James Setouchi

2024.10.28

 

 

  森岡正博『生まれてこないほうが良かったのか』筑摩選書 2020年10月

 

1 森岡正博1958~ 高知県生まれ。哲学者(生命哲学)。東大、国際日本文化研究センター、大阪府立大などを経て2020年現在早稲田大学人間科学部教授。著書『生命学に何ができるか』『脳死の人』『宗教なき時代を生きるために』『無痛文明論』『感じない男』『草食系男子の恋愛学』『33個めの石 傷ついた現代のための哲学』などなど。(本書巻末の著者紹介から)

 

2 『生まれてこないほうが良かったのか』

 はじめに:著者は哲学者・思想家として、「生命の哲学」を構想しようとしている。そこでは西洋の哲学だけでなく非西洋の哲学をも包含して、新しい創造的な哲学の営みを行うことになる。その一つとして、本書では、「生まれてこないほうがよかったのか?」という問いを集中的に考察する。そこでは、「反出生主義」「誕生否定」「出産否定」などを取り上げる。ゲーテ、古代ギリシア文学、ベネター(誕生害悪論)、ショーペンハウアー、古代インドのウパニシャッド哲学、ゴータマ・ブッダの哲学、ニーチェ(誕生肯定)を取り上げる。さらに、ベネターの反出生主義を批判し、子どもを産むことの是非についてヨーナスとワインバーグの考え方を検討する。そこから誕生肯定の概念を述べ、生命の哲学の見通しに言及する。…哲学書としての優劣などを論ずる力量は私にはないが、私的に気になったとこるだけ記しておく。

 

第1章:ファウストとメフィストの会話から入る。ファウストは言う「ああ、わたしは生まれてこなければよかったのに!」 他方ファウストはグレートヒェンに向かって言う、「おまえは生きなければならない!」と。…この発言は、実は多くの人にとって思い当たるとことがあるのではなかろうか。自分はともあれ、愛する人は生かしたい。

 

 第2章:『オイディプス王』や旧約聖書『コーヘレト書』、またエミール・シオラン、ベネターに言及する。ベネターは誕生害悪論の代表選手だ。ベネターの先駆はナーヴソン(優勢思想になる)とフェター(誕生害悪論)だ。…これらにどう反論するか?

 

 第3章:ショーパンハウアー(カント説と輪廻説を融合。認識の力によって、生きようとする意志を捨て去る。生きようとする意志は輪廻する)がハルトマンやフロイトに影響を与え、また彼を通じてヨーロッパは古代インド哲学を発見した。

 

 第4章:古代インドの『ウパニシャッド』では、輪廻からの脱出を模索した。アートマンがその中心概念だ。ウッダーラカは息子シュヴェータケートゥに言う「それが自己(アートマン)である。」「お前は、そのようである。」と。森岡氏の解釈では、「真理は何か、真理とはアートマンである、お前がアートマンである」と二人称指示によってアートマンの存在する場所を「お前」だと伝えている。(157頁)「お前」こそが「生まれてきて本当によかった」の主体でなくてはならないのだ。(161頁)

 

 第5章:ブッダの思想は、一見生の否定に見えるが、すでに生まれてきているところから出発してこの世でどう生きるか、をプラグマティックに問うものだ。(194頁)これは誕生肯定思想でもある。

 

 第6章:ニーチェは、この世で生きることをまるごと肯定する思想に到達した。(217頁)永遠回帰、運命愛がそれだ。ニーチェは、存在の必然性への愛だけではなく、生成の必然性への愛を語る。(241頁)

 

 第7章:ベネターの誕生害悪論には、論理的根拠がない。(288頁)子どもを産むことについては、ハンス・ヨーナス(生命の哲学の創始者)が参考になる。生物進化の歴史を考えると、細胞膜を通した物質代謝のよる細胞の自己維持の方式の中に、すでに「自由」の萌芽がある。(290頁)人間は人間の名に値する生命が永続するように行為すべきだ。(291頁)リヴカ・ワインバーグは、出産許容性原理(297頁)として、①子どもが生まれたら育て愛し伸ばしたいという願いと意志により出産は動機づけられねばならない、②あなたがもし生まれてくる子ども自身だと仮定したときに受け入れられる程度のリスクであるときにのみ出産は許される、を提示する。子どもを産む時には、子どもの同意が不在である(300頁)、とするかねてからの言説がある。森岡氏は、これに対し、子どもの同意なき出産が許容されるためには、③「生まれてこない方がよかった」と問うた時に親は応答責任がある、と付加する。(302頁)「自分は障がいを持って生まれてきた、これは損害だ、障がいに関する情報を親に与えなかった医師が悪い」とするロングフルライフ訴訟の根底にある反出生主義思想を克服することが、これからの哲学・倫理学の基礎になるべきだ。(306頁)

「生まれてきて本当によかった」と心の底から思えるとは、どういうことか。現実世界と可能的世界を比較することは原理的に不可能だ。たとえ生まれてこないほうが良かったと思われるとしても、実現不可能な選択肢に固着して嘆くのではなく、これからの人生を生きる中でその思いを解体する、という生き方を目指す道筋がある。(316頁)

脳死については、2008年の米国の報告書『死の決定における諸論争』では、人間の本質を全脳の機能から自発呼吸へと大転換したと言える。(329頁)神は人間にいのちの息を吹き入れた。(331頁)人工知能のフレーム問題についても言及(略)。

 

3 感想

 さすが森岡氏で、古今東西の思想に言及するが、儒教、イスラム教、日本仏教などにも言及があればもっとよかったかもしれない。どこか他人の話、一般論ではなく、あくまでも自分の問題を出発点として誠意を持って考え語ろうとしている。平たい文章で一般人にも読みやすい。森岡氏が側にいて語ってくれているような感じになる。が、論理的に精緻な部分はやや高度で難解。今現に悩みで切迫している人はついていけないかも知れない。哲学書であってカウンセリングやスピリチュアルの本ではないから仕方がないのかも知れない。なお、生まれてきて(生きていて)よかった、と思えるのは、経験的には、心身の苦痛から解放された、何かをやりとげた、人から肯定された、などの時で、生まれてこない方が良かった、などと思うのは、その反対の時だろう。自死についても言及があるが、社会の中で追い詰められて自死するわけだから「自殺は(社会による)他殺だ」とあえて言ってみたい。人が生きられるよう具体的にサポートする実際の政策もあるべきだろう。アマゾンの書評を見ると、本書に対して肯定意見もあるが、否定意見もあった。私は、森岡氏の今後の生命の哲学の構築も含めて、肯定派だ。皆さんはどう考えますか?

 

(十代で読める哲学・倫理学、諸思想)プラトン『饗宴(シンポジオン)』、マルクス・アウレリウス・アントニヌス『自省録』、『新約聖書』、デカルト『方法序説』、カント『永遠平和のために』、ショーペンハウエル『読書について』、ラッセル『幸福論』、サルトル『実存主義はヒューマニズムである』、ヤスパース『哲学入門』、サンデル『これからの「正義」の話をしよう』、三木清『人生論ノート』、和辻哲郎『人間の学としての倫理学』、古在由重『思想とは何か』、今道友信『愛について』、藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』、内田樹『寝ながら学べる構造主義』、岩田靖夫『いま哲学とは何か』、加藤尚武『戦争倫理学』、岡本裕一朗『いま世界の哲学者が考えていること』、森岡正博『生まれてこないほうがよかったのか』、千葉雅也『現代思想入門』などなど。なお、哲学・倫理学は西洋だけではなく東洋にもある。日本にもある。仏典や儒学等のテキストを上に加えたい。『スッタ・ニパータ』、『大パリニッバーナ経』、『正しい白蓮の教え(妙法蓮華経)』、『仏説阿弥陀経』、懐奘『正法眼蔵随聞記』、唯円『歎異抄』、『孟子』、伊藤仁斎『童子問』、内村鑑三『代表的日本人』、新渡戸稲造『武士道』、相良亨『誠実と日本人』、菅野覚明『武士道の逆襲』などはいかがですか。(R4.2.20)