James Setouchi

2024.10.12

 

新雅文『「東洋の魔女」論』イースト新書 2013年7月

 

1 新雅文 1973年福岡県生まれ。東大人文科学研究科(社会学)に学ぶ。専攻は産業社会学・スポーツ社会学。著書『商店街はなぜ滅びるのかー社会・政治・経済史から探る再生の道』(光文社新書)ほか。

 

2 目次

はじめに

第一部 実践としてのレクリエーション(一 都市とレクリエーション、二 工場とレクリエーション、三 レクリエーションのグローバル化と日本 )

第二部 歴史的必然としての「東洋の魔女」(一 バレーボールの日本的受容、二 繊維工場内の女子バレーボール、三 工場から企業のバレーボールへ、四 せめぎあう共同性とスペクタクル化、五 「魔女」から「主婦」への旅立ち)

あとがき

 

3 コメント

 1964年東京五輪での女子バレーボールの金メダルは有名で、彼女らは「東洋の魔女」と呼ばれた。だが、なぜ日本紡績という繊維会社がバレーボールのチームを持っていたのか? そもそもバレーボールは誰が始め、なぜ紡績工場の女子のスポーツになったのか? それがどう変容して「東洋の魔女」になったのか? 彼女らを率いた「鬼の大松」こと大松監督とは、どういう人なのか? 金メダルの後、彼女らはどうなったのか? となると、あまり知られていない。この本は社会学の視点から分析している。著者は上野千鶴子の弟子筋でもありジェンダー論の視点も入っている。この本は非常に面白い。

 

 バレーボールは誰が始めたのか? 1891年にアメリカのマサチューセッツ州のYMCA体育学校でバスケットボールは考案された。バスケは体が激しくコンタクトするので、女性用に、テニスとバスケを組み合わせ、バレーボールが考案された。1895年、マサチューセッツ州ホーリーヨーク市のYMCAの体育係のウィリアム・ジョー・モルガンが考案した。(p.49)工場が労働者をロボット化するのに抗して、スポーツを通じて人間に再創造(リ・クリエイト)しようとしたのだ。(p.48)

 

 バレーボールはいつ日本に入ったか? 1908年YMCA留学生としてアメリカ留学していた大森兵蔵が帰国して伝えたとされる。当初は関西のYMCAを中心に普及し始めた。16人制だった。1920年頃から大阪朝日・大阪毎日新聞が女子排球(バレーボール)大会と女学校排球大会を主催し認知され始めた。1924年からの明治神宮競技大会にも参加(12人制)。1930年には全国統一ルールができた。9人制だった。(p.94~106)

 

 なぜ繊維工場で女子がバレーボールを行っているのか? 大正頃から倉紡や日紡の工場で女子バレーボールが行われた。従業員の保健・衛生的見地からリクリエーションとしてバレーボールを行ったのだ。戦後は地方から中卒で集団就職して繊維工場に勤め孤独に陥りがちな女子工員が「変な思想にかぶれぬ」ためにも奨励された。工場対抗でも張り合って盛んになっていった。労働者の身体を健全にするバレーボールと、対外試合で活躍するバレーボールは、やがて乖離し始める(p.107~146)。

 

 「鬼の大松」とは誰か? 監督、大松博文は、インパール作戦の生き残りである。精神力のない者は死んでいた、命がけの体験だけが尊い、という考えを持ち、選手を鍛えていった(p.190)。選手の盲腸を取り、生理でも頓着しなかった(p.185~187)。しかし同時にバレーボールを引退したら主婦として幸せに生きてほしいと願っていた(p.190)。選手には他の女子行員と同じ勤務時間を課し、同じ寄宿舎で暮らさせた。練習は勤務時間後で、深夜に及んだ(p.170~172)。

 

 「東洋の魔女」は、一方では繊維工場内の模範的な工員であることを要求され、他方では過酷な練習を経て世界最強になっていった、その果てに立派な主婦になることを期待された、そういう存在のようだ。

 

 彼らは強く、1962年の世界選手権大会で優勝した(これは6人制)。そこで引退したかったが、東京五輪(女子バレーボールがここで正式競技化)で金メダルが期待されていたので、引退できなかった(p.161~162)。

 

 引退後彼女らはどうなったか? 東京五輪の後大松監督と女子選手五名が退社した。キャプテンの河西昌枝は結婚し、その模様はテレビ中継された。そして念願の「お母さん」になっていった。(p.204)。

 

 1964年から50年たった。2014年の現在、これを振り返って、どうであるか? また、2020年の五輪は、その後50年をにらみ、何をめざしどうあるべきか? 御一考ください。                     2014年11月 

 

 

 2024年10月の付言

 バスケとサッカーは体当たりをして人を突き飛ばすので野蛮で凶暴だ、対してネットをはさんでやるバレーボール(や卓球)は人を突き飛ばさないのでいい、と長らく思ってきた。(実際にはバスケやサッカーをする人にも、相手を突き飛ばすわけでえはない善良で心優しい人もいるのだが。)

 

 知人・友人でバレーボールをする人は(男子も女子も、いや大人だから男性も女性も)周囲への気配りがよくでき、穏和で、根性はあるが決して怒らず、というできた人が多いような気がしている。そういう人と交わることができて、感謝している。

 

 と思っていたら、どこかの強い女子バレーボールチームの指導者が、妙なことを言っていた。「女子には力関係がある、そのチームの力関係を生かして指導すれば強いチームになる」と。これでガックリきた。要するにいじめ女子のカーストを解決せずそのまま温存して指導して強いチームを作る、ということだ。①いじめ女子のカースト問題を解決せずして「スポーツが人間性を育てる」というのは、大ウソだ。まず解決すべき事があろう。それをしないからカースト最下層の者が辛い人生を送ることになるのだ。「いじめ肯定」に反対。②そもそも強いチームを作り勝つ、という目的が間違っている。そんなところに税金から補助金を出さなくて良い。みんなが幸せになるスポーツをすれば良い。地域のママさんバレーも「勝ちに行く」ようになれば堕落する。

 

 (人の心理が見抜けるだけに意地悪を始めれば悪質になるのか? 曽野綾子が言っていた・・)

 

 パリ五輪(2024)でファンの増えた某男子プレイヤーに限らず、闘志むき出しでファイトし、雄叫びを上げ、ガッツポーズをする。顔が怖い。野蛮なことだ。全部要らない。法然上人は戦乱で親を殺されたが、お顔は円満柔和そのものだった。

 

 バレーボールをする人で私の友人知人は、穏やかないい人が多いが、パリ五輪で見るトッププレイヤーは、凶暴な人があそこにもここにもいたと思う。見間違いだろうか? 世界の最強チームクラスになると、凶暴になってしまうのだろうか? もしそうなら、やらなくていい。仏教のお経でも読んだ方がいい。           2024.10.14

 

(スポーツ論)(スポーツ関係。フィクションも含む。)『スポーツとは何か』(玉木正之)、『近代スポーツの誕生』(松井良明)、『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄)、『変貌する英国パブリック・スクール スポーツ教育から見た現在』(鈴木秀人)、『日本のスポーツはあぶない』(佐保豊)、『スポーツは体にわるい』(加藤邦彦)、『アマチュアスポーツも金次第』(生島淳)、『文武両道、日本になし』(キーナート)、『スポーツは「良い子」を育てるか』(永井洋一)、『路上のストライカー』(マイケル・ウィリアムズ)、『延長18回終わらず』(田沢拓也)、『強うなるんじゃ!』(蔦文也)、『巨人軍に葬られた男たち』(織田淳太郎)、『海を越えた挑戦者たち』『和をもって日本となす』(R・ホワイティング)、『偏差値70からの甲子園』(松永多佳倫)、『殴られて野球はうまくなる!?』(元永知宏)、『「東洋の魔女」論』(新雅文)、『相撲の歴史』(新田一郎)、『力道山の真実』(大下英治)、『わが柔道』(木村政彦)、『アントニオ猪木自伝』(猪木寛至)、『大山倍達正伝』(小島・塚本)、『武産合気』(高橋英雄)、『氣の威力』(藤平光一)、『秘伝少林寺拳法』(宗道臣)、『オリンピックに奪われた命 円谷幸吉、三十年目の新証言』(橋本克彦)、『タスキメシ』(額賀澪)、『オン・ザ・ライン』(朽木祥)、『がんばっていきまっしょい』(敷村良子)、『オリンポスの果実』(田中英光)、『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)、『古代オリンピック』(桜井・橋場他)、『オリンピックと商業主義』『東京オリンピック』(小川勝)、『学問としてのオリンピック』(橋場弦他)