James Setouchi
2024.10.11
天童荒太(てんどう あらた)『青嵐の旅人』(上・下)
毎日新聞出版2024年9月20日
1 天童荒太(てんどう あらた)(1960~)
愛媛県松山市に生まれる。道後に育つ。松山北高校、明治大学文学部演劇学科卒。1986年『白の家族』で野性時代新人文学賞。1993年『孤独の歌声』で日本推理サスペンス大賞優秀作。1996年『家族狩り』で山本周五郎賞。2000年『永遠の仔』で日本推理作家協会賞。2009年『悼む人』で直木賞。2013年『歓喜の仔』で毎日出版文化賞。ほかに『包帯クラブ』『巡礼の家』など。(本書の著者紹介などを参考にした。)
2 『青嵐(せいらん)の旅人』(上・下)
2014年(令和6年)9月出版。もとは毎日新聞に2013年1月~2024年5月まで連載。上巻「それぞれの動乱」、下巻「うつろう朝敵」という副題が付いている。
小説。幕末~維新前夜の伊予(愛媛)松山藩を主舞台とする。エンタメ。エンタメでありつつ、平和へのメッセージが込められた、力作である。幕末ものと言えば司馬遼太郎作品が有名だが、司馬作品を読みこなした上で、それ以上のものを書こうと挑戦している、と感じた。ロシアのウクライナへの侵攻や、イスラエルの周辺への攻撃という世界情勢を踏まえ、戦いを止めよ、平和を実現せよ、という強力なメッセージが込められた良い作品だ。
エンタメ、というのは、読みやすく面白いからだ。高校生くらいの若い人にも分かる語彙と文体で書いてある。面白いことは請け合いだ。坂本龍馬などは、多くの人びとが期待する龍馬像をさらに極端化して、限りなく明るいキャラクターになっている。沖田総司も子供に好かれる好人物。土方と近藤はちょっと怖い。高杉晋作や桂小五郎も期待通りに出てくる。
上下2巻で4000円近くするが、惜しくはなかった。ほかのことを放り出して読みふけってしまった。天童荒太、グッド・ジョブだ。
天童荒太は『永遠の仔』『悼む人』など、この時代に傷つき苦しむ人をテーマに描いてきた印象がある。それはそれでこの時代の一番大事な課題を取り上げて扱おうとしていて、作家として立派な態度だと言える。だが、読んでいて辛くなったのも事実。重く、苦しい。対して本作は、主人公である少年少女の明るい冒険譚、すなわち明るいエンタメにあえて振り切った、ということだろう。今は傷ついている人が多いので、辛く苦しい作品を読むとますます落ち込んでしまうかも知れない。対して本作は明るく読める。その明るさは、軽薄な明るさではない。確かな、希望の火を灯す明るさだ。若い人にも読めるし、司馬作品を読み込んできた年配の読者にも面白く読める。プロの作家というものはうまく書くものだなあ、と感心した。内容的には『永遠の仔』などのように重く深刻ではないが、明るい方向性で描ききった点で、天童作品中でも最も売れる作品になりうると私は感じた。映画化もできるだろう。続き(明治以降)も書けるかも。
主たる舞台は松山。周防大島、京都も出てくる。松山市と愛媛県はPRに使うことになるだろう。PRに使いうる、いい作品だ。(『村上海賊の娘』はPRに使いたくない。水軍の兵士(実は漁民、水夫たち)が5人まとめて串刺しになっているのを「痛快な青春小説だ」などと絶賛することは私にはできない。)
予備知識として先に書いておくと、
・松山藩15万石は、徳川幕府の親藩だ。幕末には幕命によって第2次「長州征伐」(長州征討)(宇和島藩や今治藩などは動かなかった)に参加し、周防大島に上陸。高杉晋作の攻撃により敗退。朝敵とされ、長州など維新軍が攻め上る時には、藩内の主戦派(抵抗派)を抑えて恭順し、土佐による支配を受け入れることで領民を守った。
・道後温泉は、古代以来の霊泉でスクナヒコナの神が蘇生したという伝説を持つ。聖徳太子も来訪した。鷺(さぎ)がシンボルだ。明治以降温泉の建物を新築し、そこに夏目漱石が入浴して『坊っちゃん』を書いたが、それは後の話。
・四国八十八カ所遍路は、弘法大師空海が開いたとされる。実際は世情が安定した江戸以降に整備されたのだろうが、多くの遍路が旅をし、それをもてなす遍路宿が各地にある。天童荒太は前作『巡礼の家』で、道後にある現代の遍路宿「さぎのや」を書いている。『青嵐の旅人』も「さぎのや」が中心的な役割を果たす。『青嵐の旅人』は『巡礼の家』の前史とも言える。
(登場人物)
ヒスイ:翡翠。鷺野翡翠、鷺野日水とも。主人公の少女。遍路宿「さぎのや」に拾われ、遍路たちの世話をして育つ。脱藩途中の坂本龍馬を偶然救う。やがて男子のふりをして松山藩医務方に勤め、弟・救吉とともに戦火の中に飛び込み敵味方の区別なく救命活動を行う。死者に対しては丁寧に悼む。頭に血が上りいくさをしたがる侍たちに対し、戦争はいけない、と諫め続ける。
救吉:鷺野救吉。ヒスイの弟。ヒスイと血のつながりはない。医師としての素質を持ち、姉と共に敵味方の区別なく救命活動を行う。人を救う使命を帯びている。
勇志郎:さぎのやの長男。瓦版屋で情報通。その恋人が芸者の澄香。
天莉:さぎのやの長女。キリスト教徒でいくさ嫌い。
希耶:さぎのやの女将。
大女将:さぎのやの大女将。
青海辰之進:松山藩士の若者。ヒスイ・救吉と親しくなり、目が開かれていく。
青海虎之助:辰之進の兄。攘夷派の鷹林に従う。
曽我部惣一郎:松山藩士。虎之助らの従兄弟。
曽我部怜:惣一郎の妹。美しい武家の娘。虎之助の許嫁(いなづけ)。
内藤助之進:松山藩士。殿に近侍する家柄。学者、文人。のちの内藤鳴雪(子規に近い人物)。天莉に気がある。
大原観山:松山藩の学者で藩校の教授。尊敬されている。子規の祖父。観山の娘が八重、八重の子が子規。
鷹林雄吾:松山藩士。武技・知略共に秀でるが、尊攘派。戦争を起こし人びとを苦しませることに喜びを見いだす。
西原修蔵:鷹林の部下。乱暴な男。
松平勝成:松山藩の殿様。
松平定昭:勝成の後継。最後の松山藩主。幕末に老中。短気で、主戦論に傾きがち。
奥平弾正:松山藩の家老。長州侵攻に対し恭順・和平を実現した。
明王院の院主:修験道の明王院のリーダー。道後温泉全体の管理者でもある。人望がある。
包源・笙安:明王院の修験者。
ジンソ:牛馬解体をする男。人体のふわけも行う。
美音:ジンソの孫。歌声が美しい。
アオ:猟師の少年。ヒスイや救吉と仲良くなる。
坂本龍馬:土佐の脱藩浪士。ヒスイに命を助けられる。薩長同盟・大政奉還を行ったのは、戦争を避けるためだった、と本作では語られる。(注1)
原田左之助:松山藩の脱藩浪士。のち新撰組に入る。槍の使い手。「こなくそ」が口癖。
沖田総司:新撰組。剣の達人。子供に好かれる。不治の病にある。
土方歳三(ひじかたとしぞう):新撰組副長。恐ろしい男。
近藤勇:新撰組局長。
久坂玄瑞(げんずい):長州。吉田松陰の松下村塾の門下。京に攻め込むが敗退。このとき京は大火事になった。
桂小五郎(のちの木戸孝允):長州の上級武士。
高杉晋作:長州の志士。松下村塾出身。戦術に優れる。奇兵隊を創設。その愛妾が「おうの」という芸者。
大村益次郎(村田蔵六):長州の軍人。緒方洪庵の適塾の出身で、もと医師。ダルマのような男。
緒方洪庵:蘭方医。大坂で適塾を開き福沢諭吉、大鳥圭介、大村益次郎らを育てた。松山にも来てヒスイらと交わる。
徳川家茂(いえもち):第14代将軍。「長州征伐」を行うが急死。
徳川(一橋)慶喜(よしのぶ):第15代将軍。大政奉還を行う。朝敵とされ鳥羽・伏見の戦い以降大坂城から逃亡。
登勢:伏見の寺田屋の女将。坂本龍馬と親しい。
山内容堂・豊範:土佐藩主。伊予松山藩に、密使・金子平十郎と小笠原唯八らを送る。
(コメント)
どこまでが史実でどこからが虚構かは知らない。ヒスイの存在は虚構だろう。戦好きの武士たちに対して、「民百姓の生活を壊してはいけない、人を殺してはいけない、戦争はいけない」と説き続ける。弟とともに戦場に飛び込み敵味方の区別なく救命する。亡くなった人については悼み、カラダをきれいにしてあげる。現代で言えば赤十字や国境なき医師団のような存在だ。それによって辰之進らは変容する。武士の狭い視野から解放され、民百姓の生活まで見渡せる人に成長する。
周防大島での戦いにページを割いている。戦闘シーンがある。無謀な放火が島民の怒りを買い、のちに松山が攻められる理由の一つとなった。ここで、戦争は武士がしているが、領民はそれに加担しているのか、無実なのか、という問題提起がなされている。領民も敵の一部だから殺し、家も焼いてしまえ、とする意見と、いや、それは非道な行いだからやってはならない、とする意見とが対立する。これを掘り下げると、戦争は相手の支配者ないし政治体制を倒すべきものか、総力戦である以上領民(国民)の生活を破壊し尽くすべきものか、という問いになる。この問いは本作では問いとしてはほのめかされているが、踏み込んでは考察されない。戦争で民の暮らしが大きく踏みにじられる、とは強調される。
敵役の鷹林も、彼が否定的な人格になったのはなぜか、一応語られる。鷹林は、人間の虚飾を暴き全ての人を絶望させたい、と考える、否定的な人物だ。但し、ドストエフスキー『罪と罰』『悪霊』などに出てくる深刻なニヒリストたちに比べれば、やや近いものの、悪魔的と言うほどではない。天童荒太は本作では若者向けの明るい作品にしようとして、敵役をそれほど深刻には掘り下げなかったのかもしれない。
ヒスイの父親が高野長英ではないかとほのめかされる。救吉の親は分からない。天莉のキリシタンゆえの世間との齟齬もまだあまり語られない。鳥羽・伏見の戦い前夜で本作は終わるので、鳥羽伏見、会津・函館戦争なども含めて次の作品で作者は描くのかもしれない。
(注1)坂本龍馬:最近の研究では、数多くいた幕末の志士の一人に過ぎず、彼一人の働きで歴史が大きく展開したわけではない、などと言われているようだ。明治以降、それぞれの思惑があって坂本龍馬像をクロースアップしてきた歴史がある。国民的ヒーローとして決定づけたのは司馬遼太郎の『竜馬伝』だが、この竜馬が実像とは異なることは語られて久しい。他にも多くの英雄・龍馬が描かれ、大河ドラマなどにもなった。本作も坂本龍馬を英雄視して描く創作の一つと言えるが、極めて明るい魅力的なキャラクターとしてデフォルメして描ききっている。ここは気持ちがいいほどだ。坂本が薩長同盟・大政奉還という離れ業を行ったのは、戦争を避けるためだった、と本作では語られる。
(考えてみたい言葉)
・ヒスイ「おのれの命を、亡くなった親しき者の命と引き換えにしたいと願いながら、旅するお遍路がいます。命の虚しさと運命の厳しさに、身もだえするほど苦しんでいるのです。ですが・・・命の虚しさと運命の厳しさこそが、救いなのだと悟る日が、旅の終わりに訪れると申します。虚しいからこそ命は貴い、厳しいからこそ運命は生きる甲斐ががあるのだと・・・旅の果てに訪れる啓示によって信じられ、元の暮らしに戻ってゆくのです」(下37ページ)
・天莉「異国と話し合って、揉め事にならぬようにするのが、ご公儀の、またご公儀を支えるそれぞれの藩の、おつとめではないでしょうか」「相手が攻めてくるかもそれないからと、金子が足りないのに、なお兵をあつめよう、銃や刀を買い揃えようとする前に・・・・どうすればお互いが穏やかに暮らしていけるのかを話し合い、そのための知恵をしぼり合うことにこそ、力を注ぐべきではないでしょうか」(上156ページ)
・坂本龍馬「もう武士は古いと、おまんらも戦場で見たろう。この先は、言葉と笑顔と、モノの行き来ぜよ。・・互いの気心が知れれば、何を争う必要がある? 信じる神や言葉が違うても、肌や目の色が違うても、同じ人として尊び、心をつないで、まことの友になればええ。わしは、その礎を作りに行くんぜよ」(下297ページ)
・ヒスイ「事態が混沌とし、進むか退くかの大事を決するとき、道を示すのは・・・実は、文武両道といわれる文の方なのです。・・正しく武を用いるには、長年の学びによる知識と、倫理道徳を礎として知恵から成る文こそが、大切なのです。武を制するのは、まさに文です。・・」(下352ページ)
(こんな本もあります)
山崎善啓『朝敵伊予松山藩始末』創風社・・小説ではない。
司馬遼太郎『燃えよ剣』(新撰組)、『世に棲む日々』(長州、高杉晋作)、『竜馬伝』(土佐、坂本龍馬)、『峠』(長岡、河井継之助)、『花神』(長州、大村益次郎)、『坂の上の雲』(第1巻に松山)
田宮虎彦『落城』・・奥羽越列藩同盟の一つの藩をモデルにした虚構。
中村彰彦『会津武士道』・・一般向け解説書。著者は会津が大好きな人。
子母沢(しもざわ)寛『父子鷹』『おとこ鷹』『勝海舟』
福沢諭吉『福翁自伝』・・自伝。緒方洪庵の適塾が出てくる。
吉村昭『ふぉん・しーほるとの娘』・・シーボルトの娘、楠本イネ(女医)が出てくる。宇和島・宇和が出てくる。
夏目漱石『坊っちゃん』・・舞台は松山、坊っちゃんは江戸、山嵐は会津。朝敵揃いだ。
原田伊織・森田健司『明治維新 司馬史観という過ち』・・対談。
付言
奇しくも、これを書いている今日(R6.10.11)、ノーベル平和賞が日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)に与えられることが決まった。代表の方は何度も頬をつねっていた。核の怖さを訴え続け、後に続く若い人を育て、さらには、核兵器を使ってはいけない、という気運を世界に広めたのが受賞理由のようだ。現在ロシアやイスラエルが戦争をしており、ロシアが(あるいは他の国が)核兵器を使用するかもしれないという危機感がある中で、戦争は(核戦争は)ダメだ、というメッセージをノーベル賞委員会は発したのだろう。
本作でも、外国の圧力、薩長軍と幕府軍の内戦の危機という二重の危機の中で、戦争を避けるべきだ、と語られている。