現代思想史―構造主義からデリダ以後へ』『思考実験―世界と哲学をつなぐ75問』『モノ・サピエンスー物質化・単一化していく人間』『ポストモダンの思想―9.11と管理社会』『ネオ・プラグマティズムとは何かーポスト分析哲学の新展開』『異議あり!生命・環境倫理学』など。                               

                                  (H29.8)   

 

(十代で読める哲学・倫理学、諸思想)

プラトン『饗宴(シンポジオン)』、マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』、『新約聖書』、デカルト『方法序説』、カント『永遠平和のために』、ショーペンハウエル『読書について』、ラッセル『幸福論』、サルトル『実存主義はヒューマニズムである』、ヤスパース『哲学入門』、サンデル『これからの「正義」の話をしよう』、三木清『人生論ノート』、和辻哲郎『人間の学としての倫理学』、古在由重『思想とは何か』、今道友信『愛について』、藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』、内田樹『寝ながら学べる構造主義』、岩田靖夫『いま哲学とは何か』、加藤尚武『戦争倫理学』、森岡正博『生命観を問いなおす』、岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』などなど。なお、哲学・倫理学は西洋だけではなく東洋にもある。日本にもある。仏典や儒学等のテキストを上に加えたい。『スッタ・ニパータ』、『大パリニッバーナ経』、『正しい白蓮の教え(妙法蓮華経)』、『仏説阿弥陀経』、懐奘『正法眼蔵随聞記』、唯円『歎異抄』、『孟子』、伊藤仁斎『童子問』、新渡戸稲造『武士道』、相良亨『誠実と日本人』、菅野覚明『武士道の逆襲』などはいかがですか。