James Setouchi
2024.9.16
吉村昭『冬の鷹』(新潮文庫)
1 吉村昭(あきら)1927(昭和2)~2006(平成18)
作家。東京の日暮里に生まれる。旧制開成中学に学ぶ。空襲に遭う。学習院大学に学ぶ。文芸部に所属し執筆。昭和41年『星への旅』で太宰治文学賞。『戦艦武蔵』が大ベストセラーに。ほかに『ふぉん・しいほるとの娘』『冷い夏、熱い夏』『破獄』『天狗争乱』など。(吉村昭記念文学館のサイトから)
2 『冬の鷹』
昭和49年毎日新聞社から刊行。昭和51年新潮文庫。
『解体新書』を翻訳した前野良沢と杉田玄白を対比して描いた小説。小説だから史実そのままではなく、資料を参照しつつも作家の想像力で補って描いている。そこで浮かび上がるのは、前野良沢と杉田玄白の対照的な生き方だ。ほかに、平賀源内(発明家)や高山彦九郎(尊皇思想家)らも出てくる。前野良沢はオランダ語を習得しようとの強い熱意に燃えた人物。学究肌で辺境で名利に対し潔癖だった。最後は貧窮と孤独の内に没した。杉田玄白はオランダ語は不十分だったが、周辺に対する気配りが巧みで、『解体新書』の翻訳から出版までを成功に導き、さらに多くの蘭方医を育て、富と名声を残した。平賀源内は進取の精神に満ち田沼意次とも近く一世を風靡したが、最後は落魄して獄死した。前野良沢の禁欲的な目には、平賀源内の生きかたは軽佻浮薄な者に見えた。高山彦九郎は尊皇の志を貫こうとし、弾圧に遭い自刃。前野良沢は高山彦九郎に近しい者を感じ息子のように思っていた。(吉村昭は明言してはいないが、幼くして天涯孤独の憂き目を見た前野良沢が、家族を失い孤独な中で志を貫こうとした髙山彦九郎に、どこかで自分と同じものを見たのではないか、という感想を私は持った。)ある者は名声を得、ある者は孤独な晩年を迎え、ある者は自刃、ある者は獄死。
読者は「では、自分はいかに生きるか?」という倫理的な問いを持つはずだ。今の読者は、金と名誉を摑んだ杉田玄白の生き方を好むかも知れないが、作者の吉村昭は、学問に忠実でひたむきだった前野良沢の生き方に大いに同情しているように見える。金と名誉をつかみかけて失意に終った平賀源内は、成功者・杉田玄白のネガであるのかもしれない。するとポジティヴに動き回った高山彦九郎は、静かだった前野良沢のネガなのだろうか。(孔子の弟子・顔回は清貧を貫いた。清貧で高邁な志を持った人への尊敬の気持ちが、少なくとも昭和一ケタ(吉村昭は昭和一ケタ)の世代にはあった。)
杉田玄白に比べれば世俗的には報われていないように見える前野良沢だが、前野良沢という先駆者が『解体新書』でとどまらず様々な分野のオランダ語の書物に挑んだおかげで、例えば大槻玄沢(杉田玄白の門人だが前野良沢にも学んだ)ほかの「蘭学」(オランダ語を通じて西洋の諸学問を学ぶ)が隆盛したのかもしれない。前野良沢は北方のカムチャツカにも関心があった。
前野良沢は長崎の通詞の元でオランダ語を習得しようとするが、藩主の命令である100日では到底かなわず、せめて書物を入手して帰ろうと願っていた矢先、『ターヘル・アナトミア』に出会う。これが一大転機となり、生涯を決定づける。強く冀い続ける者には天機が訪れるのだと私は感じた。周囲に助け手が次々と現われる点にも注目。人の世は信じて生きるに価する。
翻訳および医学に関心のある人にも一読を薦めたい。 (R6.2.12)