James Setouchi

 

 原民喜『夏の花』

 

1 原民喜1905(明治38)~1951(昭和26)

 被爆詩人。明治38年広島市生まれ。室生犀星、ヴェルレーヌ、ロシア文学を愛読、宇野浩二に傾倒。慶応大学予科でトルストイやギリシア哲学に親しみ、またダダイズム的傾向を強める。左翼運動にも関心。慶応大英文科に進む。昭和8年永井貞恵と結婚。昼夜逆転の生活で特高警察の取り調べを受けたことも。昭和14年妻が発病。一時千葉県の船橋中学の英語教師や朝日映画の嘱託となる。昭和19年妻が没する。昭和20年広島に疎開。8月被爆したが助かる。秋から冬にかけ『夏の花』を書くが、GHQの検閲下で発表が遅れる。昭和21年上京、慶応大の夜間中学の教師となる。『三田文学』編集に携わる。昭和22年『夏の花』を『三田文学』に発表。『廃墟から』など。夜間中学を退職。昭和24年『壊滅の序曲』発表。昭和25年広島に帰郷。昭和26年東京で鉄道自殺。享年46。(集団読書用テキスト年譜から)

 

2 『夏の花』:被爆前の『壊滅への序曲』、被爆時の『夏の花』、被爆後の『廃墟から』をあわせて読みたい。出てくる人々を次に記す。(悲惨な描写があります。)(各種文庫で買える。)

 

 「私」:妻の墓参をする。その数日後、爆心地近くで原子爆弾に襲われる。トイレにいたため死なずにすんだが、被爆直後のヒロシマの惨状を目の当たりにする。「妻」:故人。「私」の妻は亡くなったばかりで、この夏が新盆(1年目のお盆)だ。「妹」:「私」に「やられなかった、やられなかったの、大丈夫」と聞く。家はなぜか無事だった。妹は階段の下で助かった。「シャツ一枚の男」:工場の人。「K」:事務室の男。「私」と一緒に川を目指すは、途中ではぐれる。「顔を血だらけにした女」:泣きながら歩いてくる。「老女」:「家が焼ける、家が焼ける」と泣きわめいている。「避難者たち」:栄橋のたもとにいた。「中年の婦人」:魂の抜け果てた顔でうずくまっていた。「学徒の一塊」:女学生たち。かえって元気そうにしゃべりあっていた。「長兄」:シャツ一枚で、片手にビール瓶を持っていた。被爆時は事務室にいた。兄嫁の疎開先である廿日市を経て八幡村へ行き荷馬車をやとってきた。その荷馬車に乗って「私」たちは八幡村へ逃げることに。「川を流される少女」:「助けてえ」と叫んでいる。「私」は助ける。「二番目の兄」:家内と女中と隣家の老人を助ける。「兄嫁」:別れた子どものことを案じている。「女中」:手が痛くて子どもを抱えきれないから早く来てくれと言う。赤ん坊を抱えている時被爆。女の子とはぐれる。河原に辿り着く。手がもぎ取られるほど痛い。だんだんと膨れ上がってくる。やがてウジがわき、1ヶ月あまり後死亡。「言語に絶する人々の群」:男か女かも分からない。火傷で横たわっている。「水を少し飲ませて下さい」と言う。「裸体の少年」:水につかって死んでいた。「二人の女」:顔が膨張している。樹の所にある布団が自分のものだから持って来てくれないかと頼む。「兵士」:「お湯を飲ましてくれ」「死んだ方がましさ」と言う。「黒焦げの大頭」:給湯所でお湯を飲んでいる男。「重傷兵」:川の水を飲みふけっている。「水をくれ、水をくれと言う人々」:あちこちにいる。「傷ついた女学生」:三四人、公園で横臥している。「火はこちらへ燃えてきそうですか」「お母さん、お父さん」と言う。「若者」:断末魔のうめき声が八方にこだまし走り回る。「大きな兵隊」:しばらく「私」と同行するが歩けないから置き去りにしてくれと頼む。「小さな姪」:東照宮の避難所にいた。女中とはぐれたが余所の人について逃げ、今母親と再会できた。「巡査」:負傷者たちの確認をする。「火傷の娘」:泣きわめく。「警防団の服装をした男」:「だれか私を助けて下さい…」と切れ切れに訴える。「境内の避難所で隣になった男」:中国ビルの7階で被爆。「幹部候補生のバンドをした青年」:血まみれでやってくる。「女学生二人」:水を求めてうめいている。朝死亡。「モンペ姿の夫人」:旅装のまま遭難。ぐったりと膝を伸ばした。朝死亡。「次兄の家の長男と末の息子」:市内の学校に行っていた。文彦の死体は西練兵場寄りの空き地にあった。もう一人の甥は助かったが、白い液体を吐き、頭髪が抜け、鼻血が出始めた。「練兵場でのラッパ」:なぜか意気揚々と鳴っている。「転覆した電車や馬の死骸」:国泰寺、浅野図書館のあたりで目撃。「N」:汽車がトンネルにいるとき被爆。女学校に勤める妻を探しに行くが、どこにも妻の死骸はなかった。

他にも死体や重傷者が山ほど出てくる。

 

3 いくつかの視点:(1)ヒロシマ、ナガサキの原爆の悲惨を見る。(2)原民喜という文学者(作家)の個性を見る。(3)大災害直後の描写としてみることもできる。その他