James Setouchi

2024.10.1

 

誠の思想  

 

 「誠」は古来重視されてきた倫理的価値である。「誠」にはバリエーションがある。また「誠」だけで足りるかどうかも課題である。「誠実」を校訓にしている学校は多い。軍人勅諭には「誠」が出てくる。幕末には討幕派と佐幕派が「誠」の旗印のもと殺しあった。「誠」は殺人を容認する思想であるのか?21世紀に持ち伝えるモラルであるのか?この問いは最初で最後の問いとも言える。「誠実」を英語で言うとどうなるのか? 時代社会、また個人によって「誠実」の含意は違う場合がある。共通項もあるのか。

 

(1)『孟子』(戦国時代)「誠は天の道にして、誠を思ふは人の道なり」と言う。孟子の考えでは、周の文王が徳が高く太公望呂尚や伯夷・叔斉ら古老を引きつけた。ゆえに衆人も文王に帰順した。

 

(2)『中庸』(もとは『礼記』だが朱子学では四書の一つとして尊崇した)「誠は天の道なり。これを誠にするは人の道なり」と言う。武道の流派にもこれを掲げているところがある。なお、孔子の孫の孔伋(子思)の作と信じられた時代が長い。

 

(3)山鹿素行『聖教要録』(江戸時代)の「已むことを得ざる、これを誠と謂ふ」とある。情欲の肯定になるのか。山鹿素行は朱子学を批判して赤穂に流された。昭和の丸山真男は朱子学から山鹿素行、伊藤仁斎、本居宣長らの系譜に朱子学的思惟構造の解体、情欲の肯定を見た。

 

(4)伊藤仁斎『語孟字義』(江戸時代)では、朱子学の「誠とは真実無妄」を批判し、「誠とは真実無偽」とする。春夏秋冬の循環は真実無妄だが、天候が乱れた場合はどうか。「人至らずということなし。ただ天偽りを容れず」と蘇軾が言った。伊藤東涯(仁斎の子)は「人間は妬んだり詐ったりするが、天は善を善とし悪を悪とし一毫の偽りも容れない」と注釈した。(ここは分かりにくい。朱子の弟子の陳淳が四季の循環を真実無妄と呼んだのに対し、仁斎が「天候が乱れたらどうなのか」と問い、蘇軾(唐代)と伊藤東涯が「天は無偽だ」と言った、ということなのか?)仁斎は江戸時代京都の町人で、武士=支配階級の朱子学とは違う古義学を提唱した。「敬」ではなく「仁愛」「忠信」を重視した。

 

(5)吉田松陰『講孟箚記(こうもうさっき)』(幕末)では、「文王が至誠でもって老人を養った、ゆえに太公望呂尚が動いて興起した」「文王には下心がなかった」とする。ほかの人を利用してやろうとの下心があってはならない、ということか。カントも他の人格を目的として扱え、単なる手段として扱うな、と言っている。松陰はテロリストか革命家か教育者か、時代によって強調ポイントが実は違う。松陰の先生は玉木文之進(ぶんのしん)。玉木文之進にはもう一人有名な弟子がいる。乃木希典(まれすけ)だ。

 

(7)軍人勅諭(明治15)にも「誠」こそ大切、とある。

 

(8)夏目漱石『それから』(明治42)では、代助の父親は誠実と熱心を経験からも大事にしている。代助にはそのリアリティーがない。「誠は天の道なり。人の道にあらず」と言いたいくらいだ。

 

(9)水戸一高の校歌(明治41年)にも「至誠」が出てくる。今治西高の校歌にも「松こそ真実(まこと)の象徴(しるし)」とあるが、そのもとの歌詞(昭和5年)は「真実」ではなく「至誠」と書いて「まこと」と読んだ。作詞者の葛原滋(くずはら・しげる)氏は福山の出身。福山藩は譜代で朱子学を官学として教えた。福山藩の藩校が東京都文京区西片にあった。今はそこに誠之小学校という小学校がある。だが、「至誠」とは何か?

 

(10)人名では、昭和29~59年は「誠」君が上位に入っている。昭和60年=1985年=バブル開始から、「誠」君は上位ではなくなっている。日本人は「誠実」を捨てたのであるか?

 

(11)今の日本の誇るべきもの、21世紀に継承し世界へと発信しうる倫理とは何か? 戦前には、「美しい自然と私たちのたくましい体」が誇りだ、と言った。昭和45年頃には「経済力と科学技術力」と言った。今は何か? アニメやカワイイ・ファッションや和食であろうか? 流氷からサンゴ礁まで多様で美しい自然がある。平和を愛し人のために役に立ちたいと考えている心優しき日本の若者たちがいる。そして、誠実な人が報われるべきだとする倫理はこの国に生きている、と言ってみたい。国際化時代においてはどうか? 孟子は、「軽武装の小国でよろしい、大切なのは仁政だ、仁者に敵なし」と言っている。仁政を布けば天下の人が『王様、私たちを治めてください』と言ってくる、と。「誠は天の道にして、誠を思ふは人の道なり」とする孟子の思想とどこかでつながっている。だが、誠実でありさえすればいいのか?(相良 亨)。「忠信」な人はどこにでもいる。「学問」好きが見当たらないのだ、と孔子も嘆く(『論語』)。「誠実」に加えて、「学問」が要るはずだ。                                                               H31.2