James Setouchi
2024.9.16
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)『白い夏の墓標』(再掲)
新潮文庫 (単行本は昭和54=1979年)
1 帚木蓬生(ははきぎ ほうせい):昭和22(1947)年福岡県生れ。精神科医にして作家。東大仏文科卒後一時TBS勤務ののち九大医学部に学ぶ。『三たびの海峡』『閉鎖病棟』『逃亡』『ソルハ』『蠅の帝国』『蛍の航跡』『日御子』『国銅』『風花病棟』『天に星 地に花』『受難』『悲素』『襲来』などの作品がある。
2 『白い夏の墓標』
エンタメ。但し医学を題材にした知的エンタメ。バイオハザードをからめたサスペンスで、ウィルス研究の知見が盛り込まれている。1976年を舞台とし、1979年に出た本なので、現在の医学から見てどこまで新しく、あるいは誤っているかについては、私には分からないが、面白いことは請け合い。
主人公・佐伯教授は北東大学のウィルス研究の第一人者で、パリの学会に発表に来ている。そこにアメリカ陸軍微生物研究所にいるベルナールという老人が面会に来る。ベルナールは、佐伯のかつての盟友で天才科学者の黒田武彦の死は、従来交通事故死だとされてきたが、真実は自死であり、その墓はピレネー山中のウストという村にある、黒田はピレネー山中のアメリカの生物研究所で極秘裏に細菌を融合させる研究を成功させていた、佐伯にはそこを訪れ、あるミッションを果たしてほしい、と依頼する。
こうして佐伯の、ピレネー山中での真実への旅が始まる。その過程で、盟友・黒田武彦の過去も明らかにされていく。ここは迫力があり、読みどころの一つ。(以下ややネタバレ。)社会から排除された家族の貧苦の中で黒田は異常な人格を育てていく。殺人細菌・ウィルス兵器の開発に手を染めたのもそのためか。だが・・・ここから後は事態は二転三転する仕掛けになっているので、各自でお読みください。
本作では、科学者とは何か? 科学研究と倫理の問題が問われている。国家が細菌兵器の研究で人体実験を行う、それは間違っている、と黒田は苦悩する。七三一細菌部隊への言及もある。「逆立ちした科学」に奉仕する研究者には二タイプあり、一つは国家への忠誠。もう一つは「知的ロボット」タイプだ。「未知のものを究めることそれ自体が快楽としてひとり歩きしはじめると、まっとうな科学も、いつの間にか逆立ちしてしまう。ぼくたちがやっていることは確かに、逆立ちした科学だ。だが、もっと恐ろしいのは、まっとうだと思いこみ、また人からもそう信じられ、その実、逆立ちしている科学ではないのか。」これは、黒田のノートの書き込みである。「国家」を守ることと「家族」を守ることとが必ずイコールなのか? という問いも書き込んである。「科学」という言葉を他の言葉に置き換えてみることもできる。
帚木蓬生は32才でこれを書いた。展開がうまく、とても頭のいい人なのだろうと思う。精神科医としての知見も書き込まれている。が、最後まで読んで最も心打たれるのは、作者が書き込んでいる、ヒューマンな思い、人間への信頼だ。ぜひお読みください。
(一カ所だけ不愉快な場面がある。黒田の恋人・ジゼルの少女時代に関する叙述の一部分だ。ここの叙述がなくても小説は成立すると思う。不快な人は読み飛ばしてください。)
(医者で作家・著述家といえば)
森鴎外『舞姫』『渋江抽斎(しぶえちゅうさい)』、安部公房『壁』『砂の女』、北杜夫『夜と霧の隅で』『楡家(にれけ)の人びと』、渡辺淳一『白い宴』『花埋み』、なだいなだ『お医者さん』、加藤周一『ある晴れた日に』『日本文学史序説』『雑種文化』、加賀乙彦『宣告』『フランドルの冬』『不幸な国の幸福論』、帚木蓬生『閉鎖病棟』『三たびの海峡』『白い夏の墓標』『花散る里の病棟』、南木佳士(なぎけいし)『ダイヤモンドダスト』、和田秀樹『受験のシンデレラ』、久坂部羊『破裂』『悪医』、海堂尊(たける)『チームバチスタの栄光』、南杏子『いのちの停車場』、夏川草介『神様のカルテ』、コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』、チェーホフ『桜の園』、モーム『人間の絆』、魯迅『故郷』『阿Q正伝』、クローニン『人生の途上にて』 R5.7.23