James Setouchi

2024.10.1

 

 福沢諭吉『福翁自伝(ふくおうじでん)』  岩波文庫他

 

1 福沢諭吉 1834(天保5)年~1901(明治34)年

 九州・大分の中津藩の下級武士の次男として大坂の中津藩の邸に生まれた。ゆえに大阪弁を使った。幼時から封建社会の窮屈な在り方や迷信に疑問を抱いた。長崎に学び、また大分に一時住んだが、22歳の時大坂の緒方洪庵の適塾に入る。そこで蘭学を学び優秀、塾長となる。江戸に出てオランダ語ではなく英語の方が役に立つと知り独力で英学を学ぶ。1860(万延1)年27歳の時咸臨丸で渡米(サンフランシスコに行った)。1862(文久2)年29歳の時幕府の遣欧使節の通訳としてインド洋を経由しスエズ、カイロ、地中海、マルセイユからヨーロッパを回り冬に帰国。1868(慶応4=明治1)年、35歳の時慶応義塾を開く。上野彰義隊の大砲の音を聞きながら臆せず授業をした。幕府を退官。明治新政府から出仕の要請があったが、応じず、在野の人を通した。明治以降は雑誌『民間雑誌』『時事新報』等を出し、また明六社によるなどして啓蒙的な活動を行う。著作は『西洋事情』『学問のすすめ』『文明論之概略』『痩我慢(やせがまん)の説』『福翁百話』『福翁自伝』などなど。興亜論から脱亜論に進んだのでアジア蔑視の帝国主義者だとの批判もある。最近は新自由主義者だったとの意見もある。(岩波文庫の巻末年表を参照して作成。)

 

2 『福翁自伝』

 1898(明治31)年68歳の時に脱稿。自伝である。速記者に口伝したものに自ら手を加えた、と初版の序に時事新報社の石河幹明が記している。

 

 幼少時は武士の子として儒教主義の教育を受けた。父親は伊藤仁斎の子・伊藤東崖を尊崇していた。武士の子ゆえ九九などを教えるな(商売のための計算などは要らない)と父親が言ったとか。(武士の子ゆえ剣術も修行したはずで、自分でも多少は居合をすると書いている。)

 

 十四五歳で塾に行き『孟子』『蒙求(もうぎゅう)』『論語』『詩経』『書経』『春秋左氏伝』『戦国策』『老子』『荘子』『史記』『漢書』『晋書』などなどを学んだ。ここから、のちに漢学を批判し蘭学・英学を学ぶ福沢だが、十代の人格形成期には漢学をしっかり学んでいたことがわかる。西洋化主義者・進歩主義者でも、骨格には漢学から学んだエトスがあったのだ。「独立自尊」にしろ西洋の個人主義から来たとばかりは言えない。では、現代はどうか?(なお、広瀬淡窓や頼山陽のことは塾の先生が批判していたのでそこから自由だったようだ。)

 

 実は福沢は幼少期から酒好きだった。酒をやめるために煙草を始めたが結局酒と煙草を両方たしなむものになってしまった。この点はまねできない。

 

 幼少期から迷信を疑い神罰や冥罰なども信じなかった。殿さまの名の書いてある札を踏んでも罰など当たるはずがないと考え踏んでみたがやはり罰は当たらなかった。お稲荷様のお社の中の石も入れ換えてみたが平気だった。世間の思い込みから自由で、実際にやってみて確かめるという精神がここにはある。同時に、合理的な無神論者だとわかる。

 

 大坂で緒方洪庵の蘭学塾に学んだ。幕末には蘭学を学ぶには、長崎、大坂、江戸があった。緒方洪庵の塾からは福沢以外に大村益次郎も出ている。大阪大学の前身になった。「緒方の塾風」のところは面白い。豚の解剖をしたり、酒を飲んで暴れたり、漢学(特に漢方医)を学ぶものを馬鹿にしたりと、新しい学問を学ぶ若者たちの自由闊達な雰囲気が活写されている。もっとも、老人の回顧談だから、美化されているかもしれない。この乱暴な雰囲気を嫌う人もある。儒学を馬鹿にする無神論者の極端な現れと批判するべきか?

 

 勉強はよくやった。本もほとんどない時代だから、手で写すしかない。勉強は「会読」方式と言って、生徒十~十五人くらいがチームになり会頭(チーム長と言うべきか)が評価する。会読に臨むための予習が大変で、辞書もろくにないところで他人にも聞かず独力で行う。その雰囲気は是非読んで味わってほしい。予習ですぐ「ワカラナイから教えて」と塾や友人また模範解答に頼るのとは全く違うのである。そこまでさせた原動力は何か? というと、恐らくは、自分たちがこれを学んで新しい時代・社会を背負っていくという強い自覚であったのではないか。新しい勉強をするために幸福な時代でもあった。

 

 ここまでで自伝の約四分の一。以下は各自で読まれたし。福沢の気迫の生き方から学べることは多い。

 

 慶応に入学すると全員にこの本は配布されるそうである。                         

                             H30.8.10

               

(教育・学ぶこと)灰谷健次郎『林先生に伝えたいこと』『わたしの出会った子どもたち』、辰野弘宣『学校はストレスの檻か』、藤田英典『教育改革』、竹内洋『教養主義の没落』、諏訪哲二『なぜ勉強させるのか?』、福田誠治『競争やめたら学力世界一』、今井むつみ『学びとは何か』、広瀬俊雄『ウィーンの自由な教育』、宇沢弘文『日本の教育を考える』、青砥恭『ドキュメント高校中退』、内田樹『下流志向』、瀬川松子『亡国の中学受験』、磯部潮『不登校を乗り越える』、ひろじい『37歳 中卒東大生』、柳川範之『独学という道もある』、内田良『教育という病』、広中平祐『生きること 学ぶこと』、岡本茂樹『反省させると犯罪者になります』、宮本延春『オール1の落ちこぼれ、教師になる』、大平光代『だから、あなたも、生き抜いて』、中日新聞本社『清輝君がのこしてくれたもの』、鈴木秀人『変貌する英国パブリック・スクール』、アキ・ロバーツ『アメリカの大学の裏側』、堀尾輝久『現代社会と教育』、藤田英典『教育改革』、苅谷剛彦『大衆教育社会のゆくえ』、福沢諭吉『福翁自伝』、シュリーマン『古代への情熱』、ベンジャミン・フランクリン『フランクリン自伝』などなど。