James Setouchi

2024.10.1

 

仏教伝来について

 

1 一般的には、とりあえず日本史の時間に学習した知識に従っておくのが無難だろう。

 

2 但し、仏教伝来には、公伝 と それ以前の私的な伝来 がある。

 

(1)公伝 については、

日本書紀の552年説と、

上宮聖徳法王帝説 および 元興寺縁起 の538年説 と

を 高校日本史では学習し、日本書紀 は怪しいので最近では「仏教公伝は538年」と教えているかもしれない。

 

 但し、公伝と言っても、公的に受容したわけではないので、公伝の意味を厳しくとれば、もっと後になってしまう。

 

(2)私伝 については、朝鮮半島から渡来人が仏教信仰を持って渡ってきているはずなので、それよりも早い時期、となる。司馬達等 は538年よりも早い時期に仏教を拝んでいたとか(扶桑略記)。だが、それよりも前に渡来人は来ているし、朝鮮半島(百済など)への仏教伝播は300年代(?)とかなり早いので、日本への私的な伝来も、常識的に言えば、結構古いと推察できる。

 

3 ここで、日本書紀、元興寺縁起、上宮聖徳法王帝説、 というそれぞれの資料の信ぴょう性を批判していくことができる。いずれも、「仏教伝来」当時より百年以上たってから、あるいはさらに後世になって、書かれた本であって、バイアスがかかっている。私は史料批判の専門家ではないが、

 

例えば

 

日本書紀は奈良時代の成立。

 

聖徳太子は奈良・平安期には観音菩薩の化身として尊崇された。

 

元興寺縁起 は結構古いように見えるが、聖徳太子信仰が見えるので奈良時代よりあと。

 

上宮… の成立は最も古い部分は700年代初めと言うがこれも管見によれば、五つのパートから分かれ、最古の部分は700年代初期とも。だが、まさにその題にみられるように、聖徳太子の神格化(菩薩の化身と見る)はすでに始まっている。

(1)日本書紀 

(2)元興寺縁起

(3)上宮聖徳法王帝説・・・これは知恩院の蔵書で昭和3年に古典保存会が出版。

 

 

4 なお、全く違う意見もあって、面白い。

 

 言うまでもないが、「仏教伝来以前に神社神道があった、仏教が外来で神社神道が土着」と言うのは誤り。大陸から高度な仏教が伝来して、それに刺激を受ける形で神社神道は形成されていったにちがいない。あるいは、初めから一体化する形で。寺院により大神宮、僧侶の位階制度により神職の位階制度、仏や菩薩という人格神により神道の人格神も成立していったのではないか?(詳しい方、ご教示下さい。)・・それまでは神社神道とは言えないはず。古くは巨石や大風そのものをカミとして畏怖し、結界を作り、やがて・・? 何しろ古事記・日本書紀の本としての成立は8世紀、ごく最近なのだ。「公伝」の6世紀から200年近く、「私伝」の4世紀(?)からだと400年も経っている・・・