James Setouchi
2024.9.19
日本文学
『揚げソーセージの食べ方』大江健三郎
文春文庫『いかに木を殺すか』にある。初出は1984年1月『世界』。
(あらすじ)
語り手「僕」(注1)には一人の伯父さんがいる。伯父さんは田舎の抜群の秀才だったが、仏典の真理を究明・実践し、谷間の村(注2)で山羊と生活している。人々は彼を「変わり者」「社会的に不適格な人間」と呼ぶ。1960年代(おそらくは1969年)のある日、伯父さんは突然山羊を連れて上京する。学生運動の怒れる若者たちに真理を説き聞かせるためだ。しかし、伯父さんは相手にされず、負傷する。新宿駅構内の一角に、冬の夕日を浴びて結跏趺坐し瞑想しながらゆっくりゆっくりと揚げソーセージを食する伯父さんを見た。伯父さんは「僕」に「あまりつまらぬことを気にかけずに、自分の修行のことを思え」と助言してくれていたのだった。
その後月日が経ち、「僕」は大学の教員宿舎でものを食べる自分に、かの伯父さんと同じ食べ方を発見するのだった。
『いかに木を殺すか』大江健三郎
文春文庫。初出は1984年11月『新潮』。
(あらすじ)(ネタバレが含まれています。)
語り手「僕」はシカゴで或る歴史学者とその妻アイリーンに出会う。アイリーンに「僕」は1945年8月(終戦の年の夏)の話をする。その後「僕」はカリフォルニア大学バークレイ校を経て帰国する。1945年夏に谷間の村で起こった出来事について、いくつかのことを確認し、アイリーンに手紙を書こうとしている。
1945年夏、それは終戦の年だ。予科練の脱走兵が谷間の村の奥の山の森に逃げ込んだ。予科練の兵士や警察や憲兵、また周辺の村人たちが、脱走兵をつかまえるべく山狩りをし、森に火を放とうとしている。谷間の村の人々はそれを阻止したい。女たちは「世界舞台」と呼ばれる村の舞台で大掛かりな芝居を行い、それによって森への放火を食い止めようとする。
そもそもこの村は江戸時代に他村から来た暴民千人をかくまった歴史、いや伝承があり、村人たちはこれを芝居の演目として伝えてきた。村の伝承と芝居の力で、女たちは森を救うことができたのか?
アイリーンはハワイの出身だ。ハワイは近代化の中で樹木が伐採され、それに対し樹木を守ろうとする動きもあった。また現代=核時代において、地球の樹木は死滅する危険性がある。このような状況にあって、我々はいかに生きるべきであるか? 兵衛伯父さん(上記『揚げソーセージの食べ方』の)の助言が改めて想起される。
(コメント)
1 短編ながら、文学とは「魂のことをする」ことだ、という大江文学の重要なテーマが出ている。
『揚げソーセージの食べ方』の兵衛伯父さんは経済成長の最盛期の都会の学生たちにブッダの教えを語ろうとする。新宿駅の一角で迷走する姿が印象的だ。彼の存在は経済成長と科学技術文明を一挙に相対化する。
『いかに木を殺すか』では1945年の大日本帝国の憲兵たちと村の女たちが対決する。そこでは村の伝承が生きた力となって働く。このことを踏まえ、ハワイにおける近代化の過程での樹木の伐採と、現代=核時代における樹木の死滅の危険性とが視野に収められ、これに対して兵衛伯父さんの助言が対置される。
後者の作品の方がより世界的広がりを持ち、村の人々の生活を脅かす国家とは何か? という問いを前面に押し出してはいる。
2 どちらも読みにくい。連体修飾部が長い文体であるのは、正確さを期すためと言われるが、読みにくい。時間軸に沿って記述していないので、出来事の前後関係を確認するのに時間がかかる。特に『いかに木を殺すか』はそうだ。時間軸を解体して重層的な構造にしたのは作家が意図的にしたのであろうから、その語りの重層性を楽しむのが本来の読み方かもしれない。上記のあらすじは、時間軸にそって整理し直しているので、上記あらすじを最初に示し皆に読んでもらうべきではないのかもしれない。しかし、あらすじを頭に入れて再読すると内容がよくわかる。再読・三読するに足る内容ではある。
3 大江は愛媛県出身、東大仏文科卒、芥川賞、ノーベル文学賞。代表作『芽むしり仔撃ち』『個人的な体験』『万延元年のフットボール』『静かな生活』『燃え上がる緑の木』、講演集『あいまいな日本の私』など多数。
注1::「僕」:大江健三郎らしき人物。だが、厳密には大江とイコールではない。フィクショナルな語り手。
注2:谷間の村:大江作品にしばしば登場する場所。四国にある。おそらくは大江の故郷である、内子町近くの大瀬村をイメージしてよいが、厳密には実在の村ではない。
H24.8.13