James Setouchi
2024.10.12
「アスリートの本棚」から (結構昔)
「Number」という商業スポーツ誌に、有名なアスリートと読書の関係が出ていみた。その中からいくつかを紹介する。(「Number」761 H22.9.16号から)
[1] アスリートたちが読んできた本、心に残っている本から
1 長谷部誠(サッカー):松下幸之助『道をひらく』、カラプリス『アインシュタインは語る』、本田宗一郎『本田宗一郎 夢を力に 私の履歴書』、姜尚中『悩む力』、太宰治『人間失格』
2 本橋麻里(カーリング):リザンバール『Paris発、パウンド型で50のケーク』、シーリグ『20歳のときに知っておきたかったこと』、にしのあきひろ『Dr.インクの星空キネマ』、東野圭吾『プラチナデータ』、門田隆将『あの一瞬 アスリートはなぜ「奇跡」を起こすのか』、神立尚紀『祖父たちの零戦』
3 為末大(陸上):西田幾多郎『善の研究』、ニーチェ『超訳 ニーチェの言葉』、Gladwell『blink The Power of Thinking Without Thinking』、戸部良一ほか『失敗の本質』、南直哉『老師と少年』、加島祥造『タオ―老子』、妹尾堅一郎『技術力で勝る日本が、なぜ事業で負けるのか』、若原正己『黒人はなぜ足が速いのか』、ホイジンガ『世界の名著67 ホイジンガ』、新渡戸稲造『武士道』、ドーキンス『利己的な遺伝子』、ニスベット『木を見る西洋人 森を見る東洋人』
4 岡田武史(サッカー):司馬遼太郎『坂の上の雲』、井上靖『井上靖全詩集』
5 小久保裕紀(野球):北方謙三『水滸伝』
6 太田雄貴(フェンシング):岡本太郎『強く生きる言葉』
7 福見友子(柔道):新田次郎『孤高の人』
8 豊田将万(ラグビー):石田衣良『池袋ウェストゲートパーク』
9 須藤元気(K1):村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』、司馬遼太郎『峠』、ドン・ミゲル・ルイス『四つの約束』、カルロス・カスタネダ『呪術師と私』、ケストラー『機械の中の幽霊』、アーチャー『プリズン・ストーリーズ』、群ようこ『かもめ食堂』
10 石津幸恵(テニス):夏目漱石『こころ』
11 ジャイアント馬場(プロレス):柴田練三郎のシリーズ
[2] 松井秀喜(野球)に星稜高校野球部の山下監督が薦めてきた本
(高校時代)『日本の歴史』『日本の名著』『世界の名著』シリーズ
(最近)山田風太郎『人間臨終図鑑』森本貴義『一流の思考法』姜尚中『悩む力』など
[3] 夏の高校球児たちの読書テーマ
小谷太郎(北大津):清原和博『魂の言葉』
伊集院駿(東海大相模):小笠原道大『魂のフルスイング』
本間諒(関東一)古田敦也『フルタの方程式』
他に野村克也『野村ノート』などなど。
* 以上で特に「ほう」と思ったのは陸上の為末大氏とK1の須藤元気氏だ。為末氏の挙げる『善の研究』や『武士道』を皆さんは読んだだろうか。須藤元気氏は村上春樹も司馬遼太郎もすべて読んだそうだ。今や作家となり『幸福論』『キャッチャー・インザ・オクタゴン』などの著書もあるという。是か非か。
2010=H22.11
2024.10.12の付言
「スポーツ選手は勉強しなくていいし本も読まなくていい」というのは誤りだ。
昔、御相撲の親方が、読書好きの大関に、本なんか読まなくていい、と言ったとkいう話が伝わっているが、とんでもない誤りだ。力士も日本国民であれば日本の民主主義を担う一員だ。投票にも行く。愚民化主義に陥ってはならない。『葉隠』は普遍的教養は要らない、としたが、そういう狭い了見が悲劇を生むのだ。日本国憲法の前文くらい読めてその価値が語れないと行けない。
ジャイアント馬場は記者で移動中あの大きな手に文庫本を持って小説を読んだと言う。それもよい。所詮小説、とあなどれない。柴田錬三郎から得るものもある。但しエンタメ小説だけでは不足だろう。
毎日何時間もトレーニングをしていると、机に向かい本を読む時間もエネルギーも残っていないだろうか。だが、敢えて言えば、「本なんか読まなくていい、試合で勝って有名になって引退後はタレントになればいい」といった発想は、やめてほしい。もちろん人によって個性や適性はあるので、好きなことに時間をかけてしまうだろうことは予想できる。だが人間はロゴス(言葉)を持って思考を構築し文化文明を作り他者とコミュニケーションし後世に何かを残す存在だ。「アスリートは勉強も読書もしなくていい」式の発想は、間違っている。そういう監督の下で利用され使い捨てられる選手は可哀想だ。でも、そういう監督に育てられ、今は自分が指導者になって、同じことを次の世代にやらかしてしまっているかもしれない。残念だ。
愚民化政策を推進し国民を無知蒙昧な兵隊として使い捨てればよい、と考えている人は、ほくそ笑んでいるかもしれない。戦前の反知性主義を想起したい。
文武両道と言うが、大事なのは「文」だ。難しい局面で(でなくても日常的に)判断を迫られるとき、無根拠ないちかばちかの決断主義ではだめで、それなりのしっかりとした蓄積の中から妥当な判断を探るべきだ。教養の蓄積が大事なのだ。
私は「歴史法則が未来を決める、事実が規範を決める」といった一元論者ではなく、二元論者だが、それでも先人の知恵に対して謙虚に学ぶべきだ(古典や歴史の書を読むべきだ)という点は間違いないことだと考える。
芸能人も同じ。十代からカネを稼ぐ商品にされろくに勉強できなかった人は、あとが困るのではないか。
学力、国民の文化力が国力だ。国力を越えて、人類力を考えてもいい。国民の学力・文化力が国力、人類の学力・文化力が人類力。学力・文化力を育てないと、国も人類も危うい。「自分は(あいつは)スポーツや芸能で金を稼ぎ、税金の節約の仕方も分かっているから大丈夫」程度の発想の人は、もっと大事なものが視野に入っていない点で、残念なのだ。
(スポーツ論)(スポーツ関係。フィクションも含む。)『スポーツとは何か』(玉木正之)、『近代スポーツの誕生』(松井良明)、『オフサイドはなぜ反則か』(中村敏雄)、『変貌する英国パブリック・スクール スポーツ教育から見た現在』(鈴木秀人)、『日本のスポーツはあぶない』(佐保豊)、『スポーツは体にわるい』(加藤邦彦)、『アマチュアスポーツも金次第』(生島淳)、『文武両道、日本になし』(キーナート)、『スポーツは「良い子」を育てるか』(永井洋一)、『路上のストライカー』(マイケル・ウィリアムズ)、『延長18回終わらず』(田沢拓也)、『強うなるんじゃ!』(蔦文也)、『巨人軍に葬られた男たち』(織田淳太郎)、『海を越えた挑戦者たち』『和をもって日本となす』(R・ホワイティング)、『偏差値70からの甲子園』(松永多佳倫)、『殴られて野球はうまくなる!?』(元永知宏)、『「東洋の魔女」論』(新雅文)、『相撲の歴史』(新田一郎)、『力道山の真実』(大下英治)、『わが柔道』(木村政彦)、『アントニオ猪木自伝』(猪木寛至)、『大山倍達正伝』(小島・塚本)、『武産合気』(高橋英雄)、『氣の威力』(藤平光一)、『秘伝少林寺拳法』(宗道臣)、『オリンピックに奪われた命 円谷幸吉、三十年目の新証言』(橋本克彦)、『タスキメシ』(額賀澪)、『オン・ザ・ライン』(朽木祥)、『がんばっていきまっしょい』(敷村良子)、『オリンポスの果実』(田中英光)、『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)、『古代オリンピック』(桜井・橋場他)、『オリンピックと商業主義』『東京オリンピック』(小川勝)、『学問としてのオリンピック』(橋場弦他)