James Setouchi
2024.10.28
『新・学問のすすめ 脳を鍛える神学1000本ノック』佐藤優 文春文庫2018年7月
1 著者紹介 佐藤優
1960年生まれ。浦和高校、同志社大学神学部に学ぶ。院を経て外務省入省。英国、ロシアの大使館で勤務。外務省国債情報局分析第一課で主任分析官を務める。2002年、背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され東京拘置所に勾留される。05年2月執行猶予付き有罪判決。09年6月最高裁によって上告棄却。著書『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』『自壊する帝国』『私のマルクス』『甦るロシア帝国』『知の教室』『聖書を読む』など。(文春文庫のカバーの著者紹介から)
2 目次:まえがき/第1講 神学とは何かー得をしない学問が強い/第2講 聖書を持って社会へープロテスタンティズム/第3講 不合理ゆえに我信ずー三位一体論/第4講 絶対に解けないから挑むーキリスト論/第5講 無駄死にしないためにー終末論1/第6講 過去を振り切って前を見るー終末論2
3 内容紹介:「まえがき」によれば、2016年秋学期の、同志社大学神学部での特別講義(1年生対象のようだ)の内容を活字化した本。内容は結構面白い。世界史やキリスト教の知識がある方が理解しやすいだろうが、そうでない人も読むと良い。『福音主義神学概説』をテキストとして用いた購読を軸に進み、その途中途中に他のテキストを交えたレクチャーが入る。佐藤優は東欧の神学に詳しく、かつもと外交官であるので国際政治の話も入る。
第1講:ドイツのハンフリート・ミューラーの『福音主義神学概説』をテキストにする。ミューラーは東ドイツ秘密警察の協力者だったので現代のドイツではタブーになっている(34頁)。イエス・キリストは「わたしはすぐに来る」と言ったがなかなか来ない。これを終末遅延という(56頁)。福音主義(プロテスタンティズム)は、「聖書のみ」「信仰のみ」「恩寵のみ」の原理を持つ。(カトリックは「聖書と伝統」「信仰と行為」「恩寵と自然」。)(61~62頁)
第2講:福音主義神学は、自然神学を退ける(72頁)。ドイツのハルナックたちは第1次大戦の時「この戦争はドイツの文明を守るための聖戦である」と宣言を出した(77頁)。スイスのカール・バルトはこれに疑問を持ち、神は心の中ではなく上にいる、と主張した(78頁)。キリスト教は喩えて言えば元本保証型の保険商品だ。イエス・キリストが来たことによって、我々の救いはすでに担保されている(83頁)。ハーバード大では神学部でなく宗教学部に傾くが、プリンストン大では神学部は信仰との関与を大事にすべきとの方向を持つ(99頁)。カンタベリーのアンセルムスは「キリスト教を純粋に学問として学ぶことは、キリスト教が宣教・祈り・礼拝にかかわるものだという事実を見失うことになる。云々」とした。佐藤自身はこの立場(103頁)。日本では戦後東大文学部で西洋古典学や哲学を出た人が東京神学大学に学士入学し牧師などになるコースがあったが、今は東京神学大学は偏差値が低い(107頁)。同志社大学神学部はアメリカ会衆派の伝統に属し、改革派的な人、ルター派的な人、メソジスト的な人などがいろいろいる。佐藤自身は改革長老派的なバックグラウンドが強い(112頁)。1934年のドイツのバルメン宣言(ナチに対抗、29頁)には「キリスト論的集中」が示されている。われわれはイエス・キリストの前に神によって呼び出されて、服従するか反抗するか、二つのうち一つの選択しかできない。常に服従を選ばないといけないというのがキリスト教だ。(115頁)。さらにマクグラス『キリスト教神学入門』を用いて啓蒙主義とキリスト教信仰との関係について言及。啓蒙主義によって西欧と北米のキリスト教は不安定となった。裏返して言うと、東欧・ロシアとラテンアメリカのキリスト教は、啓蒙主義の嵐を免れることができた(132頁)。
第3講:イランが核保有したらパキスタン領内の核弾頭をアラビア領内に移動するとの秘密協定がある(158頁)。2014年に北朝鮮が水爆実験に成功したことを、ロシアのメディアは「北朝鮮メディアによれば、北朝鮮の宇宙飛行士が太陽に着陸し地球に無傷で生還した」と伝えた(161頁)。ロシアのニコライ・フョードロフは生物学と化学を融合させ万人を復活させることが可能になる、全人類が甦ると地面と空気が不足するので、他の惑星に移住できるようにしよう、とロケット工学を始めた(166頁)。フョードロフの思想はオウム真理教にも影響を与えた(167頁)。三位一体は200年頃のテルトゥリアヌスの造語(172頁)。精霊は父と御子から出るのか、父からのみ出るのか。この「子からも(フィリオクェ)」問題で東西教会は1054年に分立。900年以上も相互破門していた(175頁)。前者を考えたのはアウグスティヌスで後者はカッパドキアの三教父たちだった(179頁)。当時は東の方が知的水準が高いと(東の)人々は考えていた(180頁)。カトリックは被造物である自然の中に神の意志が働いているから、遺伝子組み換えなどはしてはいけない。プロテスタントは神が人間に自由意志を与えた、人間が行動することによって自然も改変する、と考える。カール・バルトはカトリック的な「存在の類比」を反キリストの発明だとみなす(192頁)。
第4講:ラインホルド・ニーバーの「光の子」「この世の子」という思想に影響されアメリカは日独伊あるいは共産主義者やイランなどと戦うことになったが、トランプは1941年の真珠湾以前のモンロー主義に戻ろうとしている(201頁)。山本七平や大澤真幸によれば、旧約でヨシヤ王が原申命記を発見し申命記革命を行ったように、イエスは、神との旧い契約を新しい契約へと書き換えた(205頁)。西ヨーロッパの淵源はヘブライズム、ヘレニズム、ラティニズム(ローマ法の)(207頁)。ロシアにはラティニズムがない。日本は近代的な法学の伝統は強いが他の要素が弱い(208頁)。イエスは旧い法を無化した。そのあとにはどんな法も入る。だからユスティニアヌス法典や人権宣言や独立宣言も入るようになった(211頁)。キリストとは何か。人類史において一回だけ、神は自分の子どもを人類に派遣した。もっとも悲惨な状況の、人類の最も深い深淵に、神の子を送ってきた。最も深いところに送ってきたから、底ざらいをして、そこから高いところに上がってくるから、人類は救済される根拠を持つようになった。(231頁)イエス・キリストの復活は、「史的」でないにしても客観的な出来事だ。つまり実証はできないが確実にあったと考える(235頁)。ISに湯川遥菜さんが捉えられたとき後藤健二さん(日本基督教団のキリスト教徒)は中東の危険な場所に行って救わなければならないと考えて行動した。そのとき神の声が聞こえたのだろう。イエスの生き方と反復的な生き方を後藤健二さんはした。そういう日本人がいたということが「イスラム国」を内側から解体し脱構築していく上でも大きな役割を果たしている(240頁)。
第5講:田辺元は西田幾多郎に呼ばれ京大に赴任した。1939年の『歴史的現実』がベストセラーになる。
田辺は1945年3月には軽井沢に行く。軽井沢と箱根は外交官や大使館がありアメリカに爆撃されることが絶対にない。富裕層や官僚、軍の幹部隊は家族を箱根か軽井沢に移していた(244頁)。田辺元は、我々は歴史的な状況の客体ではなく主体だ(251頁)とし、歴史は我々が行為的に建設するものだ(268頁)、とした。さらに田辺は、キリスト教原理に代わり、君民一体、八紘一宇の思想によって人類を生き延びさせるために(283頁)世界最終戦争をする(285、289頁)、だから国のために死ね、となってしまう(297頁)。北朝鮮も同様だ(298頁)。
第6講:チェコのヨゼフ・ルクル・フロマートカの『人間への途上にある福音』を購読する。神が語るとき、神は自分のために独白するのではなく、人間に対して語っている(308頁)。キリスト教徒は、神の前での自己批判と、非キリスト教徒に対する自己批判をしなければならない(313頁)。イエスが働くところに新しい事実が生まれる。人間と人間の関係が変わっていく。人間と人間が本当に相手を尊重しあい、愛し合う関係を再構築する、そのきっかけにあたる(316頁)。ファリサイ人は貧しい人や知識のない人を小馬鹿にしていたが、イエスはファリサイ人とは対極のあり方を具現化した(318頁)。神は世界の中へ、エジプト、沙漠、約束の地とどこまでも人間を追いかけてくる(326頁)。フロマートカは、殉教などはせず、踏み絵があったら踏んででも生き抜く。ヤバいことがあったら逃げる(328頁)。人間は自分しか遂行できない定めを背負って世界に立たされる。われわれ一人一人は神のオーダーメイドだ(333頁)。未来を見ながら、早く救済の時が来ればいいと急ぎつつ、しかし基本的には待っている。これがフロマートカの終末論だ(339頁)。佐藤優はフロマートカに出会ってよかった(339頁)。
4 コメント:浄土系(他力浄土門)の仏教信仰との異同はどうかと思いながら読んだ。
(人文学系統で宗教哲学・宗教史他)荒井章三『ユダヤ教の誕生』、加藤隆『歴史の中の「新約聖書」』、小池・西川・村上(編)『宗教弾圧を語る』、井上寛司『「神道」の虚像と実像』、中村元(訳)『ブッダ最後の旅』、紀野一義『「法華経」を読む』、梅原猛『法然の哀しみ』、湯浅邦弘『諸子百家』、加地伸行『儒教とは何か』、伊藤仁斎『童子問』、内村鑑三『代表的日本人』、新渡戸稲造『武士道』、国枝昌樹『イスラム国の正体』など