James Setouchi
2024.10.20
フロイト 『モーセと一神教』 中山元・訳 光文社文庫
1 著者:ジグムント・フロイト Sigmund Freud 1856~1939
フロイトは、心理学の大家。現代の心理学・精神分析の基礎を作った人。O・ランク、E・ジョーンズ、アドラー、ユングらもフロイトの影響を受けた。東欧のモラビア(現在のチェコ)のユダヤ人の商人の家に生まれた。4 才でィーンに移住。ウィーン大学医学部に進学。ウィーンで神経症の治療を行いつつ、研究。著書・論文『ヒステリ研究』『夢判断(夢解釈)』『日常生活の精神病理学』『性理論三編』『ある幼児期神経症の病歴より』などの症例分析、『トーテムとタブー』『ナルシシズム入門』『欲動とその運命』『精神分析入門』『快感原則の彼岸』『自我とエス』『幻想の未来』『文化への不満』『精神分析入門(続)』など。1933 年にヒトラーがドイツで権力掌握、オーストリアもファシズム国家となる。1938 年 3 月からウィーンではユダヤ人迫害の嵐が吹き荒れる。6 月に一家はウィーンを離れロンドンへ。(フロイトの五人姉妹のうち四人までが収容所やゲットーで死亡。)1939 年『モーセと一神教』。(文庫巻末の年譜から)
2 『モーセと一神教』“Der Mann Moses und monotheistische Religion ”
1939 年にアムステルダムで出版。フロイト 83 才。フロイト最晩年の著作。根本には、なぜユダヤ人は迫害されるのか? という大きな悲しみと怒りに満ちた問いかけがある。心理学・精神分析の知見を持ち込んで、モーセと一神教について説明しようとした書。フロイト自身はこの書に見る限り無神論者で、神や宗教は人間が生み出したの、という立場のようだ。だからこの書に敬虔な宗教心を求めても無駄だ。むしろ心理学・精神分析の手法を用いて神信仰や宗教の起源を問うて崩してしまおうとしている。それでも一定以上の面白さがある。無神論者のはずなのにユダヤ教の高い精神性には誇りを持っているように見える。皆さんはこれを読んでどうお考えになられるだろうか。
まず、モーセは、エジプト語で「子供」という意味であり、モーセはエジプト人だった、とする。伝承を分析すると、エジプトの高貴な生まれ(23 頁)で、アメンホテプ 4 世(イクナトン)の一神教(アトン神信仰)を継承し(38~39 頁)、エジプトから人々(側近はレビ人 76 頁)を率いて移動しネオ・エジプト人=ユダヤ人を創造した、とする。E・マイヤーたち歴史家によれば、メリバ・カデシュ地域で彼らはヤハウェ信仰を受け入れた。ヤハウェはアトン神と違い火の神で、血に飢えたデーモンだった(65~66 頁、101 頁)。そこにいたモーセと、アトン神信仰のモーセ(魔法や呪術を禁止)とは別人(69 頁)。E・ゼリンは、ユダヤ教を創設したモーセは民の反乱により殺害さたとする(70 頁)。これらを組み合わせると、アトン神信仰を持ってユダヤ人を率いたモーセは殺害された、ユダヤ人たちはメリバ・カデシュ地域でそこの部族と一体化しヤハウェ信仰を取り入れた。それを行ったのが第二のモーセだ、となる(~73 頁)。だが、アトン神信仰以来の一神教(呪術を廃し、高度に精神的・倫理的な)は時代を経て復活する。預言者たちが何度も現われユダヤ人に警告し奮起させる(102~104 頁他)。時代を経て本来の信仰が蘇るのは、幼児期の心の傷が潜伏期を経て後年症状として表れるのと同じだ(154 頁)。(人類は偉大なる「原父」を殺害し、息子たちは兄弟同盟を結んで母権制の社会を作ったが・・・云々のところは略。)ユダヤの民はモーセ殺害を悔い、ゆえにモーセが再びメシアとなって現われるという願望を抱いたかも知れない(201 頁)。ユダヤ人嫌う諸民族は、あとからキリスト教化した民族であり、彼ら(ナチス革命も同じ)のユダヤ人嫌いは根本的にはキリスト教嫌いだ(205 頁)。パウロは、父親殺しの代わりに原罪とイエスの犠牲の死による救済という理論を編みした。キリスト教は純粋な一神教の特長を放棄し地中海沿岸の民族の儀式を導入(309 頁)。キリスト教徒は自分たちが神殺しを告白し浄められるが、ユダヤ人はそれをしないので、悲劇的な罪を背負うことになった(311 頁)。
付言:心理学は、データをとって分析するので、科学であり、一定以上の説得力がある。が、その前提になる人間観(フロイトの場合だとリビドーや超自我やエスなど)は、脳科学サイドから見ると形而上学であり、哲学や文学のサイドから見ると単純で表面的だ、となるかもしれない。 R4.4.18
*ドイツの作家・詩人と言えば、ゲーテ、シラー、グリム、リルケ、トマス=マン、ヘッセ、カフカ、ツヴァイク、ブレヒト、エンデらがいる。最近では多和田葉子がドイツ語で小説を書いている。哲学者・社会科学者ならカント、へ―ゲル、ショーペンハウエル、マルクス、ニーチェ、コーヘン、ヴィンデルバント、マックス=ウェーバー、ハイデッガー、ヤスパース、ハーバーマス、ルーマンなどなど。心理学のフロイトもユングもアドラーもドイツ語圏の人だ。