James Setouchi
2024.10.20
新約聖書 特にイエスの誕生のくだり
世界の宗教ではキリスト教信者の数が最も多い。国際化時代、聖書くらいは一読しておくべきだろう。
1 歴史の確認
イスラエル民族の始祖とされるアブラハムは紀元前1900ころ? エジプトから脱出したモーゼは紀元前1250ころ? イスラエル王国の全盛期のダビデ王は紀元前1000ころ? 北イスラエル王国がアッシリアにより滅亡するのが起源前722年。南ユダ王国の滅亡と第2回バビロン捕囚が起源前586年。ペルシア王キュロス2世による解放が紀元前538年。ネヘミアとエズラの改革が紀元前400年ころ。アレクサンドロス大王やセレウコス朝シリアの支配があり、ハスモン朝の独立が紀元前2世紀。ローマによる支配が紀元前1世紀。ヘロデ王が死にローマの属州にされたのが紀元前後。
イエス=キリストの布教活動は紀元後30年頃。パウロの伝道旅行を経て、1世紀のうちにマルコ伝、ルカ伝、マタイ伝が成立。ユダヤ戦争で神殿が破壊されエルサレムからユダヤ人が追放されたのもこのころ。ローマ帝国でもキリスト教は弾圧され、313年にやっと公認された。キリスト教は世界に広がる。ギリシア正教系、ローマカトリック系、プロテスタント系など、多くの分派がある。
2 イエス誕生前夜
ギリシア・ヘレニズム文化の影響で様々な新興宗教や思想が生まれていた。(アスクレピオスのように、諸国を旅して病気を癒していく人もいた。イエス説話と似てはいる。)ユダヤ教内部では、サドカイ、パリサイ、エッセネ、熱心党などがあった。エッセネ派らしき分派の一つにバプテスマのヨハネがいて、さらにそこからの分派のような形でイエスのグループが生まれる。
3 新約聖書
福音書・使徒行伝(歴史)、手紙、啓示から成る。福音書は、マルコ、ルカ、マタイが成立して、しかるのちにヨハネ。最初の三冊を共観福音書と言う。マルコ伝とは別にQ資料と呼ばれる資料があって、それらの組み合わせでできたなどと言われる。世界各国語に訳出されている。
4 四福音書:クリスマスでおなじみのイエスの誕生を描くのは、ルカとマタイだけだ。
(1)マルコ伝:バプテスマのヨハネの記事から。イエスはガリラヤ湖(風光明媚で花の産地。瀬戸内海のようなところ? 砂漠のイメージではない)でシモン(ペトロ)とアンデレの二人(漁師)を弟子にする。最初の奇跡は、悪霊を追い出したこと、シモンの姑の病気を治したこと。最後は唐突に終わる。
(2)マタイ伝:アブラハム以来の直系の子孫からイエスが出ていることを示す系図から始まる。神の使いがヨセフに現れる。おとめマリアの懐妊は旧約聖書イザヤ書のインマヌエル予言の成就だと記される。東方の三博士が来訪。(彼らはゾロアスター教の占星術師か?)ヘロデの幼児虐殺を避けるためエジプトに一時避難。(これもユダヤ民族の歴史と重ねたか?)洗礼者ヨハネとの出会いと、悪魔の試み。悪魔の試みは、①石をパンに変えよ、②高いところから飛び降りて奇跡を見せよ、③世界の富と権力を与えるから悪魔を崇拝せよ、だったが、イエスはこれをすべて斥けた。①人はパンだけで生きるのではない、②主なる汝の神を試みてはならない、③神をのみ拝め(偶像崇拝するな、富や権力を拝むな)、と聖書に書いてある、とイエスは言う。
(『カラマーゾフの兄弟』のイワンの長い長い大審問官の話でもこの話は言及される。人間に必要なものはパンか、精神の自由か。東大総長の大河内一男は「太った豚でなく痩せたソクラテスになれ」と言った。孔子は「人間には食料よりも信頼関係が重要だ」としたが、孟子は「多くの人は経済的に窮乏したら悪いことをしてしまう」とした。イエスは「明日のことを思い煩うな」と言っている。)
(3)ルカ伝:テオピロ閣下なる人物にギリシア語でこれを提出したとされる。マリアの親戚エリザベツとマリアとに天使ガブリエルが現れ、ヨハネとイエスの誕生を告知する。だからヨハネとイエスは同い年(ヨハネが6か月先)。初代ローマ皇帝オウグストの人口調査のためイエスの一家はベツレヘム(ダビデの町。イエスはダビデの血統)へ行った。羊飼いが祝福に来る。イエスの少年時代の事跡はほとんど記されていないが、12歳の時エルサレムで大人を相手に神学問答をしていたことがルカには記される。
(羊飼いが野にいたので、キリストの誕生日は実は12月25日ではなくもっと暖かい季節だそうだ。12月25日に設定したのは、地中海世界で盛んだったミトラ教=太陽崇拝の宗教=の聖なる日をイエスの誕生日にしたのか。同時期に農業神サトウルヌスの祭りでは贈り物を交換しパーティを行う。これがクリスマスの起源となった。だから12月25日にクリスマスを盛大に祝うのは、異教の習俗だから、やめよう、と敬虔なクリスチャンが言う場合がある。ピューリタン革命のクロムウェルがそうだ。他方英国王室ではクリスマスのパーティをする。ディケンズの『クリスマス・キャロル』では、クリスマスで他の人と幸せを分かち合えばいいじゃないか、ということになった。アメリカンスタイルのサンタは、コカコーラと同じ赤と白。これが日本に入ってきた。サンタクロース、モミの木、星などもローマやゲルマンの異教の習俗を取り込んでいる。キリスト教は、周辺の異民族の宗教や習俗、文化を取り込みながら拡大した。「一神教は偏狭で排他的、多神教は寛容」とするのは誤り。多神教もどうかすると偏狭で排他的になり得る。ガンジーを暗殺したのはヒンズー教徒。江戸期にキリシタンを弾圧したのは仏教徒や神道信者の幕府の役人。)
(4)ヨハネ伝。ヨハネ文書と呼ばれる複数の文書がある。福音書、手紙、黙示録。それらの作者が誰かは論争がある。ヨハネ伝は「はじめに言葉(ロゴス=真理)があった」から始まる。(ロゴス、という言い方が、ギリシア思想の影響を受けている。神とロゴスとは別の存在なのか?とすると三位一体は否定されるのか? 内村鑑三は、「信仰の目を持って見た時、三位一体は明白な事実だ」と言う(『基督教問答』)。山浦玄嗣のケセン語訳では「初めに在ったのァ 神さまの思いだった。」としている。これだと問題は解消できる。「ロゴス」というギリシア語がかっちりした論理をイメージさせるのがいけない。もともとの「ことば」は「言=事」でもあるような、出来事としての言葉であり、神の思いそのものであるのかもしれない。)洗礼者ヨハネとの出会い、そこでいきなりアンデレとシモンが弟子になる。カナの婚礼で水を酒に変えたのが最初の奇跡。(キリストは当時差別されていた人を差別の目で見ず共にパーティーを楽しんだ。酒飲みのパーティー好きだった、という言い方すらある。)次は神殿で商人たちを追い出した。「三日で立て直す」と言ったのは自分が死後三日で復活することを予言した、とされる。(『罪と罰』ではラザロの復活のところをソーニャがラスコーリニコフに読ませる。ヨハネ伝のラザロはキリストによって復活する。キリストの福音にあずかる者の復活を予兆する事件と解釈できる。死者の復活はあるのか? パウロがギリシア人を相手にこの発言をすると、ギリシア人が否定した、と『使徒行伝』にある。また、神殿を破壊したのはなぜか? ユダヤ教は神殿と律法を中心とした宗教だったが、そうではなく神との生き生きとした直接的な関係に入るべきだとイエスは考えていた、と解釈できる(加藤隆など)。神への信仰を商売の道具にするな、信仰が重要で、金を拝むなという含意もあるかもしれない。)
5 補足
イエスは文字を残さなかった。神との直接の対話が大事で、文字化すると文字が固定化されるからか。弟子たちの間で伝承がわからなくなってくると、文字化が起こりそれを信仰のよりどころにする。(これは、孔子や釈迦でも同じ。)各地で聖書の各書の原資料が成立し、互いに矛盾しているが、矛盾したままで一冊にした。あとは自分で考えなさいということだろうか。矛盾しているからこそ人為的ではない(神がそうさせた)とわかる、との見方がある。書かせたのは神の霊であるが書いたのも読むのも愚かな人間であるから矛盾して見えるのは当たり前との見方もある。教会が書き改めたとする主張もある。トマスによる福音書など、偽書(とされたもの)もある。解釈も、教会が会議で三位一体など、これが正統、としたものが継承された。が、そうではない解釈を保持するグループも、各地に存在した。アフリカにも、アジアにも。そちらから見るとローマやコンスタンチノープルが異端に見えるのかもしれない。だが、聖書の言葉を手掛かりにしてキリスト教徒たちは神の意図を(信仰のありかた=自分の生き方を)探ってきた。教会も、布教(伝道)と慈善(ハンセン病患者に対する奉仕など)において大きな役割を果たしたのは事実。
十字軍や異端審問・魔女狩りはキリスト教の負の側面と言えるが、世俗的な理由で他者の富を奪うために周辺の人々が宗教の名を持ち出したのかも。戦争で勝つための道具として宗教や神さまを担ぎ出すのは世界中でよくある。日本にも「必勝祈願」などいくらでもある。ただしイエスとブッダはそれを否定した。(R1.12.23月)