James Setoushi
司馬遼太郎『翔ぶが如く』文春文庫(全10巻)
1 作者 司馬遼太郎:1923(大正12)年大阪生まれ。大阪外国語学校蒙古語部(のち大阪外大、現大阪大学外国語学部)卒。『梟の城』『竜馬がゆく』『燃えよ剣』(新撰組の土方歳三)『国盗り物語』『坂の上の雲』『世に棲む日々』(長州の吉田松陰と高杉晋作)『翔ぶが如く』『花神』(長州の大村益次郎)『関ヶ原』『功名が辻』『峠』(長岡の河井継之助)『菜の花の沖』『街道をゆく』『この国のかたち』『風塵抄』など(司馬遼太郎記念館の年譜他から。)
2 『翔ぶが如く』1972(昭和47)年~1976(昭和51)年、毎日新聞に連載。
(1)内容 明治初期、西南戦争(明治10年)の終結までを、薩摩の西郷隆盛グループと、大久保利通、川路利良を軸に描く。
(2)登場人物(多数だが、何人か)
西郷隆盛:薩摩。倒幕の英傑。あるとき頭を強打したためか、西南戦争時には戦略も無く人に担がれるだけで終わった、と司馬は描く。但し人格的吸引力はすごい。大西郷とは何だったか? それはすでに虚像に過ぎなかった、と司馬は一応の結論を出しているようにも見える。が、西郷的なる何か大切なものへの愛惜があるようにも見える。島津以来数百年の無鉄砲な尚武の気風は、近代合理主義の前に消滅すべきだ。が、愛惜すべきものとは何か? それは、西郷の持つ、人への義理堅さと優しさではなかったか? 西郷のモットーは「敬天愛人」である。司馬はあまり明示しないが。
桐野利秋:薩摩。西郷の側近。幕末の暗殺者・人斬り半次郎。闘将だが戦略が無い、と司馬は批判する。
大山綱良:薩摩。島津久光の腹心で鹿児島県令。県庁の財政を挙げて西郷軍を援助する。
大久保利通:薩摩。西郷と共に幕府を倒し、今は太政官のトップ。近代国家建設を推進。
川路利良:薩摩。フランスに学び近代的警察組織を作った。川路の暗躍が西南戦争の引き金になった可能性を司馬は示唆する。
木戸孝允(たかよし):長州。桂小五郎。倒幕の立役者で長州閥のトップ。
山県有朋(ありとも):長州。奇兵隊出身で陸軍の長。
川村純義:薩摩。海軍の長。もと西郷にかわいがられたが、のち袂を分かった。
江藤新平:佐賀。佐賀の乱を起こし敗退。
太田黒伴雄:肥後。熊本神風連の乱を起こし敗退。第6巻に詳しい。神慮に従い結果を問わない、心情倫理の典型のように司馬は描く。西郷軍の縮小版と言うべきか?
前原一誠:長州。萩の乱を起こし敗退。玉木文之進(ぶんのしん)なども出てくる。
宮崎車之助:筑前秋月(黒田藩の支藩)。秋月の乱を起こし敗退。
谷干城(たてき):土佐。熊本鎮台で西郷軍を迎え撃つ。
山川浩:会津。会津藩家老の子だが、維新後冷遇され、西南戦争では政府軍に参加。「薩摩人みよや東(あづま)の丈夫(ますらを)が提(さ)げ佩(は)く太刀の利(と)きか鈍きか」の歌がある。(第9巻)
宮崎八郎:肥後。宮崎滔天の兄。民権論社で、ルソーを信奉していた。西郷軍に参加。
増田宋太郎:大分の中津の人。「人民天賦の権」を語ったという。西郷軍に参加。
(3)コメントをいくつか(どこまで史実かは分からない。あくまでも物語として、という前提での議論だが)
司馬の描く西郷軍は、その後の大日本帝国軍を連想させる。西郷軍は特に末期には兵員、武器、弾薬、通信・輸送手段、物資、資金などのすべてにおいて欠乏し、戦略も戦術もなく、思考停止に陥り、いたずらに精神主義のみで闘い、悲惨な最期を遂げた。昭和の戦争において各所で同様のことがあっただろうし、もし本土決戦を敢行していたら、日本列島の各所でこの事態が起こっていただろう。そう思えばぞっとする。司馬はこのことを考えながら書いていたのだろうか?
少しマクロな視点で見れば、薩長は幕府を倒し明治維新政府を作ったが、不平士族は残存していた。これが一連の内乱を経て消滅することで、明治政府は中央集権的な体制の基盤を整えたとも言えるのだろう。だが、なぜ内戦が必要だったのか? 大久保や川路は実力のある士族たちを登用してうまく生かすことに失敗したとも言える。戊辰戦争以下すべての内戦は(対外戦争も)本当は避けられたのではないか? と問うてみたい。
西郷軍には、ルソー主義の宮崎八郎や増田宋太郎も参加した。また阿蘇一円では広範な農民一揆が起きた。これらの理念がもっと生かされていれば、という可能性を司馬は示唆する。同時に、薩摩の士族たちにはそれば理解できなかった、と司馬はする。では、宮崎や増田たちは西郷らに助力すべきではなく、板垣退助たちのように議会と言論に訴えるべきだった、ということか。