James Setouchi

2024.8.24  古今和歌集

 

古今集1

・古今集は、900年頃、醍醐天皇の命令で紀貫之らが編集勅撰和歌集の第一となり、その後の八代集や二十一代集のモデルとなった。正岡子規が全否定するまで、日本の和歌の伝統の出発点とされてきた。今でも愛読者は多い。

仮名序を紀貫之が書いた。真名序(漢文)を紀淑望(きのよしもち)が書いた。仮名序は。「やまとうたは・・」で始まり、人間の心から生まれる、効用がある、天地開闢(かいびゃく)からある、などなどと権威付け、貫之以前の六歌仙(在原業平や小野小町ら)を批評する。遣唐使を廃止し唐風文化から国風文化への転換点に紀貫之は立ち、文化のパイオニアとして大いに励んだわけだ。

 

ふる年に春たちける日によめる

年の内に 春は来にけり ひととせを去年(こぞ)とやいはむ 今年とやいはむ

                             在原元方

暦のいたずらでまだ年内なのに立春が来てしまった いろいろあった一年を「去年」と言おうか、「今年」と言おうか。

 

いろいろあった一年間を、「もはや去年になった、これからは新しい一年だ」と言おうか、「今年も色々あった、来年はいい年にしよう」と言おうか。年が改まるのは大事なことだった。また、理知的な歌と言える。初句、第5句は字余り。

 

明治の正岡子規はこの歌をあえてこきおろしてみせたが、一年の季節の循環を観念の世界で再構成する、平安貴族の美意識(価値観)を、正岡子規は分かっていなかったに違いない。古今集は、この歌を冒頭に置き、春夏秋冬の部立てを構成する。

 

 

古今集2

2 春立ちける日よめる

袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風や とくらむ 紀貫之

去年の夏川遊びに出かけ(または泉で)袖が水に濡れて 手ですくった水が 冬の間氷っていたのを、今日立春の暖かい風が 融かしているだろうか

 

ひつ:四段。ひたる、ぬれる。

らむ:現在推量。歌い手は家にいて、川(泉)の様子を想像している。

むすぶ:水を手ですくう。「とく」と縁語。

立春の喜びを歌う。『礼記(らいき)』「月令」に「孟春の日、東風 凍を解く」とある。

 

 

 

古今集3

17題知らず

春日野は 今日は な焼きそ 若草の つまもこもれり 我もこもれり 詠み人知らず

この奈良の春日野は、今日は野焼きをするな。(若草のように美しい)妻もこもっているし、私もこもっているから。

 

春日野:奈良の春日大社あたりの野原。春には野焼きをする。

な・・そ:・・するな。「な」は副詞。「そ」は終助詞。途中には連用形が入る。

若草の:枕詞。訳さなくてよい。「春日野」の縁語。

こもれり:ラ行四段「こもる」の已然形+存続「り」。こもっている。

つま:男から見て妻、女から見て夫。

男女が野原に隠れて会っているので、今日は野焼きをするな。『伊勢』12段では、歌い手は女性で、「つま」は男性。

 

詠み人知らず:作者不明。①朝敵だから名前をあえて伏せた場合と、②古来祭礼などで歌われてきた歌で、作者がわからなくなっている場合、などがある。②だとすると成立時代は非常に古いことに。

 

 

古今集4

27西大寺のほとりの柳をよめる

あさみどり 糸よりかけて 白露を 玉にもぬける 春の柳か 僧正遍照(そうじゃうへんぜう)

浅緑色の糸をよって(枝に)かけた柳の枝。それが白露の玉を貫いている、そんな春の柳であることだなあ。

 

春の柳の枝を薄緑色の糸に見立てた。枝に露が水晶の玉のように美しく並んでいる。

 

僧正:寺の僧のポストで最上位。

僧正遍照:僧正遍昭とも。桓武天皇の孫。六歌仙の一人。花山寺を創設。紀貫之は、僧正遍照について、「歌の様は得たれどもまこと少なし」と批評した。

西大寺:ここは大和西大寺ではなく、京都(平安京)に作ってあった西大寺。羅城門の外に作った。現存しない。今ある東寺と対になる寺。そのエリアは水害が多く市街地として発展しなかった。

か:ここは詠嘆の終助詞。「かな」と同じ。

 

古今集5

古今集5

41春の夜、梅の花をよめる

春の夜の闇はあやなし 梅の花 色こそ見えね 香やは隠るる 凡河内躬恒(おおしこうちのみつね。おほしかふしのみつね)

春の夜の闇は わけがわからない。梅の花は 色合いこそ(闇が隠すので)見えないが、梅の香りは(闇でも)どうしてかくれようか、いや、隠れはしない。闇の中にはっきりと梅は香り、そこに梅があるとわかるのだ。

 

あやなし:わけがわからない。道理が通らない。

色こそ見えね:色こそ見えないが。「こそ」~已然形で文が下に続く場合、「が」「けれども」を補って訳す。

やは:反語。「隠るる」はラ行下二段「隠る」の連体形結び。

春の夜が梅を隠すのはわけがわからない、と擬人化して語る。

梅の花は闇に姿は隠れても、濃厚な香りで実在が知られる、と、闇の中の梅の香りを詠んだ。

理知的な技巧。

梅花:万葉時代は花と言えば外国渡来の梅。平安からは桜。しかしここでは梅の花を歌う。梅は後世梅干しのために大量に栽培されるに至るが、当時観賞用に植えたものも多い。中国では高貴な花の一つ

 

凡河内躬恒:古今集編者の一人。

 

 

古今集6

53渚の院にてよめる

世の中に たえて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし 在原業平

世の中に全く桜がなかったとしたら、春の人びとの心は、のどかだったろうに。(桜があるので人の心は千々に乱れるのだ)

 

渚の院:惟喬(これたか)の親王(文徳天皇の皇子)の別邸。大阪の枚方(ひらかた)にあった。淀川に接する。

せば・・まし:反実仮想。「せ」は過去の助動詞「き」の未然形。その上は連用形で、「なかり」は形容詞「なし」の連用形。「ば」は接続助詞。「まし」は反実仮想の助動詞。「まし」の上は必ず未然形。「のどけから」は形容詞「のどけし」の未然形。「もし・・だったら、・・だったろうに(現実にはそうではない)」

 

在原業平:六歌仙の一人。紀貫之は、「その心あまりて、詞たらず」と批評した。業平は平城天皇、桓武天皇の孫。臣籍降下し在原氏となった。『伊勢』主人公とみなされる。

 

 

古今集7

84桜の花のちるをよめる

ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ 紀友則

(久しい彼方から来る)光がのどやかな 春の日なのに、どうして 落ち着いた心もなく 桜の花は 散るのだろうか。

 

ひさかたの:枕詞。訳さなくてよい。

しづこころ:落ち着いた心。「しづこころ」とは何か? で本が書けるだろう。

らむ:ここは現在の原因推量。「どうして・・・ているのだろう」

眼前に桜が散る。それを見て「どうして・・」と問いかけている。

 

このように、桜が咲く→桜が散る、と季節の変化を歌の配列で示している。

 

紀友則:編者の一人。完成以前に没した。紀貫之の従兄弟。

 

 

古今集8

113題知らず

花の色は 移りにけりな いたづらに わが身よにふる ながめせしまに 小野小町

桜の花の色は 色あせてしまったことだなあ 空しく 我が身が世に時を過ごし 降る長雨を 眺めながら ぼんやりと思いにふった間に(私の容色も衰えてしまったよ)

 

な:詠嘆の終助詞。

いたづらなり:形容動詞

よ:世の中、あるいは男女の仲。

ふる:雨が「降る」と世に「経(ふ)る」の掛詞。「経る」ではなく「古る」と見る解釈もある。その場合「年を取って時代遅れになる」意か。

ながめ:「長雨」と「詠(なが)め」の掛詞。「詠む」とは、ぼんやりとあたりを眺めながら物思いにふけること。「吟(なが)む」とは別の言葉。

 

花の色があせるのと自分の容色が衰えるのとを含意。

 

小野小町:六歌仙の一人。「あはれなるやうにて、つよからず」と紀貫之は批評した。小野小町は美女、恋多き女で有名。各種の伝説が語られている。卒塔婆小町(そとばこまち)で検索してみよう。

 

そのほかの小町の歌:

552思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを

  あの人を思いながら寝たからあの人が夢に見えたのだろうか 夢だと知っていたなら夢から覚めなかったのに(「見えつらむ」は「見ゆ」+「つ」+「らむ」。後半は「せば」「まし」の反実仮想で届かぬ片想いを歌う)

553うたた寝に恋しき人を見てしより 夢てふものは 頼みそめてき

  うたたねに恋しい人の姿を夢に見てしまったときから 夢というものは 頼みにし始めてしまったことだ(夢でしか会えない。せめて夢で会いたい。「見てし」は「見る」+「つ」+「き」。「てふ」はチョウと読む。「そめてき」は「初む」+「つ」+「き」。)

554いとせめて 恋しきときは うばたまの夜の衣を 返してぞ 着る

  大層胸が苦しく恋しいときは、夜着を裏返して着る。そうすれば夢で会えると言われているから。(「うばたまの」は「夜」にかかる枕詞。)

古代人においては、夢に出てくるとは、実際に魂を飛ばして会いに来る、ということだった。現実に会えない相手だから、せめて夢で会いたい、としている。

 

古今集9

169秋立つ日よめる

秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる 藤原敏行

秋が来たと目にはっきりとは見えないけれども 風の音が秋めいているので 自然と気が付いてしまった

 

視覚的にはまだ紅葉していないので秋が来たとわからに。が、風の音が秋めいているので、自然と気が付いた。立春の歌も春風の歌とした。ここでは立秋の歌を秋風の歌とした。中国の漢詩にも秋風を歌うものがある。繊細な感覚。

 

さやかなり:はっきりと

ね:打消「ず」の已然形。

おどろかれぬる:「おどろく」は「はっとする」、「れ」は自発で「自然と・・」と訳する。「ぬ」は完了。

 

 

古今集10

323冬の歌とてよめる

雪降れば 冬こもりせる 草も木も 春に知られぬ 花ぞ咲きける 紀貫之

雪が降ると、冬ごもりしていた草も木も 春には知ることが出来ない雪の花が 咲いたことだ

 

冬なので花は咲いていないはずだが、雪を花に見立てて「花が咲いた」と言った。「見立て」は古今集がよく使う技法。

「る」は存続の「り」。

「ぬ」は打消の「ず」

 

 

古今集11

343 題知らず

わが君は 千代に八千代に さざれ石の いはほとなりて こけのむすまで 詠み人知らず

私の君(恋人?)は、千代に八千代に長生きしますように。ちいさな細石が 長い年月を経て 巨大な岩石となって そこに苔が生えるほどの 長い時間の寿命がありますように。

 

「君」は天皇とは限らない。

小石が成長して巨岩になった話は、中国の『酉陽雑俎(ゆうようざっそ)』にある。

「君が代」のもととなった歌。

 

 

古今集12

724 題知らず

みちのくのしのぶもぢずり 誰ゆゑに乱れむと思ふ 我ならなくに 河原左大臣源融

                        (みなもとのとおる)

東国のしのぶもじずりの模様のように、あなた以外の誰のせいで心乱れようと思うのか、あなた以外の誰かのせいで心乱れる私ではないのに。

 

みちのく:東国

しのぶもぢずり:福島県信夫(しのぶ)郡の特産の布に忍草の色素を乱れ染めにする。「忍ぶ恋」を連想させる。また「乱れ」を連想させる。

「みちのくの・・しのぶもぢずり」は、意味的に「乱れ」を導き出す序詞(じょことば)。

「ならなくに」:断定「なり」未然形「なら」+打消「ず」未然形「な」+接尾辞「く」+接続助詞「に」

この歌は『伊勢』には「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし 我ならなくに」で載っている。そうすると「乱れ染め」と「乱れ初め」の掛詞になる。

 

源融:嵯峨天皇の皇子。六条河原に巨大な邸宅「河原院」を建てた。そこには幽霊が出るということになった。

 

古今集13

五節の舞姫を見てよめる

天つ風 雲の通ひ路 吹きとぢよ 乙女の姿 しばし とどめむ 良岑宗(よしみねのむねさだ)

天の風よ 雲の間の通い路を 吹いて閉じよ。天女たちの姿を(天上に戻さず)しばし地上にとどめよう。

 

五節の舞姫」旧暦11月に宮中で行う豊明の節会(とよおあかりのせちえ)=新嘗祭(しんじょうさい)の舞の少女。四、五人いる。天武天皇が吉野山中で天女の舞を見て創設した。

美しい舞姫たちを天女に喩え、天上に帰さないように、としゃれて見せたに違いない。良岑宗貞は、僧正遍照のこと。素性法師の親でもある。

お坊さんがどうしてこんな煩悩に満ちた歌を歌うのか? と前から疑問だった。歌は歌として実生活の道徳とは別に人情の機微を読み込めばいいのだ、と国学者は主張するが・・

が、出家前の歌なら仕方が無いのだろうか。桓武天皇の孫という最高級のランクにいた人で、新嘗祭のパーティーで気の利いた歌を歌ってみせた、というぐらいか?

 

 

古今集14

933題知らず

世の中は何か常なる 飛鳥川 昨日の淵ぞ 今日は瀬になる よみ人知らず

世の中では何が常住永遠であるのか、そんなものはなく、全て無常だ。あの飛鳥川は、昨日水の深い淵だったものが、今日は流れの速い瀬になる。明日はどうなるかわからない。

 

飛鳥川:奈良盆地にある川。水流が変わりやすい。「明日」と掛詞。「明日」「昨日」「今日」は縁語。

諸行無常の仏教の教えを歌い込んだ歌。

 

仏教は日本に定着しているが、当時はまだ新しい、しかし非常に説得力のある、大陸渡来の新思想だったに違いない。

なお、仏教という高度な思想が入ってきて、それに呼応する形でいわゆる神社神道も整備されていったに違いない。例えば大寺院、僧職のヒエラルヒー、人格的な仏・菩薩に呼応して、大神宮、神職のヒエラルヒー、人格的な神々が整理されていったに違いない。「神道が土着で仏教が新来」という図式は、廃仏毀釈にならされてしまった後世の思い込みだろう。(暴風や山や巨岩や滝そのものを神聖な何か神聖なものと見る感覚はもっと昔からあっただろう。その感覚は世界中にあったはず。)各種宗教研究書を御覧下さい。

 

 

古今集15

983 題知らず

わが庵(いほ)は都の辰巳(たつみ)しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり 喜撰法師

私の草庵は都の東南にある。このようにちゃんと住んでいる。それなのに、世を憂鬱なものと捉えて宇治に住む人だと、世間の人は言うそうだ。

 

辰巳:東南。

しかぞ住む:こうして住む。「ぞ」「住む」係り結び。(「しか」を「鹿」の掛詞とする意見もある。そうだとすると「鹿」「辰」「巳」は縁語)

宇治:都の東南にある。「憂し」と掛詞。

なり:伝聞推定の「なり」と解釈して「・・だそうだ」と訳す。

 

自分は宇治で出家遁世の生活を楽しんでいるが、世間の人は私を見て世を憂きものと見て厭世的になったに違いないと誤解しているようだよ、と世間の人の誤解を楽しんでいる歌であろうか。

 

喜撰法師:六歌仙の一人。紀貫之は「喜撰は詞かすかにして、始め終はり確かならず」と批評した。

 

古今集16

1995東歌 常陸(ひたち)の歌

筑波嶺(つくばね)の このもかのもに 蔭はあれど 君がみかげに ますかげはなし

常陸国筑波山の こちらの面、あちらの面に 木の陰はあるが、あなたの御庇護にまさる蔭はない。

 

筑波嶺:筑波山。関東平野はだだっ広く、目印も無い。遙か遠方に筑波山が見える。筑波山は富士山と違い親しみやすい(登りやすい)山だと言われる。(常陸国は京都から見ると東国だが、鹿島神宮や香取神宮がある。実は豊かで文化の蓄積もあったかも。後世だが、親鸞聖人は関東に長く住んだのは、そこの文書を見たかったからもしれない、とする見方がある。新井白石はタカアマガハラは常陸だったと言っている。)『古事記』でもヤマトタケルが筑波で和歌を詠んだ説話が残っている。

も:面。表。

蔭:休憩する木陰。あるいは、男女が逢い引きする蔭。

君:恋人か主君か神様か。

 

古今集17

古今集と新古今集を比べて、みなさんは、どちらが好みだろうか。

あるいは、

伊藤左千夫 牛飼ひが歌よむときに世の中の新しき歌大いにおこる

与謝野晶子 柔肌の熱き血潮に触れもみで寂しからずや道を説く君

石川啄木  やはらかに柳あをめる北上の岸辺目見ゆ泣けとごとくに

斎藤茂吉  死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる

などと比べて、いかがですか?

 

さらに、

石川啄木は『弓町より 喰らふべき詩』で、真に歌うべき詩歌とは何か?を問うた。

中野重治は、「おまえは歌うな おまえは赤ままの花やとんぼの羽を歌うな 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな・・・」と言った(「歌」)。

では、何を歌うべきなのか? 歌うべき(表現すべき)コンテンツとは何か?

ぜひこの問いを持ってお臨みください。

 

 蓮田善明(日本浪曼派)は次のように言った。(『詩のための雑感』:『鴎外の方法』所収)

「詩は厳密には建設や希求ですらない。命令である。小くとも命令を絶対主義とする。命ぜられて、その命令の息吹きを受けてその身凍る時、透谷の所謂万物の声を発する。詩は運命的である。詩人は何人よりも詩人自ら詩人として運命づけられてあるかの如く感ずる。故に詩人は為るものでなく生れるものであると言はれる。詩人は悲劇的である。」

「山上憶良はわれらが古典の日に既に小説家の目をもった最初の人である。

彼が公宴の席に

 憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむその子の母も吾を待つらむぞ

と訣別して帰る時、彼はまことに私情のモラルを立てたのである。彼はそれ故最初に道徳を歌ひ衣食生活を歌った。彼の汚らしい「貧窮問答歌」をはじめ人性の歌が近代小説を愛する徒に愛重される所以である。彼は遣唐小録として渡唐し、儒仏老の知性を深刻豊富に学び得た。」

・・・→山上憶良の「貧窮問答歌」を中学校で学習し、庶民の生活の苦しみを歌う、よいものと教えられただろうが、蓮田善明は、「汚らしい」と言ってしまうのだ

 

 蓮田は、若き三島由紀夫を見いだした人であり、本人は終戦時(終戦後数日にして)上官を殺害して自決した人。推奨しているわけではない。「貧窮問答歌」を歌うべきか、歌うべきでないか、を問うている。古今集仮名序と比較してみよう。つまり、歌うべき歌とは何か? さらには、歌とは何か? を問うているのだ。

 

なお、蓮田は、かの広島高師の出身。つまり広島大学教育学部のOBなのだ。こういう人がエリート教育界のエリートになったとすれば・・・!?