James Setouchi
2024.10.1
道元『正法眼蔵』、懐奘『正法眼蔵随聞記』ほか
釈尊(しゃくそん=おシャカさま)は北インドの出身。釈尊のあとアショカ大王が仏典結集をした。上座部仏教は南伝しスリランカや東南アジアに渡った。大乗仏教は北伝しシルクロードから中国、朝鮮半島、日本に渡った。その過程で経典は翻訳された。
達磨大師は、インドから中国に渡った。「面壁九年」と言う。
禅宗の法燈図によれば、達磨大師の流れから、伝教大師最澄も出た。洞山良介の流れから、天童如浄、永平道元、孤雲懐奘が出る。また臨済義玄の流れから、明庵栄西、仏樹明全らが出る。道元は最初日本で栄西・明全に学んだが、中国(宋)に渡り如浄と出会う。帰国後、京都で布教。懐奘が入門してくる。やがて越前(福井)へ。
道元は福井の雪の中で少人数で修行したが、何代かして教勢が拡大、曹洞宗は日本を代表する教派の一つとなった。総本山は永平寺(福井)と総持寺(横浜の鶴見)。駒澤大学も(したがって駒大苫小牧高校なども)この系列である。なお、道元の父は久我通親という貴族。母親は美女で木曽義仲の愛人だったという説がある(『平家』延慶本)が、どうか。道元の兄は法然門下の証空上人。
臨済宗と曹洞宗の違いは、前者は公案を与えるが、後者は不立文字(ふりゅうもんじ)。前者は鎌倉・室町幕府に接近したが、後者はそうではない。道元は「只管打坐(しかんたざ=ひたすらすわる)」、「修証一等(修行の姿がそのまま悟りの姿)」、「仏向上(修行と悟りはここで終わりということはない)」、などと言った。禅宗は茶道、華道、書道、武道などなどに影響を与え、日本人の精神性の大きな要素となっている。
如浄と道元が宋の天童山で出会った時(1225)のことを『宝慶記』は記録している。道元が質問に行ってもいいか尋ねると、如浄は、いつでもおいで、と言った。道元は「ほかの先生は、達磨大師以前の仏教と、達磨大師の持ってきた仏教とは、別のものだ、と言われるが、そうなのか?」と質問した。如浄は、「仏教に二つのものがあるはずがない、お経が先に来て、あとから達磨大師が来たのは、荷物が先に届いて、持ち主が後から来たのと同じだ」と答えた。
道元は、中国に渡ったとき、天童山の老雲水と出会い、「今、ここで、私自身が」修行するしかない、という教えを貰った、とされる。このことについてどう考えるか? 「今・ここ・自分」主義は、えらいようだが、思考停止に陥って特攻兵士を生む危険性もある。西田幾多郎は京都の哲学者だが、西田は偉いとしてもその流れから出た京都学派は体制翼賛の全体主義に協力する思想を生んでしまった。
『正法眼蔵』の『弁道話』(1231年)では、「もし一時なりとも正しい坐禅をするなら、世界はあまねく仏の悟りの世界となる」と言う。どういう意味だろうか?
おなじく『現成公案』では、「自己を推して万物をおしはかるのは、迷いだ、対して、万物がやってきて自己を証しするのが悟りだ」と言う。どういう意味だろうか? 狭い自己の了見を離れよ、ということだろうか?また、「仏道を習うとは自己を習うことで、それはつまり自己を忘れることだ、それはつまり万物に教えられるということだ」とある。これもどういう意味だろうか? 本来の自己のありかたを習うためには、今の自分を捉えている小さな自分の了見を離れよ、ということか?
ある僧は「座禅とは、撃ち方やめ、の号令だ」と言った。禅は厳しい修練かと思っていたら、そうではなく、楽になるメソッドだった。対して西洋哲学は自己の問題にこだわり理屈を述べて悩みを重ねるだけだった、と言う人がいた。どうか。
懐奘の『正法眼蔵随聞記』。懐奘は道元の2歳年上だが道元に入門し傍で話を聞いた。「学道の人は衣食に労することなかれ」では、仏道を学ぶ人は衣食に心を煩わせるべきではなく、貧窮に耐えてひたすら仏道に打ち込むべきだとする。四川省から来た留学僧は、貧窮で、安価な紙を衣として来ており、動くたびに破れて音がしたが、平気だった。富貴な人から供養を受けると僧は堕落しがちだ。自己利益のために偽りの笑顔で接近してくる人も多い。それらに迎合すると学道の妨げとなる。道元の話は尽きない。翻って考えてみると、昨今アメリカに留学する人は金儲けを夢見ている。西洋古代のディオゲネスも樽の中で暮らした。聖フランシスコは金持ちだったがすべてを捨てて信仰に生きた。本当に大切なものは何であろうか? 内山興正は正真正銘貧乏寺で修行した。これが道元の修行の本来のありかたかもしれない。道元が京都から福井の山中に引っ越したのは、大都会にいると堕落するのが現実だから、修行に専念できる環境を求めて雪深い福井の山中に引っ越したのかもしれない。
川端康成はノーベル文学賞授賞式の講演『美しい日本の私』で道元や良寛(良寛は江戸時代、曹洞宗)の歌を引用し紹介している。美しい四季の自然の中に安心立命があると考えるか、だから社会改革をしなくてもいいと考えるか。あなたは、どう考えるか? H31.1