James Setouchi

2024.10.28

 

 『未来への大分岐』集英社新書 2019年8月

マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン 斎藤幸平・編

 

1 本書は、斎藤幸平と3人の著名人との対談である。参加者は次の通り。本書の紹介文などから。 

(1)マイケル・ハートMichael Hardt政治哲学者。デューク大学教授。著書『<帝国>』(ネグリとの共著)。ウィール街選挙運動をはじめとする社会運動の理論的支柱となっている。

(2)マルクス・ガブリエルMarkus Gabriel哲学者。ボン大学教授。著書『なぜ世界は存在しないのか』など。NHK『欲望の資本主義』シリーズで有名。

(3)ポール・メイソンPaul Mason経済ジャーナリスト。ガーディアン紙などで活躍。著書『ポストキャピタリズム』など。資本主義は情報テクノロジーによって崩壊すると主張。

(4)斎藤幸平(1978~)東大大学院総合文化研究科准教授。東大出身、フンボルト大哲学科博士課程修了。著書『大洪水の前に』『人新世の「資本論」』『ゼロからの「資本論」』『マルクス解体』『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』など。

 

2 内容から少し

 

第1部 マイケル・ハートVS斎藤幸平:「資本は、人々の能力や才能を十全に活用できているのか?」「人々の才能や能力は、現在の経済システムのもとで無駄づかいされているのではないか?」と問うべきだ(29頁)。民主主義の機能不全、つまり立法府の機能麻痺と大統領府の権力の肥大化がアメリカでは進行している(34頁)。サンダースは周囲の活動家から学ぼうとした(47頁)。政治は社会的生産との関連で理解すべきだ(60頁)。<コモン>(民主的に共有されて管理される社会的な富、例えば電力システム、あるいは地球そのもの)の決定に関する、民主的で新しい取り組みが必要だ(63~69頁)。現在は非物質的生産・非物質的労働が台頭している(90頁)。多様な主体をマルチチュードとして捉え直そう(94頁)。知識や情報を管理するアルゴリズムを自分たちの<コモン>にすべく闘う必要がある(100頁)。例えば、教育を脱商品化するためにはどのような方法があるのか(117頁)。社会運動ではバルセロナのミュニシパリズムが注目できる(125頁)。

 

第2部 マルクス・ガブリエルVS斎藤幸平:ポストモダニズムの時代になり、「ポスト真実」と呼ばれる社会状況が出現しているが、それぞれ異なるいくつもの「真実」があるわけではない。ホロコーストは「自明の事実」だ(136頁)。エビデンスに価値を置く政治が必要だ(142頁)。SNSは言わば情報の喫煙で、知的な害をもたらしている(142頁)。人権の概念は西洋だけの者ではなく古代中国やインドにもある、普遍的な価値だ(146頁)。ポストモダンの相対主義は、ニーチェ、ハイデガー、フーコー、デリダなど、すべて「人間の終焉」という幻想に基づき、他者を非人間化するものだ(153頁)。世界に存在する飢餓の状況を、放置してはならないと考えるか、見ないようにするか。それが不公正で、自分たちが不公正を引き起こしている原因だと知っていながら、現在の秩序の維持を暗に欲しているから、政治もまともであるべきではない、と動く人々がいる(156~157頁)。蔓延する相対主義に反し、事実そのものを擁護すべきだ、とするのが新実在論だ(161頁)。社会的現実は幻覚のようなものではなく、実在的なものだ(170~171頁)。事実は「そこに」あるのではなく、「ここにも」ある(175頁)。私たちは事物を事物そのものがあるがままに知ることができる。私たちが知ることができる多くの実在的なモノがすべて単一の領域に属しているわけではない。(179頁)自然科学を絶対視する「自然主義」を放置すると危険なテクノクラシーの傾向を生み出す。専門家集団による支配は、民主主義の理念(人間の自由と平等)と相容れない。(185頁)子どもたちに、哲学的に思考するということを教えるべきだ(196頁)。AIは倫理を持っていない(203頁)。ドローン攻撃やサイバー戦争のアルゴリズムに、私たちは自分たち自身を服従させている(205頁)。抵抗のためには啓蒙主義を最大化することだ(205頁)。AIの普及で人間という概念が揺らげば、次に待っているのは強制収容所だ(206頁)。難民問題を考えると、民主主義は国民国家と相容れず国民国家を越えて民主主義が拡張されなければならない(222頁)。

 

第3部 ポール・メイソンVS斎藤幸平現代社会の危機を乗り越えるためには、脱資本主義、ポストキャピタリズムの社会を作ることだ。リーマン・ショックは、時代の終わりを告げる危機だった。いかなる時代の終りか? 18世紀末の産業革命を起点とした産業資本主義の時代が行き詰まったのだ(230~233頁)。コンドラチェフの波に異変が起きている。情報技術による経済は、資本主義と共存できない(234~235頁)。リーマン・ショック以降の経済を、一時的なものと見る人もあるが、そうではない(236ページ)。「潤沢な社会」への移行がすでに始まっている(239頁)。ボールペンや大型家電だけではなく、育児、医療、交通など生活に必要なサービスも、IoTなどの情報技術によって、生産コストを提げ低価格で潤沢に供給できるようになるはずだ(240頁)。カリフォルニアでは3Dプリンタを使って一棟60万円の住宅供給の試みが始まっている(242頁)。情報技術の発展で、限界費用がゼロになり、「価値の破壊」が起きる。利潤の源泉がなくなれば、資本主義は資本を増やすことが出来なくなり、終焉を迎えることになる(243~245頁。)①限界費用ゼロ、②高度なオートメーション化と労働の定義の変化、③正のネットワーク効果、④情報の民主化、がポストキャピタリズムへの道だ(245~256頁)。それを阻むのものは、①市場の独占(限界費用ゼロ効果に対する抵抗)、②ブルシット・ジョッブ(オートメーション化に対する抵抗)、③プラットフォーム資本主義(正のネットワーク効果への抵抗)、④情報の非対称性を作り出す(情報の民主化への抵抗)、である。(263~267頁)今私たちが生きているのは、自由市場ではない、反競争的な資本主義だ。増えているのは租税回避ばかり。現在の資本主義は、反社会的な資本主義だ。(269頁)オフショアで租税回避できるシステムをやめさせ、独占企業に規制をかける。(269頁)。さて、オートメーション化は人々の労働をどう変えるか。かつては「私は世の中のために働いているのだ」という意識を持っていた(274頁)。が、今やオートメーション化の進行のため、必要のない多くの仕事が存在するようになっている(275頁)。一日6時間、週休3日制は簡単に実現可能、すでにスウェーデンは試み始めている(276頁)。ビルの清掃スタッフは誰とも話をせず孤独に半日の仕事を終える(276頁)。仕事以外の生活・人生がある。人間性に重きを置いた生活を作り出すべきで、時代遅れの勤労倫理が問題だ(277頁)。機械化できる低賃金の仕事を、わざわざ不法移民にやらせ、「30万人の雇用を生み出したぞ」と政治家は言う(279頁)。人類の未来は労働からの解放にかかっている(280頁)。ネット空間ではタコツボ化したバラバラの世界に人々が住み、ヘイトに満ちたフェイクニュースがあふれる(287頁)。インターネット上の匿名性を根絶すべきだ(289頁)。情報の非対称性に対して対称性を求めるべきだ(289~290頁)。ビッグデータ・リポジトリ(貯蔵庫)を私たちの手で管理することが必要だ(292頁)。スルニチェクら加速主義者は、テクノ・ユートピア主義者と言うべきで、支持できない(294頁)。私たち人間の主体性が必要だ(296頁)。答は技術の中にではなく(この点ハラリは間違っている)、人間の理論であるヒューマニズムの中にこそある(298頁)。中国の大学では、「人類の普遍的価値」という言葉は使用禁止になっている。それでAI開発を進めるのは、倫理的なことだろうか?(301頁)。中国の公式イデオロギーはマルクス主義的ヒューマニズムの否定だ(302頁)。ポストキャピタリズムへの道は、古いレーニン主義者が主張する国家社会主義への道であってはならない(303頁)。人間を人間たらしめているものは、人間の自由だ(305頁)。マルクス主義的ヒューマニズムが、新しいアリストテレス的な道徳を生み出すことが出来るのではないか。何が私たちをより良き存在として機能させるものなのか? その答は、アルゴリズムに対する統制を拒否する私たちの能力だ。(307~308頁)さもないと、古代皇帝の専制の時代に戻ることになる(309頁)。グリーン・ニューディール(アレクサンドリア・オカシオ=コルテスら)が法制化されれば、再分配的正義と環境正義の融合が実現するだろう(313頁)。現代価格理論(MMT)は頼りにならない(313頁)。テクノロジーに関する倫理委員会に倫理学者を入れるべきだ(322頁)。より多くのものが、市場と国家を越えて、協働作業をする人々によって生産・管理されなければならない(324頁)。経済における、非市場的な部分、協働的で非営利的な部分を、国家が拡張し守るべきだ。非市場経済省を設立しよう(328~329頁)。ケインズのビジョン「万人のための芸術」は正しい。(332頁)

 

おわりに(斎藤幸平):三人は「自由、平等、連帯、そして民主主義」に重きを置くことでは全員が共通していた。資本主義は、瀕死の状態でありながら、強靱性を最後まで発揮するに違いない。その裏で苦しむのは、貧しい国々の人々と未来の世代だ。大分岐の時代においてこそ、ニヒリズムを捨てて、民主的な決定を行う集団的能力を育む必要がある大きな展望を持った新しい言葉を紡ぐことが求められているし、世界の知識人はその倫理的責任を引き受け、動き出している。(336~342頁)

 

3 コメント:色々思うところはあるが、例えば、みんながブルシット・ジョブから解放され芸術創造や学問研究に時間を割ける生活になれればいいな、だがそのためには? とポール・メイソンを読みながら思った。                                             

                            R5.10.22