2024.9.29
James Setouchi
菅野覚明『本当の武士道とは何か 日本人の理想と倫理』
PHP新書2019年12月
1 著者 菅野覚明
1956年生まれ。東大大学院人文社会系研究科教授、皇學館大学教授、東大名誉教授。著書『本居宣長』『詩と国家』『武士道の逆襲』『神道の逆襲』『武士道に学ぶ』などなど。(本の著者紹介から)
2 『本当の武士道とは何か』:本の主張を大まかにまとめると次の通り。
・「武士道」という言葉は様々に使われがちだが、『甲陽軍艦』の「脇差心」(20頁)、『葉隠』の「死に狂ひ」(25頁)に見るように、「戦国時代までの、実際に戦闘が行われていた時代に培われたもの」(41頁)であり、「強さ」(29頁)を前提とし、自分の死に様を思い描く「観念修行」(44頁)をするものだった。新渡戸稲造の「武士道」は本当の「武士道」ではない(21頁)。現代人は「忍耐」「辛抱」などの「強さ」が足りない(31頁)。
・近代は人間を取り替え可能な存在にし、「らしさ」(武士らしさ、職人らしさなど)を失わせた。(60~61頁)
・「文武両道」の「文武」とは、孔子の言う「礼楽」と「征伐」であり、「知育、徳育、体育」の「徳育」に関わるのが「文」。「知情意」の「情」に関わるのが「文」(84頁)。「もののあわれを知る武士」が「最強の武士」だ(107頁)。
・「武士道」という言葉の早い使用例は近世前期(113頁)。戦国期の朝倉宗滴は手の内を見せず、命令は明確に出す(121頁)。山本常朝の父は「嘘を言え」と教えた(5頁)が朝倉宗滴は「嘘をつくな」とした(124頁)。
・徳川時代の武士は営利活動を行う町人を蔑んだ(134頁)。新渡戸稲造は近代の「損得哲学」(143頁)を敵視した。福沢諭吉は「利」の追求を肯定した(145頁)。司馬遼太郎は近代の合理的精神が好きだった。武士道は、「勝つためには何でもする現場をのたうち回っているなかで、武士たち自身が発見した、「損得哲学」を超える「道」だ(155頁)
・「武士たちが、他の価値あるものすべてを捨ててでも守ろうとした『最も大切なもの』」とは、「日本の風土に根ざし、家族が一体となった『家』の生活」だった(167頁)。柳田国男は東京大空襲に際し『先祖の話』を書き「家」を守るべきとした(183頁)。『サザエさん』も橘曙覧も戦後の皇室も「和気藹々の団欒」を大切にしている(203~204頁)。
3 いくつかの疑問を記す。
・明治武士道と戦国期までの戦闘者の武士道とは違う、というのはよくわかる。著者は後者を支持しているように見える。だが、前者(特に新渡戸稲造のそれ)はきわめて高度な精神性を持っていて、私はそちらを支持したい。戦闘者は所詮戦闘者である。「勝つ」「死ぬ」を連呼する前に、「戦いを避ける」「共に生きる」道を探りたい。伊勢崎賢治は戦闘をなくし、中村哲は予め戦争が起きないようにした。勝海舟と徳川慶喜は江戸決戦を回避した。ケネディーはキューバ危機を回避した。「剣を鋤に代える」(イザヤ書)智慧が人類にはある。中江藤樹も武士を捨てた。新渡戸稲造や内村鑑三はその知恵を継承する者だ。法然は父親を殺されたが敵討ちをしなかった。
・「日本人の」と問題を限定するのはなぜか?(西部邁もそうだ。)「日本人」の中に大陸や西洋にルーツを持つ人は入っているのか。鹿児島以南や東北以北は入っているのか。日本列島に住み着いた人は樺太(サハリン)、朝鮮半島など大陸、南西諸島、太平洋の島々など多方面から来ている。柳田国男はなぜ一国民俗学に固執したのか。
・和辻『風土』の紹介がある(193頁など)が、古代ユダヤ教の骨格は沙漠ではなくバビロン捕囚時にできあがった。ユーフラテス川の支流ケバル川(運河)岸には柳がある(エゼキエル1-1,詩編137)。「沙漠の宗教」と言えるのか? また今後は温暖化で風土が変わり道徳も変わるのか? キリストはもちろんガリラヤ湖のほとりにおられた。そこは花が咲く穏やかで豊かな土地。言わば瀬戸内海の小豆島(オリーブができる)のようなところだろう。
・家族の幸せは私も願う。だが、家族を作らない人、作れない人、作っても壊れた人、様々な人がいる。誰もが幸せになるべきだ。イエ、ムラ、クニが理不尽に人を排除することはある。そのとき排除された人はどこへ行くのか。イエを規範化してはならない。
戦前は国家に従属するイエの規範で非人間的なことが多くあった。イエの圧力に潰された人は沢山いる。太宰や安吾はどうですか。ムラ八分などというのもあった。国家はもちろん国民から税金を取り立て国民を兵士にして殺し一部の者(軍産複合体の資本家たち)が利権を貪ってのうのうと生き延びた。将軍たちは偉そうに言った割には敗戦で自決もしなかった。安吾は「嘘をつけ!」と怒っている。
イスラエル共同体から排除された人とともにイエスはいた。釈尊は自分のカーストを捨てた。法然上人は戦闘で親を殺された。イエやムラやクニがなくても人は生きねばならぬのだ。
現代は貧困や孤立ゆえ家族を作って子育てをすることが難しい現実がある。空爆でイエもムラもクニも全て破壊される場合もある。
「書類一枚書いて役所に行けば手当が貰える」と言うのは現実を見ていない。書類一枚書けず役所に持って行けない人もいる。担任や保健の先生が代わりに書いたりしているのだ。せめて学校教育くらいはタダで行けて書類が書けるくらいまでは丁寧なケアをすべきだろう。
『サザエさん』の波平は東京に一戸建てを持ち安定した所得がある。現代の働く人はそう簡単にはいかない。
「福祉」への皮肉が一言書いてある(140頁)が、「福祉」(社会的包摂)は単なる金銭至上主義ではなく人間の尊厳の問題である。野田佳彦は言った、「落ちこぼれた人を救済するという考えは古い。どの一人も落ちこぼれない社会にするのだ」(大意)と。
読んでみよう→菅野覚明『武士道の逆襲』『本当の武士道とは何か』、本郷和人『なぜ武士は生まれたのか』、新渡戸稲造『武士道』、内村鑑三『代表的日本人』、小池嘉明『葉隠』、相良亨『武士道』『武士の思想』、『今昔物語集』『平家物語』『五輪書』『葉隠』『甲陽軍鑑』『三河物語』『軍人勅諭』『国体の本義』『終戦の詔勅』、坂口安吾『堕落論』、植芝盛平『武産合気』、内田樹『修行論』、大熊由紀子『寝たきり老人のいる国いない国』、堀内都喜子『フィンランド豊かさのメソッド』 堤未果『ルポ貧困大国アメリカ』
(R2.3.29)(R6.9.29改)