James Setouchi

 

小松左京『日本沈没』角川文庫(上・下)

 

1 小松左京:1931年~2011年。大阪生まれ、14才で終戦、旧制三高を経て京大文学部(イタリア文学)卒。幾多の職を経て作家に。『日本沈没』『首都消失』など。(文庫カバーの著者紹介などから)

 

2 『日本沈没』:1973(昭和48)年発表。ベストセラー。何度か映画や漫画にもなった。日本列島が沈没するというSF。

 

 あなたは、自分を支えてくれている土台が消失したとき、どう生きていこうとするのだろうか?

 

 時代設定は1970年代の日本。文字通り日本列島が沈没してしまう。いち早くそれを見抜いた科学者、対策を練る政府、1億1千万人(当時の人口)を全員海外に脱出させることが出来るのか、次々と噴火と地震と津波が起こる、加速する大災害、大量死する日本人たち、それでも人を救おうと粉骨砕身する人びと(中心人物の一人小野寺がその一人)、国際社会の対応、など問題意識は社会的な広がりを持つ。防災の観点からも勉強になる。

 

 1970年代に書かれた小説で、プレートテクトニクス理論を使っている。(プレートという言葉はなぜかあまり出てこないが。)地下のマントル対流が陸地を動かす。同時に、マントル対流のパターンが急激に変化することがある。今が未曾有の大変化期だ。これに、トンネル効果が相乗して、日本列島は真っ二つに引き裂かれて海底に水没する。当時の地震学の教科書に照らし、どこまでが通説通りでどこからが小松左京独自の虚構なのか、を私は知らない。現代の最新の科学の治験から見れば、本作品の理論の正否はどうであろうか? 角川文庫版には、日本地震学会の山岡耕春氏のコメント(「『日本沈没』後の科学技術の進歩と治験の蓄積」2020年3月)がついている。「内閣府防災情報のページ みんなで減災」には「映画『日本沈没』と地球科学に関するQ&Aコーナー」(東京大学)がある。参考になるかも知れない。

 

 調査や救出に深海潜水艇や自衛隊の乗り物(護衛艦など)が多く出てくる。好きな人には嬉しい小説だ。

 

 2011年後の現代なら、原発事故をもっと書き込むはずだ。本作には茨城県東海村の原発(1966年稼働)付近からの核燃料の〝灰〟の流出による海水汚染の調査が出てくる(下巻331頁)。1973年執筆当時ころから70年代、80年代にかけて日本列島に原発はどんどん稼働し始める。(福井県美浜第一と敦賀が1970年稼働、福島県第一が1971年稼働など。)東日本大震災と福島原発事故は2011年。

 

 当時は経済が右肩上がりで、供給力が強く壊れたものもすぐ直せるが、それを圧倒的に上回る力が全てを破壊してしまう、という構図になっている。今は少し違う。経済が右肩上がりではないので、壊れたらすぐ作り直すというわけにはいかない。また、当時は東西冷戦時代だ。アメリカはソ連をにらんでいる。ソ連と中国は対立している。今はこの枠組みは異なる。 

 

 日本人とは何か、も問われている。敗戦後懸命に働いて復興した勤勉な日本人、それはまた美しい日本列島あっての日本人だったが、日本列島を失っても、日本人であり続けることが出来るのか? 難民として外国に渡り、苦難の中でアイデンティティを失ってしまうのか? 愛する日本列島と共に沈むことを選択した者もいる。

 

 巻末解説の小松実盛氏(小松左京の子)によれば、続編(第二部)の構想が当初からあった。日本列島沈没後外国に移住した7千万人のうち半分は苦難の中で命を落とす。だが、「それを書くことは、あまりに辛いことだ」と小松左京は語り、執筆は難渋したそうだ(下巻389頁)。(2006年に谷甲州氏との共著で続編(第二部)は出版された。)阪神大震災(1995年1月)・東日本大震災(2011年3月)(この小説が予見したかのような事態となった)に小松左京は心を痛め、2011年夏に亡くなった。この時「ユートピア」への願いを口にした、と小松実盛氏は言う。(下巻402頁)

 

 小松左京は昭和一ケタ世代であり、14才で終戦(敗戦)を迎えた。空襲や食糧難の中で苦しんだ経験が作品の描写の中に生きている。戦後の廃墟から助け合って再起した日本人だから、何があっても再起する、と小松左京は願っていたかも知れない。