James Setouchi

2024.9.15

 

  今野 浩『工学部ヒラノ教授』新潮文庫2013年(もと2011年)

 

1 著者 今野 浩(こんのひろし)1940年~

 東大工学部応用物理学科卒。修士課程、民間企業を経て、スタンフォード大学大学院オペレーションズ・リサーチ学科博士課程修了。Ph.D.、工学博士。草創期の筑波大学で助教授、東京工業大学教授、中央大学教授等を経て、東京工業大学名誉教授。著書『すべて僕に任せてくださいー東工大モーレツ天才助教授の悲劇―』『工学部ヒラノ教授』『工学部ヒラノ教授の事件ファイル』『工学部ヒラノ教授と4人の秘書たち』『工学部ヒラノ教授と七人の天才』『工学部ヒラノ教授のアメリカ武者修行』など。(新潮文庫著者紹介などから)

 

2 内容とそれへのコメント

(1)この本は、東工大教授である今野氏が、工学部とエンジニアたちの実際を知ってもらおうとして書いている。国立大学工学部ヒラノ教授なる架空の人物(今野氏に限りなく近いと思われる。ヒラノ氏は自らをエンジニアと規定している。サイエンティストとは見なしていないようだ)の口を通して、20世紀後半から21世紀初頭までの、今野氏自身の奮闘努力のあゆみが、大学工学部の内部のあり方とともに紹介される。工学部に進みエンジニア・研究者になりたい人は必読だろう。他学部でも研究者になりたい(大学の内部事情を知りたい)人にはお薦めできる。

 

(2)工学部平(ひら)教授の役得は何か? ①好きな研究ができる、②若くて優秀な学生とともに過ごせる、③好きな時に海外出張できる、と書いてある(12ペ)。

 

 ①については、好きなことを仕事にしている芸術家、スポーツ選手、俳優、まれに年収1億円を超える人がいるが、多くはそうではなく、100万円以下の人もいる。工学部教授は、研究費の獲得の成功すれば、自由に研究を進めることができ、有名な教授もそうでない教授も所得にそう差はない(217~218ペ)。企業の一流エンジニアは所得は大きいが、会社の指示に従って研究するので自由がない(218ペなど)。

 

 ②については、東工大だからなのかどうかは分からないが(JS)、きわめて優秀な学生がおり、特に大学院生との共同の学びは教授にとっても刺激になる(137ペ以下11節など)。

 

 ③については、企業のビジネスマンは海外出張が多く、恐ろしいほどヘビーだ。ヒラノ教授の場合は、年に2~3回。世界を相手の競争で真剣勝負だが、「世界各地に散らばる研究者仲間と会って、自分の研究成果を誇示し、相手のアイデアを吸収し、互いにヨイショしながらワインを飲む」のは楽しい。オプションで夫人同伴のコース(自己負担)もあるので家庭サービスにもなる。(212~215ペ)

 

(3)このように楽しい工学部教授暮らしだが、実は苦労も多い。一般教育課程の所属だった頃は大学教授の中でも2級市民扱いで予算も給与も少なく、専門とは限らない内容を多くの学生に教えることに時間を取られた。加えて、予算獲得のための書類書き、役職についてしまった場合の多忙さ、大学入試業務の煩雑さ(入試形態の多様化がこれを加速する)などの苦労がそこここに書いてある。これに大学改革(大学院重点化、大学設置基準の大綱化、独立行政法人化、予算削減、短期的成果を求める傾向などなど)がのしかかってくる。大学・大学院での教育や研究の充実のために大学教授をもう少し暇にしてあげないといけないのではないか、という気になってくる。

 

(4)工学部の教え7ケ条(111ペ以下9節)が面白い。

 

①決められた時間に遅れないこと(納期を守ること)、

②一流の専門家になって、仲間たちの信頼を勝ち取るべく努力すること、

③専門以外のことには、軽々に口出ししないこと、

④仲間から頼まれたことは、(特別な理由がない限り)断らないこと、

⑤他人の話は最後まで聞くこと、

⑥学生や仲間をけなさないこと、

⑦拙速を旨(むね)とすべきこと。

 

 以上7ケ条は、工学部卒エンジニア集団に脈々と受け継がれてきたモラルであり、戒律であるようだ。特に「納期を守れ」は東大工学部の訓示などでも繰り返し語られている(112~113ペ)。彼らエンジニア集団は、このようにして、同質的な仲間たちと共に、切磋琢磨し、技術・産業大国ニッポンを作り出してきたのだろう。

 

 そう言われてみれば私(JS)の知り合いのエンジニアたちもそんなタイプの人が多い。エンジニア集団の結婚披露宴に参加すると独特の雰囲気がある。彼らは結構いいやつばかりで、それぞれ腕に覚えのある恐るべき連中である。

 

 だが、ここで批判をするならば、技術者集団は自分たちだけで暴走し、一般の消費者(高齢者や貧しい人を含む)のニーズから遊離してしまった(高齢者には使えないし貧しい人は買えない!)、もっとマーケティング(マーケティングとは、ただ単にCMやPRをうまくやって入り込めばいい、というのとは異なる。本当のニードやウォントがあるかどうか、社会の未来の予見も含めて、を深く洞察することから始まる)の重要度とイノベーションの社会性に気づくべきだ、との識者の批判がある。すると、例えば、もはや新幹線もリニヤも原発も要らない、高速化・加速化して非人間的なものは要らない、要るのは人間を大事にする何かだ、それは食糧・環境・エネルギー・資源・生命などの分野に必ずあるはずだ、といったことに気付いていくはずだ。・・・あなたは、どう考えるか?

 

3 補足 「あとがき」の木村孟(つとむ)氏の文章も必ず読みたい。木村氏は土木工学の専門で、瀬戸大橋建設にも関わった、知る人ぞ知るその道のプロであり、かつ、東工大学長、政府の役職などを務めて人望のあった方である。理系エンジニアのプロフェッショナルでありつつ人文・社会分野を含む総合的な知見を持ち実力を発揮された。

                               

(理工系・農学系)

広中平祐『生きること 学ぶこと』、藤原正彦『若き数学者のアメリカ』・『遥かなるケンブリッジ』、湯川秀樹『旅人』、福井謙一『学問の創造』、長沼毅『生命とは何だろう?』、福岡伸一『生物と無生物のあいだ』、池田清彦『やぶにらみ科学論』、本川達雄『ゾウの時間ネズミの時間』・『生物学的文明論』、桜井邦明『眠りにつく太陽 地球は寒冷化する』、村山斉『宇宙は何でできているのか』、佐藤勝彦『眠れなくなる宇宙のはなし』、今野浩『工学部ヒラノ教授』、中村修二『怒りのブレイクスルー』・『夢と壁 夢をかなえる8つの力』、植松努『NASAより宇宙に近い町工場 僕らのロケットが飛んだ』、小林雅一『AIの衝撃』、益川敏英『科学者は戦争で何をしたか』、広瀬隆・明石昇二郎『原発の闇を歩く』、河野太郎『原発と日本はこうなる』、武田邦彦『原発と日本の核武装』、梅原淳『鉄道の未来学』、近藤正高『新幹線と日本の半世紀』、中村靖彦『日本の食糧が危ない』、神門善久『日本農業への正しい絶望法』、鈴木宣弘『食の戦争』、中野剛志『TPP亡国論』