James Setouchi

2024.8.24

 

藤原俊成の歌

 

 藤原俊成は五条三位入道と言われ平安末期に非常に尊敬された歌人。定家の父。『千載集』編者。

 

藤原俊成の歌1

 駒とめて なほ 水かはん 山吹の 花の露そふ 井出の玉川

新古今159(春)

馬をとどめて、もっと水を飲ませよう。山吹の花の露までが落ち加わっている井出の玉川であることよ。

水かはん:水を飲ませよう。「ん」は意志。「かは」は四段。

山吹の花:桜より後。暮春。黄金色。一面に咲いていたに違いない。明るい情景。

井出の玉川:京都にある。山吹の名所。歌枕。京都と奈良を結ぶ所にある。

花の露そふ井出の玉川:山吹の花の露がこぼれて井出の玉川に流れに加わって落ちる。

「露」は「玉」と縁語。

馬を止めて馬に水を飲ませよう、と言いつつ、美しい場所なので、自分も山吹をもっと眺めていたい、立ち去りがたい、の含意。

 

本歌:ささのくま 檜隈川(ひのくまがわ)に 駒とめて しばし水かへ 影をだに見む(古今集、神遊びの歌、ひるめの歌):

                    (せめてアマテラスの姿だけでも見よう)

  「だに」は副助詞でここでは「せめて・・だけでも」。

本歌は、神の姿を見る歌だろう。が、俊成は、旅人の歌とした。水には山吹の姿が映る。

(三友社の本他を参照)

 

藤原俊成の歌2

 昔思ふ 草の庵の 夜の雨に 涙 な添えへそ 山ほととぎす

新古今201(夏)

昔(都で栄華を味わっていたとき)のことを思って 山の草庵で泣いている私 そこに夜も五月雨が降り続いている これ以上私を悲しませ涙を添えてくれるなよ 悲しい声で鳴く山のほととぎすよ

昔思ふ:都で高級貴族として栄華を味わっていた時代を追憶する

草の庵:都の御殿ではなく山中の粗末な草葺きの家

な添へそ:添えてくれるな。添えるな。「な+連用形+そ」で禁止。「な」は副詞。「添へ」はハ行下二段活用の動詞「添ふ」の連用形。「そ」は終助詞。

山ほととぎす:山のほととぎす。ほととぎすは、あの世(死者の世界)から来て鳴く、と言われていた。(なお、「ほととぎす」の 漢字は、時鳥、不如帰、杜鵑、子規、血吐鳥 などがある。「鳴いて血を吐け ほととぎす」とも言う。正岡子規のペンネームでもある。)

 

本歌:中国の白楽天(白居易):「蘭省ノ花ノ時ノ錦帳ノ下、廬山ノ雨ノ夜ノ草庵ノ中」(『白氏文集』17、山家)

友は蘭省(尚書省)という中央官庁で花の季節に天子の錦の帳の下で栄華の日を送っているが、私はここ廬山(南方の、隠者の集まる場所)に左遷され雨の夜に草庵の中で寂しく日を過ごすことだ。

白楽天の漢詩は、都の友人と廬山の自分の対比、空間の対比、  季節は春? 視覚のみ。

俊成の和歌は、 過去の栄華と現在の落魄の対比、時間軸の対比、季節は夏。聴覚もある。

模倣ではなく、本歌取りと言うべき。

関白・九条兼実がまだ右大臣だったとき百首の歌を詠ませた時の歌。

 

俊成1178年65才の作だが、1176年63才の時に重病で出家していた。

 

なお、輔仁(すけひと)親王「さみだれに 思ひこそやれ いにしへの 草の庵の よはのさびしさ」(『千載集』夏)にも影響を受けている。

 

俊成の歌3

 まれに来る 夜半も悲しき 松風を 絶えずや苔の 下に聞くらん

 まれに来る夜半も悲しき松風を 絶えずや 苔の下に聞くらん

新古今796(哀傷歌)

1194年に妻(美福門院加賀)の一周忌(本当は2月だが)に寺のお堂に宿泊し、松風の音を聞いて作った歌。季節を秋に設定した。

まれに来て泊まる夜でも悲しい松風の音を、亡き妻は絶えずこの苔の下で悲しく聞いているのだろうか。

松風:松に吹く風

・・や・・らん:係り結び。「らん」は現在推量の助動詞「らん」の連体形。「・・ているのだろうか」

苔(こけ)の下:苔むした墓の下。

「まれ」と「絶えず」を対比。

 

俊成と妻は熱烈な恋愛で結ばれたという。妻の死も悲しかったであろう。亡き妻が地下でこの風の音を聞いているだろうか、と妻を思っている。俊成は毎年この墓参りに行った。

 

俊成の歌4

 難波人   蘆火焚く屋に  宿借りて  すずろに 袖の  潮  垂るるかな

 なにはびと あしびたくやに やどかりて すずろに そでの しほ たるるかな

新古今973(羈旅=きりょ)

難波の海岸に住む漁師が 蘆を焚いて煙を出して暮らしている そこに宿を借りて 何ということなくむやみに 私の 袖にも 潮がたれる(涙で袖が濡れる)ことだ

難波:大坂の海岸部

蘆火:蘆を焚いて燃料にする。煙が出る。都から見たら珍しい風情。蘆は難波の名物。

蘆火焚く屋:漁師のわびしい家、ということだろう。

すずろなり:むやみやたらに、何ということもなく、形容動詞。

しほたる:しおがたれる、涙が出る。

かな:詠嘆の終助詞。「・・であることだなあ」

「しほたるる」は「なには人」の縁語。

 

本歌:難波びと 芦火たく屋の すしたれど(すしてあれど) おのが妻こそ 常(とこ)めづらしき(万葉集2651,作者未詳)

難波の人が 芦を焚いて火をおこす部屋には すすが出てすすけている。そのようにすすけて古女房ではあるけれど、私の妻は いつもかわいらしくすばらしいことだよ。

「すしたれど(すしてあれど)」は、煤けているけれど。拾遺集恋4では人麿の歌として「すすたれど」。

「難波びと 芦火焚く屋の」は「すしたれど」の序詞(じょことば)。言いたいことは歌の下半分。

 

本歌は、妻への愛情を歌うが、

俊成の歌は、都を離れて海岸に来ている都人の悲しみ、わびしさを歌う。

 

俊成の歌は、1178年の作。

 

 

俊成の歌5

 思ひあまり そなたの空を ながむれば 霞をわけて 春雨ぞ降る

新古今1107、恋

恋しさのあまり 恋人の住むかなたの空を 眺めると 霞をわけるようにして 春雨が降ることだ

 

ながむれば:マ行下二段活用の動詞「ながむ」の已然形+接続助詞「ば」。偶然条件。

霞をわけて春雨の降る:美しい春霞を分けるようにして細かい春雨が降る。春雨は繊弱なものだが、それが春霞を押し分けて降る、としている。私の心もそめそめとした恋情で涙が出るのだろう。

雨の日に女性に遣わした歌。人目を忍ぶ恋のようだ。「思いあまり」と恋情に耐えきれず女性のいる方角を眺める。この女性が、後妻になった人かも知れない。

 

俊成の歌6

 憂き身をば われだにいとふ いとへただ そをだに同じ 心と思はん

新古今1143恋

あなたに思われないつらいこの身を 私自身でさえ厭うている。あなたもただ厭うて下さい。せめてそれだけでもあなたと私の同じ心と思いましょう。

「だに」は副助詞。一つ目は「・・でさえ」と訳し、二つ目は「せめて・・だけでも」と訳す。

「いとふ」はハ行下二段活用の動詞。

「ん」は意志。

 

本歌:あかでこそ 思はん中は 離れなめ そをだに後の 忘れ形見に(古今717恋、読み人知らず)

飽き足りないでいる中に 愛するような私たちの間柄は 確かに離れてしまおう せめてそれ(愛し合いながら別れたこと)をだけでも 別れた後の 忘れ形見にしよう

 

本歌は、   愛し合っている中に別れよう、と言う。

俊成の歌では、愛されず、片想いの歌である。嫌いあう心は同じ、と皮肉をこめている。俊成が三十代の歌か。

 

俊成の歌7

 昔だに 昔と思ひし たらちねの なほ 恋しきぞ はかなかりける

新古今1815雑

自分が若かった昔でさえ 早く亡くなって「昔の人」と懐かしく恋しく思った親が 自分が老年になった今も尚恋しいとは、はかないことだなあ。

1190年の作。俊成77才。俊成が10歳の時に父が、26歳の時に母が時に亡くなった。

「だに」は副助詞。ここでは「・・でさえ」

「たらちねの」は、母にかかる枕詞だが、平安期には親のことを言うようになった。

「なほ」はここでは「今もなお」

「はかなかりける」は形容詞「はかなし」の連用形「はかなかり」+詠嘆の「けり」の連体形。

「ぞ・・ける」係り結び。

 

俊成の歌8

 十首の歌人々によませ侍りける時、花の歌とてよみ侍りける

み吉野の 花のさかりを けふ見れば 越の白根に 春風ぞ吹く

千載集76

吉野山の 花の盛りを 今日見ると まるで 越の白山に 春風が吹くかのようだ。

 

み吉野:「み」は美称のための接頭辞。「吉野」は奈良県南部の山で、雪の深いところのイメージ、また桜の名所のイメージ。

越の白根:白山。石川・岐阜県境。雪が消えないとされた。

 

眼前の景色は、吉野の桜の盛り。連想しているのは、雪の白山に春風の吹く景色。そこは聖地。

 

俊成の歌9

摂政右大臣の時の歌合に、ほととぎすの歌とて

過ぎぬるか 夜半の寝ざめの ほととぎす 声は枕に ある心ちして

千載集165

通り過ぎてしまったのか。夜なかに寝覚めで聞いた ほととぎすは。その声はまだ枕もとにある気持ちがするのだが。

 

初句、三句切れ。ホトトギスは去ったのか。それでも声は枕元にある心地がする。闇の中で聴覚で聞いた。視覚は使っていない。深夜に一人ホトトギスの声を追いかけて反芻しているのである。

 

俊成の歌10

百首歌奉りける時、秋歌とてよめる

夕されば 野辺の秋風 身にしみて 鶉鳴くなり 深草の里

千載集259

夕方になると 野辺の秋風が 身に沁みて 鶉が鳴くのが聞こえる この深草の里に

 

深草の里:京都郊外(伏見のあたり)の地名だが、草深い里の意。

鶉(うづら)鳴くなり:伊勢物語123段の、男に捨てられ、鶉になって野で鳴く女を踏まえる。「なり」は伝聞・推定の助動詞「なり」。聴覚的推量で、「・・が聞こえる」「・・そうだ」などと訳す。

夕されば:夕方になると

 

鴨長明の『無名抄』によれば、俊成はこの歌が自分の代表歌だと言ったこの歌について、長明の師匠の俊恵は、「身にしみて」が言わなくてもいい表現だ、と批判した。

 

本歌:野とならば 鶉となりて 鳴きをらむ かりにだにやは 君は来ざらむ(「伊勢物語」123段)

あなたと住むこの家が、あなたが去って荒れ果てて野原となったならば、私はウズラとなってここで鳴いていよう。そうすれば、せめて狩りにだけでも、あなたはここへ帰ってこないだろうか、いや、帰って来てくれるだろうから。

 

 

俊成の歌11

崇徳院に百首の歌奉りける時、落葉の歌とてよめる

まばらなる 槙(まき)の板屋に 音はして 漏らぬ時雨(しぐれ)や 木の葉なるらむ

千載集404

 

荒れて板もまばらな 槙の板の屋根に まばらに音はしても 時雨は漏ってこない と思ったのは木の葉であるのだろうか

 

まばらなる:荒れて板の隙間がまばらになっている、と、まばらに音がする、の掛詞。

漏らぬ:漏らない。「ぬ」は打消「ず」の連体形。

時雨:晩秋~初冬の雨。寒々とした風情。

らむ:現在推量。「・・ているのだろう」。ここは「や」の結びで連体形。

木の葉なるらむ:「木の葉なりけり」とする本もある。

崇徳院:崇徳上皇。鳥羽天皇の子。75代天皇。保元の乱で敗れ讃岐に流されて崩御。強烈な怨霊となったとされる。今は京都の白峯神宮で祀られている。

 

 

俊成の歌12

百首の歌めしける時、旅の歌とてよませ給うける

浦づたふ 磯の苫屋(とまや)の 梶枕 聞きもならはぬ 波の音かな

千載集515

浦を伝って旅をして出会った 磯の苫屋で 梶を枕に寝ていると 聞こえてくるのは、都では聞き慣れていない 波の音であることだなあ

 

苫屋:海岸の漁師の粗末な小屋。

梶枕:梶を枕にして寝る。船中に泊まること。この歌では、漁師の小屋を借りての旅寝。

『源氏物語』須磨・明石など貴種流離の物語を連想。

 

 

俊成13

しのぶるこひを

いかにせむ 室(むろ)の八島(やしま)に 宿もがな 恋のけぶりを 空にまがへむ

千載集703

どうしようか。いつも蒸気で煙っているという室の八島に家があればなあ。私の恋の煙を空に立ちのぼらせ、その室の八島の蒸気に紛らわせよう。

 

室の八島:かまどのこと。のち下野国の八島。歌枕。八島には蒸気を発する清水があったという。

恋(こひ):「ひ」に「火」をかけているかも。火と煙は縁語。

忍ぶ恋:人に知られぬひそかな恋。

 

 

俊成14

法住寺殿にて五月の御供花の時、男ども歌よみ侍りけるに、契後隠恋といへる心をよみ侍りける

たのめこし 野辺の道芝 夏ふかし いづくなるらむ 鵙(もず)の草ぐき

千載集795

あてにさせたのでやって来たのに 野辺の道芝はうっそうと茂っている。夏も深いことだ。 どこなのだろう。百舌が草に潜り込み出てこないように、あの人の住まいもどこかわからない。

 

鵙の草ぐき:モズは春は草にもぐり込むという。隠れて出て来ない恋人を恨む歌。

道芝:道ばたの雑草。

たのめこし:「たのめ」はマ行下二段で「あてにさせる」(他動詞)。「こ」はカ変「来」。「し」は過去の「き」。

 

本歌: 春されば もずの草ぐき 見えずとも 我は見やらむ 君があたりをば(万葉集、詠み人知らず)

春になると もずが草に隠れて 見えなくなるとしても 私は見やろう あなたの家の辺りを

 

万葉集では、あなたの家の方を見よう、となっているが、

千載集では、題「契後隠恋」により、約束したのに相手が姿を隠してしまって探せない、とする。季節も変えてある。

 

『平家』では、当代随一の歌人として、平忠常との交流が語られる、が、それとは別に、感じることがある。

専門の歌人なので仕方がないのかもしれないが、京都に居ながらにして、想像で歌を詠んでいる。技巧ばかりであって、実際の経験と真情が足りないのではないか、と、正岡子規グループならずとも言いたくはなる。妻を思う歌(3,5)や親を思う歌(7)には真情が感じられる。14などは言葉遊びでしかないのでは? 10が最高傑作だそうだが、どうなのか? 職業歌人になってしまって庶民(平民)の生活感覚から遊離している、ということか? もちろん、大衆に迎合しさえすれば良いのでもない。(むしろ貴族の歌人として、権力者たちの中で詠んだ歌だから、中身がない、ということになるのか?)諸君はどう考えるか?

 石川啄木『喰らふべき詩』

 中野重治の詩『歌』

 北村透谷『徳川時代の平民的理想』『日本文学史骨』『当世文学の潮模様』『明治文学管見』『漫罵』『思想の聖殿』

 夏目漱石『文展と芸術』

 正岡子規『歌よみに与ふる書』

伊藤左千夫『叫びと話』

内村鑑三『何ゆえに大文学は出でざるか』

など参照