James Setouchi
『江は流れず 小説日清戦争』陳舜臣(ちんしゅんしん)中公文庫 上中下
1 著者紹介
1924年神戸生まれ。大阪外語印度語部卒業。同校助手や家業の貿易業を経て、作家に。1961年『枯草の根』により江戸川乱歩賞受賞。1969年『青玉獅子香炉』により直木賞。1971年『実録アヘン戦争』により毎日出版文化賞。1976年『敦煌(とんこう)の旅』により大佛次郎(おさらぎじろう)賞。1992年『諸葛孔明(しょかつこうめい)』により吉川英治文学賞。など、著書・受賞多数。日本芸術院会員。2015年没。 (本の著者紹介を参考にした。)
陳舜臣は先祖が中国大陸→台湾と移住し、自身は神戸で生まれ台湾に住んだこともあり1990年に日本国籍を取得。学識は豊かで、国境を越えた風通しのいい視野を持っており、大変尊敬されている人だ。
2 作品紹介(もとは昭和52年から連載、56年=1981年中央公論社刊)
日清戦争の時代、壬午(じんご)事変(1882年)から下関条約(1995年)までを描く歴史小説。朝鮮・清の内部事情を詳(くわ)しく描いている。『坂の上の雲』に書いていないこともたくさん書いてある。ただし、登場人物が多いので、歴史についての基本的な知識があった方がよい。日本史の近代史を一応学習した人、歴史の好きな人なら読める。大学生はぜひ。
朝鮮の人々の動きについて詳しい。高校の日本史の時間に学んだところがさらに詳しく書いてあるので面白い。
例えば、金玉均(きんぎょくきん)は朝鮮の独立・近代化を志した人で、日本の勢力と組んで甲申(こうしん)事変(1884年)を起こすが失敗したことは日本史の時間に学習する。その後日本に亡命するが日本政府としても扱いに困り、小笠原・札幌へと移され、金に困り書画を売って生活費に充(あ)て壮士(右翼)団体とも関係を持つが、最後は欺(あざむ)かれ上海で暗殺され、残酷な辱(はずかし)めの刑罰を受けた(中p.153)。家族もひどい目に遭(あ)った。この後日談は日本史の時間には学習しない。
また、例えば、東学党の乱は東学の信者が組織的に立ち上がったのではなく、役人の不正・汚職に対し民衆が立ち上がった、その際住民代表には義気の強い東学信者が選ばれた、結果として彼らは民乱を横につなぎ指導することとなったのだ。(中p.170~p.171)軍事行動に不熱心な北接派(崔時亨(さいじこう)ら)と熱心な南接派(全琫準(ぜんほうじゅん)ら)とが対立するが結局は日本の軍事行動に対する反発でまとまった。(下p.172~p.180)
清(しん)を背負う李鴻章(りこうしょう)は軍費を西太后の頥和園(いわえん)造営に流用され(上p.340)北洋艦隊を強化できないまま日清戦争に引きずり込まれ、敗退する。下関条約調印に訪れた際も暴漢に襲われてしまう。(下p.300)李鴻章から見れば歯がゆいことの連続だったろう。そのもとで若き袁世凱(えんせいがい)が朝鮮問題を担当する。一連の事態を収拾できなかったが、老いた李鴻章と違い、若き袁世凱はこれから自分の軍隊を作っていくだろうことが示唆(しさ)される(下p.332)。他方、若き孫文も登場する(下p.17およびp.337)。が、それらは次の物語になる。
一方の主人公は日本人たちだ。竹添公使は金玉均を操(あやつ)り捨てる(中p.72)。伊藤総理や大鳥公使は日清開戦に積極的ではなかったが、川上参謀次長や陸奥外相、また在野の壮士(右翼)の強硬論に引きずられる(中p.245他)。福沢諭吉は脱亜入欧(だつあにゅうおう)を唱える。朝鮮王宮占領(下p.60)や旅順虐殺もあった。(下p.196~)『坂の上の雲』には書いていないことだ。日本平和会(1989年結成)を作った北村透谷にも触れてほしかった。
もちろんこれは小説(物語)なので、真実の歴史がどうであったかについてはさらなる研究が必要だ。が、『坂の上の雲』を相対化しうる本格歴史小説としてここに紹介しておきたい。
3 陳舜臣のその他の本
・『阿片戦争』十代の時読んだ。清朝末期、イギリスの圧力に対し漢族の欽差大臣(きんさだいじん)林則徐、満州人高官たち、在野の人々はどう動いたか。
・『耶律楚材(やりつそざい)』耶律楚材は契丹(きったん)人だが漢文化の教養を有しモンゴルのチンギス・ハンやオゴタイ・ハンに仕えた。
・『珊瑚(さんご)の枕 風雲少林寺』中国少林寺を脱走した陳五官は江戸初期の日本にやってきた。そこで秘宝をめぐる争いに巻き込まれる。
・『儒教三千年』中国儒教三千年史を語る。文庫本一冊でコンパクト。