James Setouchi

 

 大佛次郎『帰郷』 

 

1 大佛次郎(おさらぎじろう)1897~1973

 作家。横浜生れ、東京育ち。野尻抱影(随筆家。冥王星の命名者)の弟。府立一中、一高から東京帝大法学部に学んだエリートだ。鎌倉に住み一時女学校の教師や外務省の嘱託なども務めたが、創作に打ち込んだ。『鞍馬天狗』シリーズ、『赤穂浪士』、『ドレフュス事件』『霧笛』は戦前の作品。戦中は大陸にも行った。終戦直後東久邇内閣の参与も務めた。戦後は『帰郷』『パリ燃ゆ』『天皇の世紀』など。多彩な業績がある。(横浜の大佛次郎記念館の年譜を参照した。)

 

2 『帰郷』昭和23年(1948年)毎日新聞に連載。六カ国語に翻訳された。映画化もされた。

 

 ヨーロッパや東南アジアで長く暮らし戦中戦後を生き延び帰国した守屋恭吾という元海軍軍人の目を通して戦後の日本を批評する作品。

 

 戦友や恋人(?)との関係、若者たちとの世代間ギャップ、生き別れた娘との再会なども語られる中で、日本人とはいかなる存在か、日本人は戦争で何を失ったのか、これから日本人が立ち上がるために何が大切か、が問われる。さすがは大佛次郎で、触発される小説だ。

 

 昭和20年の敗戦から一度は立ち上がり、今またある形で「第二の敗戦」とも呼ばれる状況にある21世紀初めの現代において、何を大切にするかを考えるべく、再読する意義のある作品だと私は考える。

 

 (各種コメントを読むと、小谷野敦という有名な人の名で(ご本人だとは思うが)通俗小説に過ぎない、と批判する文章があった。守屋対隠岐、岡村対岡部など、善玉悪玉が単純に書き分けられているところがあるのでそうとも言えるが、決してそれだけではない、と私は考える。)

 

3 主な登場人物

守屋恭吾:もと海軍軍人。不祥事の責任を背負い追放される。妻子とは生き別れ。日本では死亡したことにされた。ヨーロッパ滞在が長く、孤独の翳がある。帰国し、西洋で鍛えられた目で日本を批評する。

 

若い憲兵:守屋を拷問する。権威に寄りかかり威圧的な態度を取るだけの人物。

 

高野左衛子:謎を秘めた美しいマダム。東南アジアで成功するが、日本の敗戦を予見するやいち早く財産をダイヤもポンドに換えて帰国、戦後も経営の手腕を発揮する。旧来の日本女性にはいない、やり手。

 

牛木利貞:海軍軍人。守屋の友人。息子が戦死。生き延びて帰国、鎌倉に隠棲するが・・・

 

小野崎公平:画家。東南アジアからインパールを経て帰国。左衛子の周辺にいる。日本を批判する。

 

岡村俊樹:戦後の学生。兵隊経験がなく、そつがないが中身のない男。利己的な金儲けしか考えていない。高野左衛子につきまとう。精神の空洞化した戦後の日本人の典型として描かれているか。

 

岡部雄吉:学徒出陣の経験のある若者。生と死の狭間を生き延びた経験から、生きることを肯定し、戦後の日本の新生に希望を持つ。新生日本を建設する若者として、作者から希望を託されているか。

 

守屋節子:守屋の元妻。隠岐達三と再婚している。娘を愛して人生に堪えている。旧タイプの女性。

 

守屋伴子:守屋と節子の娘。父親とは4才で生き別れた。母親を愛している。母の考えにより手に職を持つ。新生日本で幸福になるべき若者として描かれているか。生別したまぶたの父を求めるが…

 

隠岐達三:節子の再婚相手。哲学者。戦中戦後を保身により生き延びた文化人だが、実は偏狭で利己的な人物。世間体と名声にしばられた、うさんくさい文化人の典型として描かれている。

 

高野信輔:高野左衛子の夫。もと華族。二枚目だが中身のない人物。戦後没落した旧華族の典型。

 

お種:高野信輔の妾で、同時に左衛子に雇われ、信輔の世話をしている。古い日本で踏みつけにされ今また存在の基盤を脅かされている女性の一人と言うべきか。

 

日本兵たち:多くが敗戦で悲惨な死に方をし、生き残った者も希望を失う。その中にも、生き残る者のために「塩。きたなくない」と塩を残して死んでいった者もある

 

守屋(ネタバレ):永久に彷徨う覚悟で日本を離脱する。[守屋を受け入れる日本になるためには?]

 

4 印象に残る言葉をいくつか(こうして見ると、日本の新生への強い期待を込めた作品だと感じる。)

(地の文)武装解除された日本軍は、・・惨めな戦敗の飢餓と疲労に極度に人はやつれていた。病人は途中の山越えの難路で、続々と死んでいった。・・ジャングルの中には、捨てられた日本の軍馬が彷徨していた。日本の兵士と知ると人間以上にやつれた姿を現わして、なつかしそうに随いてきた。しかし、・・ひょろひょろになった軍馬は、随いてきて途中で仆れるか、木につながれていつまでも耳につく声で嘶いていた。・・

 

(守屋)「(軍人の世界は)階級と椅子だけが、人間を強くもしたり卑屈にもさせる世界だったのだ」「(軍人に)共通して見えるものが、自分以外の他人の不幸を感じえない、性質なのだ・・だが、もはや、これは死んだ過去、滅び去った顔の日本の人間なのである」「敬礼ばかりしている社会じゃないか?」「もともと軍人に限らず、日本人の生活が、つねに何かを恐れたり何かに遠慮してきたものだったのだ・・卑屈な事大主義だけだ。つねに自分を何かの前にジャスティファイ(正当化)することだけに身をやつしている。弱い者のすることさ

 

(地の文)(横浜にて)・・付近に夕方から集まっている家のない労働者の群れ・・大陸で見る苦力(クーリー)と同じく茫漠とした顔つきがこの人々にはでき上がっている。・・日本にもついに苦力の群れが生れたと、いやでも認めることになるのだった。[貧困化する現代の日本に当てはまるので恐ろしい]

 

(小野寺)「いつまでも指導されたり、教えられなければ、日本人は自力で何もできない民族かね。それを、くやしいとも感じないでいるのでは、なさけない。それでいて自己弁護の論議だけは多い。徒党の根性は強い。借着が得意で、自分の意見を持たないという奴だ。・・みごとな亡国の民だ。」

 

(岡部)「僕は、・・日本人の堕ち方に、落胆していません。最低の、ぎりぎりのところから始めても、日本人は立ちなおれる民族だと信じています。」[岡部は新生日本への期待を捨てていない。]

 

(地の文)恭吾が見てきたフランス、イタリアの古い寺院は、現代でも庶民の生活とともに生きていた。・・奈良でも京都でも、それが案外であった。・・京都や奈良も古い寺々の沙漠のように見えることがある。立ちながら廃墟となったように乾いているのを、美しい自然があってわずかに救われているのである。・・お互いの祖先の日本人が、その時々に遺したものを今の若い人たちがどんな風に見ているか?・・たしかに終戦後の日本は沙漠になっていた。こまかい心の働きは若い人たちから消えてしまったのだ。[守屋は、旧日本の細やかな心の働きは大切なものだと考えている。]

 

(伴子)「こんなに、どなたも困っていらっしゃる世の中に、伴子だけがよければいいということはないんですわ。あたし、自分で働いています。よその方から、こういうものいただかなくていいし、ダイヤモンドなんか、この世界になくてもいいのじゃないでしょうか。こういうものを持つようになると、もっと他のものも欲しくなるのでしょう」[これは、現代の拝金主義への批判にそのまま通ずるではないか。]

 

(岡部)「日本では、過去が僕らに、のしかかりすぎていたんでしょう。ここで、古いものが荷でなくなって、全然、空手で、前に進むことだけ考えたら、過去というブレエキなしに、ほんとうに新しいものが生れてくるんじゃないかって思います。東京で生活する楽しみはそれだと思うんですよ。・・東京の方が、焼けただけに、夢も希望もあるんじゃないですか」[新世代の若者である岡部は未来を見ている。]

 

(地の文)失われようとしている外濠の無慙な姿・・市中に水のあることが、どれだけ町の空気を柔らかくうるおいあるものにしているかは考えずに、ただ、日本流に仕事を急いでいるのである。・・これが巴里の市民だったら、こうはしない。・・不便を承知の上で、自分の住む街の古い姿に愛着を放さない。と恭吾は強く思った。[旧世代の守屋は、旧日本にも捨ててはいけない何かがあると感じている。]

 

(牛木)「できるだけ長生きして世の中を見てみたいという気持ちにはなった。・・この外科手術で、日本が健康になってくれればと念じるのみだ。・・まさに、日本は、群動だったからなあ。」

 

(守屋)「まだ、群動らしい。」「国破れて群動やまずさ。」「軍の圧迫があったから戦争に協力したと今になってからいうのは、・・人間として卑怯者だ。ただ、動いたのだ。気違いじみた強い風に吹かれて動いたのだ。」[群動せず自由人として自立し、かつ孤立・孤絶ではなく包摂の中で生きられる社会とは? 昭和23年に比べ現代は多国籍化が進んでいるので、この問いはさらに重要であろう。]