James Setouchi

2024.9.15

  池田清彦『やがて消えゆく我が身なら』角川文庫2008年(もとは2005年)

 

1 著者 池田清彦1947年~。

 早稲田大学・山梨大名誉教授。構造主義生物学者。理学博士。科学論、社会評論も行う。カミキリムシの収集家。著書『ナマケモノに意義がある』『ほんとうの環境白書』『不思議な生き物』『オスは生きているムダなのか』『生物にとって時間とは何か』『初歩から学ぶ生物学』『そこは自分で考えてくれ』『やがて消えゆく我が身なら』『真面目に生きると損をする』『やぶにらみ科学論』『環境問題のウソ』『新しい環境問題の教科書』など。TV番組「ホンマでっかTV」にもコメンテーターとして出場している。武田邦彦とは別人。(角川新書の著者紹介などからまとめた。)

 

2 コメント 

 池田清彦氏はTVに出て有名な人だ。だから読むわけではない。何冊か読み、TVでも話を聞いて、内容が信頼できると感じるからだ。書く・話す内容はわかりやすくかみ砕いてあるが論理的で科学的である(と感じる)。人柄や話し方は江戸っ子で気っぷがよく男前である。そして(多分)心優しく、頼りになる人だ(と思う)。

 

 この本は2002年~2004年『本の旅人』に連載したエッセイで、2005年に単行本で出た。話題は少し古いものもあるが、内容は普遍的なものが多い。いくつか紹介する。

 

(1)「強者の寛容について」。(71頁以下):アメリカは経済的にはすでに実質的な階級社会に入っている」「ビル・ゲイツはたった一人で、アメリカの下層民の四〇パーセントの全資産に相当する資産を持っているという」「それはたとえば、現代に奴隷制をもたらすものだ」「市場経済における競争原理がコストを切りつめることに躍起になり、最安値の原料と最安値の労働力を求めて第三世界に侵入すれば、実に巧妙な手口を使って・・奴隷労働者が出現するであろう」「ブッシュ政権がイラクに先制攻撃をしかけるようなことがあれば、世界は果てしのない暴力の連鎖に巻き込まれるに違いない。それは長い目で見れば、アメリカ主導のグローバリゼーションの崩壊のはじまりを刻するものとなろう。」(76~78頁)この文章はアメリカのイラク攻撃以前に書かれたものだが、その後の展開を正確に予言していて、驚きだ。

 

 この節で一カ所訂正したい。「二〇〇一年の日本全国の自殺者は三万一千人強である。・・物質的には恵まれているに違いないが、それは精神的に幸福になったことを必ずしも意味しない。」(73頁)池田氏は下線部を不用意に書いてしまったが、日本の戦後社会において自殺率は失業率とほぼ正比例している。これは知っている人は誰でも知っている事実だ。21世紀初頭の自殺率が高いのは、「物質的に恵まれている」ことがなく失業したからだ。失業率が高いのは、規制緩和で過度な競争になったからだが、この点は池田氏は正確に見抜いている(と思われる)

 

 では、どうすればいのか。池田氏は「強者の寛容」を語るが、それだけでは追いつかない事態になっているので、例えば教育の普及、生活環境の改善、税による再分配システムの構築などを、国際社会全体で行うべきではないか? とする意見があるが、これについて皆さんはどう考えるか? 理系の勉強だけでは足りず社会・経済についても勉強しないといけないということだ。

 

(2)「人間を変える」(174頁以下):野生のカワラバト一種から人間が品種改良して二十種ほどのハトが生じた。イヌやネコも同様に人為選択の結果バラエティ豊かになった。優生学と政治学が結びつけば民族浄化が起きる。ナチスが崩壊し優生学は廃れたが、その代わり人々の自由意志に基づく新たな優生学が胚胎しつつある。遺伝子改良技術だ。人間のすべての形質は遺伝子だけでは決まらず、遺伝的要因と非遺伝的要因(特に発生環境)の相互作用により決まる。沢山の遺伝子たちは独立に形質を遺伝させているわけではなく、協力したり拮抗したりして働いているに違いない。美人や天才を作ろうとしてもそう単純には行かない。それでも人は遺伝子改造で美人や天才をめざし人間の多様性を減少させるかもしれない。…ネオ・ダーウィニズムによれば、進化は遺伝子のランダムで無方向的な突然変異の結果形質が少し変化したところから始まる。が、自分(池田)はネオ・ダーウィニストではない。大きな進化は遺伝子だけの変化ではなく、細胞のシステム全体の多少とも不連続的な変換により生ずると考えている。・・このように池田氏は書く。ここでは例えば「医療と倫理」「人間の尊厳」の問題に少し触れている。

 

(3)「病気は人類の友なのか」(189頁以下):一万年以上前狩猟採集時代、人から人への伝染病はほとんどなかった。寄生虫もあまりいなかった。農耕を発明して以降、餓えの恐怖から大分解放されたに違いないが、疫病と寄生虫に恒常的に悩まされるようになった。結核は五千年から一万年前に出現した。もとは牛の病気だったらしい。記録に残る日本最古の結核患者は天武天皇。天然痘は西方の疫病で、中国には紀元前二世紀以後。日本には八世紀に九州に入り急速に広がった。人から人へ接触感染するタイプの病原体は、人類にとりついた当初は重い病気を引き起こすが、徐々に軽い病気に進化する。外出できるほどに元気な方が病気は流行し易い。人類以外にとりついている病原体にしてみれば、人類の個体群は広大な空きニッチなのだ。・・このように池田氏は書く。新型コロナについてはどうであろうか?

 

(4)「人は死ぬ」(7頁以下)に、次の記述がある。「人の体細胞は五十回も分裂すると老化して死んでしまう。染色体の末端にテロメアという構造があり、分裂のたびにテロメアが少しずつ短くなって、ついに消滅して細胞系列の寿命は尽きる。…人では約五十回である…それに伴い寿命の方は人は百二十年…である。」(11頁)・・そこで私(JS)は思い出した。旧約聖書創世記6章3節に、神が人間の寿命を120年と決めた、とある。どうして符合しているのだろうか?(注1)またこの節(「人は死ぬ」)で池田氏はアポトーシスについても言及している(12頁)。テロメアもアポトーシスも生物の先生ならご存じだ。物理・化学しか学んでいない人も少し勉強しておくといいだろう。

 

(5)「病気は待ってくれない」(79頁以下)では、自分が死にかけた経験を語り、最後にこう語る。「もう少し体の調子がよくなったら、もう少しお金ができたら、…多くの人はそう思って、自分にとって最も大事なこともやらないで、時間だけはどんどん過ぎてゆくのである。…人はどんな時でも、体の調子などウジウジと考えずに今一番大事だと思うことをすべきなのである。」(85~86頁)。・・おや、兼好法師も『徒然草』「大事を思ひたたむ人は」で同じようなことを言っていた。

 

注1)    後藤佐多良(東邦大学名誉教授)という方のブログには「動物の寿命とテロメアの長さは無関係」とある。(Dr.Gotoの老化研究室、健康長寿、老いとは何か、テロメアをめぐる話)

                     

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